あなたはもう聴きましたか? ブラーの最新作『ザ・マジック・ウィップ』。オリジナル・アルバムとしては03年の『シンク・タンク』以来12年振り、オリジナル・メンバー4人が揃ったアルバムとしては99年の『13』以来16年ぶりとなるこの作品。再結成バンドのアルバムが往々にそうだからと言って、「どうせ懐メロ大会なんでしょ?」と侮ることなかれ。本作は英テレグラフ紙の満点を筆頭に多くのメディアで好評を博し、黄金期にも迫る評価を獲得しつつあるのです。とはいえ16年前ということは……今や彼らのことを知らない若いリスナーも相当数いるはず。そこで今回は、ブリットポップの狂騒から最新作『ザ・マジック・ウィップ』まで、ブラーの歩みを振り返ってみましょう!

ブラー新作発売記念!ブリットポップの狂騒〜新作まで総括 music150430_blur_2

『ザ・マジック・ウィップ』ジャケット

自分たちの中のイギリスらしさを見つめ、ブリットポップの頂点に。

ジョン・レノン&ポール・マッカートニーを筆頭に、UKの伝説的なバンドには往々にして名コンビが存在するもの。ブラーの中核をなすデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが出会ったのは、彼らが中学生の頃。学校の音楽棟の裏で、デーモンがグレアムの靴を馬鹿にしたのがはじまりでした。けれども、2人は音楽への興味で意気投合して親友に。ロンドンのカレッジに進んだ彼らは共通の知人だったデイヴ・ロウントゥリー、名門ゴールドスミスの同級生アレックス・ジェームスと共に前身バンド、シーモアを結成。デビューに際してブラーに改名し、91年にファースト『レジャー』をリリースします。ここではストーン・ローゼズらマッドチェスター勢のサイケ感を残したギター・ポップを展開するも、セールスは思ったほどでもなく、続いて向かったUSツアーでバンドは早くも疲弊することに。そこで次作『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』では、キンクスらを雛型に自分たちの中の英国性を作品に。それが、ロンドンのカムデン周辺から始まるブリットポップに先鞭をつけることになります。

Blur –“Chemical World”

Blur –“Parklife”

そして94年には、パルプやエラスティカ、メンズウェアを筆頭にUKバンドが続々人気を博していく中で、都会人でもなければ同時に田舎者でもない――郊外生活者の日常をイギリス人の視点から綴った群像劇『パークライフ』を発表。同年には北部のマンチェスターからオアシスが登場し、イギリスの定時ニュースでも話題になった(若い読者は48グループの総選挙を思い浮かべてもらえればその話題性が分かるはず)ブラーとオアシスのシングル対決が北と南/労働者階級と中産階級の代理戦争に発展。ブリットポップはロンドンのトレンドからイギリス全土を飲み込んだ一大ムーヴメントに拡大していきます。この2組がやっていたのは、分かりやすく言えば、経済が破綻する一歩手前にあった当時のイギリスの市井の人々を「英国風のユーモアで自嘲するか」「ストレートに鼓舞するか」ということ(ブラーは前者)。つまり、立場は違ったものの、実は本質的にやっていることはそう変わらなかったわけです。実際、その前年にデーモンがホストを務めたTV番組『TOP OF THE POPS』でオアシス“Whatever”の曲を自ら曲紹介していたりと、デーモン自身も最初はオアシスに好意的だったのは有名な話でした。

Damon Albarn Hosting Top of the Pops(1:30辺りから)

結果、シングル対決はブラーが勝利。けれどもバンドは突然のブレイクに戸惑い、徐々に歯車が狂い始めることに。以降はメンバー自身が駄作と語る『ザ・グレイト・エスケープ』を経て、「ブリットポップは終わった」と終了宣言してUSオルタナに接近した『ブラー』をリリース。これは「イギリスらしいポップ・バンド」という自分たちのイメージへの反抗でありつつ、同時に成功してポップ化するバンドに魅力を見出せなくなっていたインディ気質のグレアムの気持ちにメンバーが配慮したものでした。続く『13』ではウィリアム・オービットをプロデューサーに迎え、より実験的な方向性にアプローチ。けれども収録曲の“No Distance Left to Run”では《もう終わったね/僕に走るべき距離は残されていない》と苦悩を吐露するなど、バンドは徐々に終焉へと向かうことに。

Blur –“No Distance Left To Run”

グレアムの脱退と空中分解したブラー。それぞれの課外活動へ。