エレクトロニック・ミュージックの天才BTってどんな人?
DJ YODAによる解説をQetic独占公開!

BTの初来日公演は2000年の4月、僕が新宿Liquidroomでやっていた<Mothership>というパーティーだった。ちょうど3枚目のアルバム『Movement In Still Life』が発売となったあとで、まだFlaming Juneの熱が充分に残っていた時期だった。あれからはや13年、彼自身の創る音楽は相変わらず高いクオリティーをキープしている。今回の来日にあたって、パーティーに来てくれるみんなに彼がヨーロッパでブレイクするまでの道程を彼の作品から紹介したいと思う。ヨーロッパのシーンではめずらしく、ごく初期から成功したアメリカ人というのも珍しいし彼がどんな流れでシーンに登場し、そのときの状況がどんなものであったかを伝えたい。また、彼の作品のクオリティーは1993年のデビューからつねにシーンをリードしてきたことを知って欲しいと思う。

Brian Transeau “Relativity”〈Deep Dish Recordings〉

まずは彼の1993年のデビュー作、意外なことにDeep Dishのレーベルからのリリース。実は高校時代をワシントンDCで過ごした彼はDeep Dishの二人と同級生だった! Deep Dishの二人の家族は1979年のイラン革命から逃れアメリカに移住してきた、多分かなり裕福な家庭だったんだろう。彼等は10代の後半で早くもダンス・ミュージックを作りはじめているのだが、その後のDeep Dishのサウンドが90年代前半ですでに完成されているのがおもしろい。いったいBTと彼等がどんな高校時代を過ごしたのか、それを想像するのは難しい。なぜならイギリスがセカンド・サマー・オブ・ラブで盛り上がっている時のワシントンDCがまったく想像できないからだ。初期の〈Deep Dish Recordings〉から想像すると、ニューヨークのハード・ハウスやトライバルなスタイルは完成されている。そして、このBTのデビュー・シングルを聴くと、もうすでにBT独特のメロディーや小技の効いたリズムがニューヨーク・スタイルのビートに乗っているのが面白い。さてこれをスタートにBTは90年代を駆け抜けていくことになる。

BT “Embracing The Sunshine(Sasha Remix)” 〈Perfecto〉

1993年、これが彼の正式なヨーロッパ・デビューとなる。当時Sashaがいち早くBTのトラックに注目し、自分のセットでプレイしまくっていたらしい。どうのような経路でSashaがBTの音源を手にしたのかは定かでないけれど、93年といえばまさにレイヴ全盛、レイヴ禁止法案であるクリミナル・ジャスティスも発効前、Underworldが〈Boys Own〉から1stをリリースした時期だ。UKのダンス・シーンはマッドチェスターからレイヴへ移行し、シーンもジャーマン・トランスの隆盛、テクノとハウスのはっきりとした分岐がおこり、ポップスもロックもすべてのシングルがダンス・リミックスをリリースした時代だ、いよいよDJの時代が到来したのである。この時期の有名なエピソードにSashaがBTへ飛行機のチケットを送り、彼の曲がいかにパーティーで盛り上がるかをBTに見せたという話がある。それほどイギリスの状況は加熱していたし、BTの洗練されたトラックは新しいサウンドを求めるオーディエンスには熱狂的に支持された。もちろん、当時UKで一番人気のあったDJであるPaul Oakenfoldも彼の才能には大きく注目する。自分でレーベルを運営していなかったSashaにかわりBTはOakenfoldのレーベルである〈Perfecto〉と契約、そしてこの曲で正式にヨーロッパ・デビューをする。このドラマチックな展開と新しい時代のはじまりを予感させるような多幸感こそ当時のシーンがいかに生き生きしていたかを物語っているし、様々な夢を見ることのできた時代だった。