カニエ・ウェスト。自身を神とするほど奢り高いが繊細で、度重なる失態を犯し非難されながらも、こと音楽に関しては絶対的な信頼を誇るアーティスト。相変わらずのお騒がせ者ぶりな一面もあるが、はっきりと言えるのは今、彼ほど世界で最もその動向を注目されているアーティストはいないだろう。そんな彼のMVを特集した番組と、ヘッドライナーとして出演した<Glastonbury Festival 2015>での貴重なライブの映像が、4月16日(土)、MTVにて放送される。

プロデューサーからキャリアをスタートし、『ザ・カレッジ・ドロップ・アウト』でアーティストとしてデビューし現在に至るまで、メディアや世界から散々叩かれようとも、常に優れた楽曲をリリースし続けるカニエ・ウェストという人間を振りかえってみる。

新世界の神・カニエ・ウェスト。プロデューサーから世界的ラッパーへの軌跡 music160411_kanyewest_3

ヒット・プロデューサーへの道程 ~カニエ、大学辞めるってよ~

1977年に写真ジャーナリストの父と英語教授の母の間に生まれたカニエ・ウェストは、アメリカはジョージア州アトランタで誕生。ほどなくして両親の離婚で母と共にシカゴへ移住し、その後も10歳の頃に南京に移住するなど環境は変わりながらも、詩への興味から音楽への情熱を育んでいき、母の理解と協力を得て、カニエは音楽制作に没頭していく。プロデューサーとしてローカルなアーティストに楽曲提供を続けていたカニエは、このとき既に彼の代名詞ともいえるソウルのボーカルを早回ししてサンプリングするスタイルを確立させていた。その後シカゴの美大に進み絵画を勉強するも、多忙を極める大学生活の中、音楽活動との両立に悩んだカニエは20歳で大学を中退。ラップグループを結成するなど精力的に活動するも目覚ましい成果がなかなか残せない状況が続く中、カニエの才能にいち早く目をつけ、手を差し伸べたのがご存知ジェイ・Zだった。プロデューサーとして、ジェイ・Zのレーベル、〈ロッカフェラ・レコード〉と契約を交わしたカニエは、2001年ジャクソン5の大ネタ“I Want You Back”を大胆にサンプリングした楽曲“Izzo (H.O.V.A.)”をプロデュース。その後のJay-Zの音楽性を決定づけた傑作アルバム『Blueprint』数曲を手掛け、一躍名プロデューサーの仲間入りを果たす。

ご存知Jay-Zの代表曲、カニエの名前をこれで知った人も多いはず

裏方から表舞台へ、プロデューサーからラッパーへ~俺はこんなもんじゃない~

ビーニー・シーゲル、キャムロン、リュダクリス、アリシア・キーズ、ジャネット・ジャクソンといったアーティストたちに楽曲提供するようになり、売れっ子プロデューサーとなったカニエだが、彼にとっての成功とは、ラッパーとして有名になることだった。だが、50セントといったギャングスタ・ラッパー全盛の当時、そのキャラクターから、カニエはソロのラッパーとしてレーベル契約を果たせなかった。そんな彼は、2002年スタジオからの帰り道、居眠り運転による事故で大怪我を負ってしまう。この時、口の中にチューブ(ワイヤー)を入れなくてはいけなくなった体験から、カニエは“Through the Wire”という楽曲を制作。九死に一生を得たカニエは経験を表現に転嫁させる喜びを見出し、表現者/ラッパーとしての生き方を再認識し、ジェイ・Zの全面的なサポートもあって、2004年に〈ロッカフェラ・レコード〉より初めてのアルバム『カレッジ・ドロップアウト』をリリースする。

ラッパーとしてのカニエ、はじめの一歩

Kanye West – Through the Wire

ソロ・アーティストとしての隆盛~トップをねらえ!〜

『カレッジ・ドロップアウト』はリリース日の一ヶ月前にリークしてしまったことから、カニエはアルバムの見直しと改訂を重ね、何度かの発売延期を経てようやく2004年にリリースする。この時から今に至るカニエの延期癖というか、完璧主義者ぶりは変わらず、その成果もあってか全米2位の成績を誇ったこのアルバムで、グラミー賞を3部門受賞する大成功をおさめた。同年、〈デフ・ジャム・レコード〉の傘下に自主レーベル〈グッド・ミュージック〉を創設。この頃よりカニエのサンプリング・スタイルを真似たトラックメイカーが徐々に増え、セカンド・アルバム制作に向けてカニエは独自の新しい音を探すようになる。多額のバジェットをかけることが可能になったカニエは、初めてストリングスをはじめとした生楽器を導入し、2005年にセカンドアルバム『レイト・レジストレーション』をリリースする。発売前月、未曽有のハリケーン・カトリーナがアメリカを襲った際に、「ブッシュ大統領は、黒人への配慮は何も考えていない。」とコメントしたカニエだったが、この頃より歯に衣着せぬ発言で注目を集めるようになっていく。だが、それらの言動も自信の表れからなのか、アルバムは全米1位を記録し、カニエの評価はいよいよゆるぎないものになっていく。

ソロの傍ら、プロデューサー業もやっているぜ、デキるカニエ、2005年のワークス

Common – Be (Intro)

次ページ:不死鳥の如く! ~よみがえるカニエ〜