アルバムリリース後、U2との大規模なツアーを回ったカニエは、そこでの体験から、よりアリーナ・クラスのライブ・パフォーマンスを意識した新たな作品の制作をはじめる。シンセ・サウンドを取り入れ80年代のエレクトロ・ミュージックを吸収したカニエは、2007年にフレンチ・エレクトロのトップアーティスト、ダフト・パンクとコラボレーションした“Stronger”を収録したサード『グラデュエーション』をリリース。奇しくも50セントとアルバムの発売日がかぶるも、圧倒的な差をつけてカニエが米英で1位を飾り、シーンにおける明暗が分かれることとなった。

「ガソバレ!」など間違ったカタカナ多用の“Stronger”は、アルバムジャケットも村上隆が担当。カニエの中で日本ブームがあったのか……。

Kanye West – Stronger

しかし同年末、カニエは母を失い、その翌月、約5年間婚約していたパートナーと関係解消。相次ぐ出来事が降りかかるもツアーを回らなくてはいけないカニエは、自身に巻き起こった複雑な感情をラップに落とし込むパフォーマンスに難しさを感じ、オートチューンをかけた声で歌うことを選ぶ。こうした大きな心境の変化はそのまま作品作りにも生かされ、オートチューンとローランドのTR-808(通称ヤオヤ)のドラムマシンを多用し、愛と悲哀をテーマにしたアルバム『808s &ハートブレイク』を2008年にリリースする。これまでとはうってかわり、弱さを見せる繊細なテーマを歌で紡ぐことで、ヒップホップの枠にとどまらないアーティストとして成長していく。

新世界の神・カニエ・ウェスト。プロデューサーから世界的ラッパーへの軌跡 music160411_kanyewest_1

エモいカニエの誕生 ~ 2008年、MTVアワードでのLove Lockdownライブの様子

Kanye West Love Lockdown Live @ MTV EMA

不死鳥の如く! ~よみがえるカニエ〜

そして有名なあの事件が起こる。<MTV Video Music Awards 2009>の最優秀女性アーティスト・ビデオ賞で受賞したテイラー・スウィフトのスピーチ中に泥酔したカニエが乱入、テイラーではなくビヨンセのビデオの方が受賞するべきだとコメントする大暴走で、会場からは大バッシングを受ける。後日すぐに謝罪のコメントを出したカニエだったが世間の批判は強く、カニエは少しばかり音楽活動を自粛することとなった。しかしここで終わるカニエではない。彼が信頼するプロデューサー、アーティストを大人数呼び寄せ、壮大なアルバム制作プロジェクトに着手する。ボン・イヴェールや当時まだ若手のニッキー・ミナージュ、フランク・オーシャンなど多数のアーティストたちが集結し、2010年にその怪作『マイ・ビューティフル・ダーク・トウィステッド・ファンタジー』は完成する。ビジュアルイメージでも絵画や映画をモチーフにカニエの芸術は爆発! 過去最高の評価を得る作品となった。ちなみにアルバムのリークを恐れたカニエは、「GOOD FRIDAY」と題し、アルバムから外れた楽曲(とはいえ豪華ゲスト含む高クオリティ!)を毎週金曜発表し、アルバム発売まで我慢してもらうように促した(しかしやっぱりリークされた笑)。

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