シンガーソングライター。その言葉を聞いて、あなたはどんな人物をイメージするだろうか。おそらく、多くの人が真っ先に思い浮かべるのはアコースティックギターを抱えてスタンドマイクに向かうアーティストの姿だろう。アコギを一人で爪弾きながら、自ら作った曲を自分の言葉と声で表現するフォーク・シンガーは、確かにシンガーソングライターの最も基本的な形であり、源流には違いない。ただ、シンガーソングライターの在り方は現在、音楽の多様化やテクノロジーの進歩を経て、大きくその形を変えつつある。
そんな今様のシンガーソングライター像を体現する新鋭がラウヴこと、本名アリ・レフ。彼の音楽は、自らの経験や思索を美しいメロディに託す正統性と、EDMやR&Bといったモダンなポップ・テクスチャからの影響を溶け合わせたプロダクション面での多様性を併せ持つ。歌い手かつ作家であるだけでなく、様々な楽器・機材を使いこなすマルチ・インストゥルメンタリストでもあり、楽曲を総合的・立体的に組み上げるプロデューサーでもある。そんな多角的な才能こそが彼の最大の魅力であり、個性だと言えるだろう。
「僕は、どのような人間だって自分なりのやり方でスターになる可能性はあると思ってるんだ」(公式バイオグラフィーより引用)
自らそう語るように、彼は自分なりのやり方で、今まさにスターダムを駆け上がろうとしている。EP『Lauv』収録の“I Like Me Better”は、昨年5月に発表されてから息の長いヴァイラル・ヒットとなり、リリースから約9か月後の今年2月に、全米チャート100位以内へと到達。現在、全世界での累計再生回数は5億回を超える。
Lauv – I Like Me Better [Official Audio]
また、彼は自身のソロ・キャリアのみならず、他アーティストの作品にも精力的に貢献。シンガーとしてはフランス人プロデューサー・DJスネイクのシングル“A Different Way”にフィーチャーされ、チャーリー・XCX“Boys”やチート・コーズfeat.デミ・ロヴァート“No Promises”といったヒット曲にソングライターの一人として参加。ジャンルや国籍を問わず、ポップ・シーン全体にとって欠かすことの出来ない作家として、その存在感を増しつつある。
Charli XCX – Boys [Official Video]
さらに、彼の才能はエド・シーランにも認められ、昨年末には大ヒット・アルバム『ディヴァイド』のアジア・ツアーでサポート・アクトにも抜擢。エド・シーランと言えば、現行のシンガーソングライター勢の中で、名実ともにトップに君臨するアーティストだ。ここ日本での公演は残念ながらエド・シーランの骨折により延期となってしまったが、ラウヴ自身は今年3月に初の単独来日公演を実施。そこでは、ステージをいっぱいに使って動き回り、時折ダンスも披露する熱いパフォーマンスが披露された。
シンガー、ソングライター、プロデューサー、ライブ・アクトと、多方面でネクスト・ブレイク候補と目されるようになったラウヴの、デビューから現在までのソロ・キャリアをまとめた楽曲集が『I Met You When I Was 18.』である。全17曲で構成された同作は、アルバムではなくプレイリストと位置付けられている。
本作の象徴としてタイトルに選ばれたのは、自分で曲を作り始めた13歳でも、初めて世間に向けて公開した楽曲“The Other”を発表した20歳でもなく、ニューヨークで初めて本当の恋に落ちた18歳という年齢。そこには重要な意味がある。その真意を知るには、彼自身による以下の言葉を引用するのが最適だろう。
「このプレイリスト『I met you when I was 18.』は様々な曲を集めたもので、一種の物語でもある。それは僕が18歳の時にニューヨークへ移住して最初に恋愛をした頃のもの。まわりの人々と深く交わるようになってから、自分なりのアイデンティティを見い出そうとしていた頃の物語。」(ラウヴが同作に寄せたコメントより引用)
スターダムを駆け上がる
ラウヴがはじめた音楽の旅
アリ・レフは1994年、サンフランシスコで生まれた。彼の母親はラトヴィア共和国の血を引いており、ラウヴというアーティスト名は、ヘブライ語で「ライオン」を意味するアリというファーストネームをラトヴィア語に変換したものだ。
彼の家族はサンフランシスコから間もなくオークランドへと引っ越し、それからもジョージア州のアトランタ、フィラデルフィアと、移住の多い生活を送っていた。十代の頃からポスタル・サーヴィス、テイキング・バック・サンデイ、グリーン・デイ、エミネム等、ジャンルを問わず多くのポップ・ミュージックに夢中になり、アトランタに住んでいた頃には当時のヒップホップやR&Bにも随分と影響を受けたというが、どの土地にいても彼は自分なりのアイデンティティを感じることは出来なかった。
「思うに、ぼくはどの土地においても強い結びつきを持ってなかったんだ。(中略)学校の中で、スケートボードをしながらスキニー・ジーンズを履いてるような子は僕一人だったんだろうね。(中略)自分が変だってことを誇らしく思うようになった」(公式バイオグラフィーより)
ニューヨークで恋に落ちた
それぞれに独自のカルチャーを持つ全米の都市を転々として、各地の音楽を広く吸収したことが、後の表現における多様性の下地となっているのは確実だろう。ただ、アーティストとしての表現欲求や核を見出すのは、まだ先のことだった。彼は12歳からバンドを組んでいたというが、13歳で初めて作った曲は「失恋とはどんなものなのかを知る前に書いた、失恋についての曲」だったのだという。
その後、彼はニューヨーク大学に進学して、ミュージック・テクノロジーを専攻。このニューヨークへの移住と、そこで経験した初めての恋愛が彼の人生を大きく変えることになる。『I Met You When I Was 18.』のオープニングを飾るのは“I Like Me Better”だが、この曲は最大のヒット曲というだけでなく、そのニューヨークでの恋を題材にしている点で重要な意味を持つ一曲だ。
Lauv – I Like Me Better [Official Video]
《若い二人は ニューヨークで恋に落ちた まだ自分が何者かも分かっていなかったけど 君と一緒なら大丈夫 酔った二人は ニューヨークで恋に落ちた 目覚めのコーヒー 何時間も語り合って時間が過ぎていく》(“I Like It Better”)
1人のアーティストとして
この最初の恋愛とニューヨークという街での生活が、彼なりのアイデンティティ萌芽のきっかけとなった。彼は大学で音楽を学びながら、有名な音楽スタジオ「ジャングル・シティ・スタジオ」でインターンとして働き始める。ジェイ・Z、ジャスティン・ティンバーレイク、アリシア・キーズ、ティンバランドといった有名アーティストのそばで与えられた仕事自体はほとんど雑用だったようだが、ヒット・ソングが作られる現場を目の当たりにしたことで受けた刺激は大きかった。その頃から流行りのヒット曲を聴きまくって、どのような構造で作られているのか徹底的に分析していたというから、彼はなるべくしてヒットメイカーになったのだと言うことも可能だろう。
ただ、ソングライター/プロデューサーとしてのキャリアが意識的な努力の結果である一方、表現者=シンガーソングライターとしてのキャリアは無意識の偶然から始まった。そのきっかけは、彼が2015年に初めて発表した楽曲“The Other”だった。
Lauv – The Other [Official Video]
「10代の頃は、一所懸命に努力して自分のバンドで成功を掴むんだと思ってた。それから一所懸命に作曲活動も行った。結果として、自分自身何かを一所懸命にやろうと思わずに出来た曲で全ての事が始まったんだ」(公式バイオグラフィーより)
人と人との繋がりから
初めて他の人に聴かせたいと思ったものの、それほどインパクトを残すことになるとは思っていなかったというこの“The Other”は、結果的に多くのリスナーの耳に届き、彼のソロ・キャリアの重要な起点となった。
この“The Other”は、ザ・ウィークエンドを髣髴させるメランコリックなR&B。その他、“I Like Me Better”ではフューチャー“Mask Off”などのヒット曲にも通じるオリエンタルなループが使われ、『ラ・ラ・ランド』や『ミッドナイト・イン・パリ』といった映画にインスパイアされたという“Paris In The Rain”ではロマンティックなストリングスとピアノが主役に。“Chasing Fire”ではダンサブルなビートにEDMが意識されている他、シンプルなピアノのバッキングで歌い上げる“The Story Never Ends”のようなバラードもあり、『I Met You When I Was 18.』の収録曲はトレンドをしっかり押さえつつも、実にバラエティ豊か。
Lauv – Paris in the Rain [Official Video]
その中で、彼の一アーティストとしてのアイデンティティは何なのかと言えば、それは彼が紡ぎ出すメロディとリリックに尽きるだろう。彼はインタビューで、自分が惹かれる音楽について「Beautiful Tragedy(美しい悲劇)」と答えている。その言葉通り、彼はすれ違う感情や失恋の痛みといった、一度でも恋をしたことがある人間ならば誰しも共感するような悲劇的な瞬間を、どこまでも美しく歌い上げる。それは自分なりのアイデンティティを模索し続けてきた彼が辿りついた、最も人間的な関わり合いの根源と言えるのではないか。
ラウヴの音楽が人々の心を捉える理由
彼のこれまでの人生は、決してドラマティックで激動に満ちたものではない。十代のアイデンティティ探求なんて、どこの時代、どこの場所にも転がっているありふれたものだろう。ただ、だからこそ彼の音楽は世界中のありふれた生活を送る一人ひとりの個人に届き、その人生を前向きに彩ってくれる。
「僕は毎夜ファンのみんなに紙とペンを持って、何を書きたいかなんか考えずに全てにおいてただ書くだけのことをやってごらん、と言ってるんだ。そこで記したものが結局は全てで、摂食障害や両親との揉め事、友達関係や性にまつわることなんかね。それで結局、答えはそれらの周りにはないんだってわかった。僕にとって書くということはそれらの感情一切に支配されないということだったんだ。」
「あなたが今思ってることは?と聞かれたら、僕の歌がまるでだれかと会話しているように感じて欲しいって言うね。そんな事が僕の大好きな人間同士の繋がりだったりするんだ。」
(公式バイオグラフィーより)
Text by Aoyama Akihiro