■ 2ndアルバムでフィメール・シンガーの頂点へ。しかし、突然の引退宣言
07年にはジャパン・ツアーと念願の<フジロック・フェスティバル>への出演を成し遂げ(数年前に父親と一緒に遊びに来たことがあったらしい)、英最大のフェス<グラストンベリー>を含む国内外のイベントへ出演、さらにBBCでレギュラー番組を持つなど多忙をきわめたリリーだったが、前作に続いてポップの名匠グレッグ・カースティンをプロデューサーに招き、新曲の制作に着手する。
完成したトラックに合わせて歌詞を当てる……というこれまでのソングライティングから一転、ここではグレッグのピアノ伴奏を頼りにセッション感覚で歌を吹き込んでいったという。そして09年、グッとエレクトロ・ポップに接近した2ndアルバム『イッツ・ノット・ミー、イッツ・ユー』をリリースし、イギリス本国のみならずアメリカでも初登場5位と大健闘、リード・シングルとなった“The Fear”は全英チャートで4週連続1位に輝き、故エイミー・ワインハウスと並んで名実共にシーンのトップに踊り出る。彼女たちの存在がなければ後のアデル、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、エミリー・サンデーをはじめとするフィメール・シンガーたちの台頭も、あと数年は遅れをとったはずだ。
Lily Allen -“The Fear”
あのカール・ラガーフェルドにも気に入られ、シャネルのキャンペーン・モデルにも起用されるなど順風満帆かのように見えたリリーのキャリアだが、同年9月、リリーは突如として今後の音楽活動が白紙であることを表明。姉のサラと共にヴィンテージの洋服レンタル・ショップ「Lucy In Disguise」をスタートし、さらに〈ソニー〉の資金援助を受けてレコード・レーベル〈In the Name of〉を設立、アーティストから実業家への華麗なる転身を遂げた。残念ながら前者は13年に破産申請、後者はすでに閉鎖してしまったものの、NYのインディ・ポップ・デュオ=カルツと、世界的に大ブレイクを果たしたトム・オデールの2組にいち早く目をつけていたことからも、リリーの嗅覚と審美眼がまったく衰えていないことは窺えた。
そもそも、リリーは完全に表舞台から姿を消していたわけではなく、『ブリジット・ジョーンズの日記』のミュージカル版スコアを手掛けたり(実際には使用されなかったが……)、ランジェリー・ブランド「エタム」のショーに出演して“Smile”を特別に披露したり、事あるごとに話題を振りまいていたため、いちファンとしても「不在」を感じることは少なかった。
Etam Lingerie ft. Lily Allen – Smile – Fall 2013 by Natalia Vodianova | FashionTV
引退宣言後、人生で2度目となる流産を経験するなどプライベートでもタフな状況が続いたリリーだったが、その後交際中だった画家のサム・クーパーと結婚。12年の11月にエセル・マリー、昨年1月にマーニー・ローズ、2人の娘を出産して幸せな家庭を築き上げることになる。