2017年4月22日のRECORD STORE DAYにリリースした12inch“ラビリンス”のボーカルが満島ひかりであった驚きを皮切りに、UA、bird、やくしまるえつこ、齋藤飛鳥(乃木坂46)や無名の主婦シンガー下重かおりまで多彩なボーカリストを招聘した、初の全編日本語詞によるMONDO GROSSOとしてはなんと14年ぶりとなるアルバム『何度でも新しく生まれる』が、ついに6月7日にリリースされた。本日6月9日の『ミュージックステーション』によると、次週6月16日(金)の同番組に満島ひかりをフィーチャーした“ラビリンス”での出演もアナウンスされ、俄然、若いリスナーにとっても興味の対象となったMONDO GROSSO。果たしてMONDO GROSSOとは誰なのか? どんな存在なのか改めて紐解いていこう。
MONDO GROSSO結成から世界へ
京都から世界に真新しい音楽とアティチュードを発信
MONDO GROSSOは元々は’91年に京都で結成された、当時早すぎるソウル、ジャズ、ファンク、ヒップホップやブラジリアンを融合したバンドで、そのリーダー兼ベーシストが大沢伸一その人。当時、クラブでの生バンドの演奏は世界の地下水脈で同時進行的に新世代が推し進めていたムーヴメントだが、MONDO GROSSOは、音楽的にも文化的にも肥沃な土壌であった京都から世界に真新しい音楽とアティチュードを発信していたという意味でも、先取のメンタリティと実力を持った稀有なバンドだったのだ。
デビュー作『MONDO GROSSO』、ヨーロッパ・ツアー
’93年のセルフタイトルのデビュー・アルバムは今聴いても、本質的なグルーヴの確かさ、色褪せない高い音楽性に驚く。ロンドンでジャイルス・ピーターソンがDJとして発火点となったアシッドジャズやレアグルーヴと称される音楽性。このカテゴリーでの著名バンドであるインコグニートやジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズらが世界的に人気を博し、日本でもヒット曲が誕生するなど、一大ムーヴメントを形成したこのジャンルの中で、MONDO GROSSOは日本代表格として海外でも高い評価を獲得、’95年にはヨーロッパ・ツアーも実施した。同ツアーのフランス公演はライブDVD『The European Expedition』や、オフィシャル・アーカイヴで見ることができるが、ホーンを交えつつ、基本的にシンプルなバンド・アンサンブルで卓越した生演奏を堂々と披露し、軽々と国境を超えるスタンスはその後の大沢伸一の根本に流れるものだと認識できる。
Suchmos、Nulbarich、ぼくりり、ら若い世代との共振
オーバー40とSuchmosら20代バンドの共通点
ここ2から3年、90年代のアシッドジャズやレアグルーヴが再評価され、リアルタイムでそれらのムーヴメントの洗礼を受けた現在オーバー40世代が、SuchmosやNulbarichにいち早く反応し、若い世代のバンドでありつつ、しばし音楽から遠ざかっていた層のリスナーを引き寄せたのも、彼らが10代、20代の頃、MONDO GROSSOを含む前述のバンド/アーティストのグルーヴや音楽的混交と作品の完成度の高さに触れ、グルーヴのなんたるかを原体験として持っている、その琴線に触れたからだろう。
さらに言えば、久々に大人の鑑賞に耐える洒脱や粋を表現していたことも大きい。話はMONDO GROSSOから逸れるが、ロックにジャズファンクやソウル、ブラジリアンなどを融合した音楽性を持つORIGINAL LOVE=田島貴男がSuchmosと交流を持ち、昨年はライブで共演を果たすなど、オーバー40と20代バンドは、今や音楽的な親子関係とも言えそうな、共通する影響源を持ち、互いに触発しあっているようにも見受けられる。
Suchmos “MINT” (Official Music Video)
ぼくのりりっくのぼうよみとMONDO GROSSO
親子関係といえば、読者の中にもご存知の方もいるかもしれないが、ぼくのりりっくのぼうよみ(以下、ぼくりり)が、彼の母親の影響でMONDO GROSSOをフェイバリット・アーティストに挙げているのは、デビュー当時から割と知られた事実でもある。
もちろん、ぼくりりが受けた影響はMONDO GROSSOのレアグルーヴィな部分に限ったことではないだろう。その点については、大沢伸一のプロデュース・ワークが冴える、バンド解散後のプロデュース・ワークに話を移そう。何れにしても、今や気鋭の10代アーティストにもリスペクトされるある種の普遍性がMONDO GROSSOのアーティスト・パワーであることは相違ない。
ぼくのりりっくのぼうよみ – 「SKY’s the limit」ミュージックビデオ
プロデュース・ワークが光る90年代後期/再びリーダー作に注力した00年代
MONDAY満ちるやUA、Chara、birdのプロデュース
バンド解散後の90年代後期は、ジャパニーズR&Bのディーバたちが数多く世に出た時代でもある。バンド時代から既にバンドのボーカルであるMONDAY満ちるやUA、Charaなどのプロデュースを行っていた大沢伸一が、’99年に自身のレーベル〈REALEYES〉を〈Sony Music Associated Records〉内に設立後、第一弾アーティストとしてbirdをトータル・プロデュース。“SOULS”、“空の瞳”など、J-POPにR&Bやジャズファンクの要素を融合させた彼女の1stアルバム『bird』は85万枚のヒットとなり、宇多田ヒカルやMISIAなどの新しい文脈のジャパニーズR&Bの女性ボーカリスト全盛期のシーンの中でも、より洋楽志向とグルーヴに重きを置いた作品でプロデューサーとしてのオリジナリティを印象付けた。
『MG4』リリース、ジャミロクワイ(Jamiroquai)のリミックス
00年代に入ると、再びMONDO GROSSOに注力し、00年リリースのアルバム『MG4』が世界25カ国でリリースされ、国内では15万枚のセールスを記録。いわゆるクリエイター/プロデューサー作品としては異例の高いセールスである。また、日本人アーティストとして唯一となる、サッカー<FIFAワールドカップ>公式アルバム『FEVER PITCH』への楽曲提供、ジャミロクワイの楽曲を日本人として初めてリミックス。ジャズ、ラテン、R&Bなどを融合しつつ、一聴して大沢のサウンドであることを認識できるサウンド・デザインが世界のミュージック・ラヴァーに広がった時期と言えるだろう。
ハウスミュージックへのシフト、BoA、Kj、UAをフィーチャー『NEXT WAVE』
そんな彼の音楽的志向がハウスミュージックにシフトしたのが、BoAをフィーチャーしたヒット曲“Everything Needs Love”や、Dragon AshのKjが歌う“SHININ’”、旧知のUAを迎えた“光”などを収録したアルバム『NEXT WAVE』。この時期、世界的にケミカル・ブラザーズやアンダーワールド、ファット・ボーイ・スリムら、いわゆるダンス・アクトが生演奏するバンドと同等かそれ以上にフロアをロックし、クリエイターとしてシーンを牽引。海外においてはアーティストとして地位を確立していたことに対しての大沢なりの回答だったのだと思う。ハウスミュージックやダンスミュージックでもオリジナリティを見せた彼は、その後、安室奈美恵や浜崎あゆみ、中島美嘉ら、J-POPをアップデートし続けることになった。彼のプロデュース・ワークであることを知らなくても、どこか洋楽的でチャレンジングなビートやアレンジの楽曲をそうしたJ-POPアーティストに散見することがあれば、かなりの確率で大沢ワークスであることが多いのではないだろうか。
MONDO GROSSO 『Everything Needs Love feat.BoA』