週刊少年ジャンプ

『フジロック回想記』 MONO NO AWAREボーカル玉置周啓 mononoaware-feature14-700x993

「Tempalay小原綾斗、<フジロック>にワクワクしすぎて骨折」というニュースがネットで発表されたのが<フジロック>1日目。ボーカル綾斗くんの代わりにDENIMS、ドミコ、DALLJUB STEP CLUB、MONO NO AWAREから一人ずつギタリストが演奏する運びとなった。2日目の朝から、それぞれのメンバーがTempalayの宿に集まって、ギターを練習している。Tempalayと同じ宿だったが、邪魔をするといけないので出発した。

まずnever young beachを見るためにレッドマーキーへ向かった。1日目にボーカル安部くんと少しお話しさせてもらって、ライブもやっと初めて見れるということで、足取りも軽かったが、見れなかった。人パンパン。音漏れのボリュームが大きいというフェスの長所にあやかって曲は聴けたけれど、ステージングをしかと見ることはできなかった。never young beachの人気を全身で感じつつ、視力0.2の眼球を呪った。明日見よう、僕はヤシの木フラミンゴに思いを託した。

その後、MONO NO AWAREベースの竹田綾子と、ドラムの柳澤豊とアヴァランチーズを見にグリーン・ステージへ。

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豊のこれ可愛かったな。このカッパの下にキャップを被ってる意味の分からなさ。愛くるしい。この時には、すでに雨を受け入れて濡れながら踊る神秘の時間に突入しており、俺はすでにパンツを干すことをシュミレートし始めていたし、ドラムのビートにみんなで体を揺らしながら、ガンガンビールこぼしてた。ところで、「グリーン・ステージ一部に漂う妙なスメルは何なのだろう」と3日間自問自答し続けていたけれど、その牧場感溢れるスメルを感じた方は僕らだけではないだろう。帰りの車で、「あれはビールなのかも知れない」と気づき若干車内が沸いたが、皆さんはあのスメルについて自問自答されましたか? もしビールだったら申し訳ない。次回からはしっかり胃に着水させます。

その後も、僕はぬかるみに足を取られて転倒する人々の泥ハネを全身に浴びながら、Corneliusを見た。小山田さんは凄いですね。《1、2、3、4、5、6》だけで曲をこんなにも魅力的に成立させられるのかと、作曲の自由さに心惹かれたし、演奏もタイトで、学ぶことが多いステージでした。

Corneliusも半ばにして、Tempalayの出番が近づいたので苗場食堂に移動、楽屋ではみんなが最終確認をしている最中。みんな、ヨッシャ! と気合を入れて椅子に鎮座したかと思えば、あれ、一応もっかい聞いとこ! とイヤホンを耳に入れる。「テスト前の学生みたいやな」とDENIMSのカマチューさんが呟いて、みんな笑って、めっちゃ和やかな空気のまま本番が始まった。

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Tempalayの一連の流れは、まるで少年ジャンプを読んでいるような気分だった。僕はひねた青春を送っていたから、王道の展開や、友情、愛、涙みたいなものがどうしてもクサく感じて苦手だったけれど、一昨年のルーキー・ア・ゴーゴーから2年ぶりに<フジロック>出演が決まったTempalayが、ケガという最大のピンチに陥って、懇意にしている他の出演者や、たまたま見に来ていた仲のいいバンドのメンバーの協力を得てステージをやりきる姿に、グッと来ていた。

世界の名だたるアーティスト達を目当てに<フジロック>にやって来たお客さんにとっては、小さな出来事だったかも知れないし、綾斗くんも「万全の状態で、また<フジロック>でやりたい」と悔しさを滲ませていたけれど、僕の潤んだ視力0.2の眼球には、伝説のステージとして映っていた。何だか凄い経験をしたなという形のない感動が押し寄せていた。これ冷静に見たら内輪ノリでダサいかもなと思って涙をこらえてはいたけれど、宿で練習しているみんなの表情や、楽屋での様子とか、思い出さなくていいことを走馬灯のように思い出してしまって、最後サポートメンバーがみんなステージに戻って来て“革命前夜”を熱唱し始めたところで、あまりのクライマックス感に、泣いた。ボロボロ落ちるタイプ。

個人的感動のステージを見終えて、破裂寸前の膀胱を抑えトイレに走った。俺は何してるんだろうと思った。

そして、2日目の締めとして、僕は念願のくるりを見に向かった。くるりのライブを見るのも初めてだったけれど、中学校からずっと聴いていたし、日本のバンドでは最も尊敬している人たちなので、終始感無量だった。MCも絶妙にゆるいし、大人の余裕を感じる。もうTempalayのステージで勝手ながらメッセージ性満腹状態になっていた僕にとって、ただ良質な曲を演奏し続けてくれるくるりのパフォーマンスは、手放しで喜べるステージだった。途中、「お腹減ったねえ」とボーカル岸田さんが言った後「ハム! ハム食べたい!」と訴えるおじさんがいて“ハム食べたい”やるのか!とテンションが上がり、僕も「ハム! ハム!」とか恥ずかしげもなく言ってたら普通に“琥珀色の街、上海蟹の朝”が始まって天を仰いだ。あの時、僕とおじさんはソウルメイトだった。

最高のステージを見ていたはずの僕は、気がついたら真っ暗なアスファルトの上を歩いていた。これはサイコ小説ではなく<フジロック>回想記なので説明すると、酩酊し、いつの間にか機材車や関係者移動に使われるバックヤードを歩いていたらしい。アーティストパスを持っているだけの危険人物。メンバーのみんな、ごめん。ヘベレケになっているだけとはいえペーペーの僕が平気でバックヤードを歩いているのはギリアウトな気がしていた。しかし、もう遅い時間なのでほとんど人も機材車も通ることはなく、まるで異国の地を歩いているような感覚に包まれた。雨が葉っぱに当たる音と、自分の足音以外ほとんど無音。

森に囲まれた蛇行する一本道をクネクネ歩き、左に寄るとLCDサウンドシステムのバチバチしたサウンドが遠くから聞こえ、右に寄ると雨音がピトピト聞こえてくる。何だか、今まで一般客として訪れていた<フジロック>では味わえない世界を全身で感じている気がして、本当に心地よかった。帰れるだろうか。「目印はあの夜空に伸びるレーザーみたいなライトだけだ」と自分を励ます。一本道だから普通に帰れるのに自分を励ましていた。

2日目の#俺のタイムテーブル
never young beach→アヴァランチーズ→ザ・レモン・ツイッグス→Cornelius→Tempalay→くるり→LCDサウンドシステム→パンツ干す