1999年5月に、シングル『透明少女』で鮮烈なメジャーデビューを果たし、2002年11月、惜しまれつつ解散した、日本を代表するオルタナティヴ・ロックバンド、ナンバーガール。今年、デビュー15周年にあたり、活動中に発表した3枚のオリジナル・アルバムを、彼らの盟友デイヴ・フリッドマンによりリマスター。その第1弾となる『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT 15TH ANNIVERSARY EDITION』が本日5月22日(木)に発売となった。
先日発売に際し、岸田繁(くるり) ホリエアツシ(ストレイテナー)などナンバーガールにゆかりのある著名人からのコメントを紹介したが、今回はその第2弾を紹介する。さらに本日、YouTubeにて貴重なPV&ライヴ映像がアップ。詳細はページ最後をチェックだ。
ナンバーガールにゆかりのある著名人コメント第2弾を紹介!
対バン前、ロフトの楽屋でネタあわせしていると、眼鏡の青年が入って来て「差し支えなければどうぞ」と一升瓶をドンと置いてソファに座り実話ナックルズを読み始めた。それが向井さんとの初対面でした。2001年だと思います。本当に福岡市博多区から来たんだなと思いました。ナンバーガールの解散宣言は突然すぎて(何しろ数日前に4人はグループ魂のコント収録に参加していたのだから)驚きましたが、じゃあもし解散せずに今も続けてたらどうなっていたかというと、正直まったくイメージできません。ということは、あの時点でナンバーガールは完結していたんだなあと1枚目から順に聴き返しながら感じています。そして4人が今も音楽の現場で闘っていることを頼もしく感じると同時に、コントをやらせたことを本当に申し訳なかったと思うのです。
–––––宮藤官九郎
どれもこれもぜんぶこの命に入ってる! 我が刹那、我が永遠
–––––椎名林檎
1999年、中学3年のある日の夜中。うちのメンバーの湯浅に借りた、録画したCSの音楽番組が色々詰め込まれたビデオを観ていた。その中に<RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO>でのNUMBER GIRLのパフォーマンスがあった。青空の下、『透明少女』を演奏する4人の姿に釘付けになった。4人の後ろに広がる青空は、鋭利的で、睨みつけるように加速していく、爽やかで、刺すような、僕の知らないものだった。結局、その映像が好きすぎて、湯浅から借りたビデオは返さなかった。あれから15年が経つ。野外でライブをするたびに、あのNUMBER GIRLの佇まいを思い出す。僕も自分だけの青空を背負えるような、バンドマンになりたい。
–––––小出祐介(Base Ball Bear)
台湾で生まれ育ち、90年代当時、まだガキだった僕。すでに解散していたPIXIES、伝説となっていたNirvana、UKのBlur、…などの影響でロックに目覚めた。オルタナティヴバンドが、絶頂期を迎えていたあの頃。僕に影響を与えたロックは、ほとんどが欧米からだったと記憶している。19歳の頃、NUMBER GIRLと出会うまでは。向井、中尾、田渕、イナザワ。この個性的な4人は、「アジアでも、こんなかっこいいロックが出来る」という、全てを一新するような想像力を、僕に与えてくれたんだ。
–––––洪申豪(透明雑誌)
★デビュー15周年記念! 『School Girl Distortional Addict 15th Anniversary Edition』より“タッチ”、“透明少女”、“日常に生きる少女”他がYoutubeにて公開!
“DISTRUCTION BABY”
“日常に生きる少女”
IGGY POP FAN CLUB LIVE(99年3月SXSW)
“タッチ”
“透明少女”
Release Information
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