【スコット・ヘレンとは?】「オープン・マインド」なヒップホップに突き動かされたアトランタ生れの才人

今回の特集の主人公はギレルモ・スコット・ヘレン。アメリカの南部アトランタという街から来た。スペインのカタルーニャの血を引く父とアイリッシュとキューバ系の血を引く母の間に生まれたスコット少年は80年代に地元のスケートボードリンクに通い詰める。そこで出会った音楽は当時勢いを増していたマントロニクスなどのエレクトロ。そしてまだまだ黎明期にあったヒップホップ。それらの出会いがスコット少年を音楽に向かわせることになる。

重要なのは、彼がそこで出会ったヒップホップの姿とは、後に広まることになるアフリカン・アメリカンによるステレオ・タイプなBボーイスタイルのヒップホップではなかった。彼が出会ったのは白人、黒人、ラテン系まで様々な人種がシーンの中に混ざり合い、音楽的にもそれこそパンクからニューウェーブ、そしてブラジル音楽までなんでも貪欲に取り入れていくあらゆる音楽の可能性に対して「オープン・マインド」なヒップホップだった。この経験が彼の音楽への向き合い方を決定づける。

スコットは様々な名義を使い分けながら実に多様な音楽スタイルを表現するが、その根本には彼がヒップホップから学んだこの「オープン・マインド」なアティチュードがあり、単に「エレクトロニカ」や「グリッチ・ヒップホップ」という彼の音楽の一側面を切りとった“ジャンル名”だけでは捉えて損ねる彼の多面性を理解するカギになる。

またここで彼のキャラクターについても少し言及しよう。筆者は何度かスコット・ヘレンと話したことがあるが、基本的にはシャイで人を寄せ付けないオーラがある人。ただ意外なのは見た目よりずっとBボーイっぽい喋り方で、一度話に火がつくと完全ノンストップで熱く喋りまくること(笑)。かなり口も悪いけどそんな熱いところも最高にカッコいいのがスコット兄貴。

【プレフューズ73とは?】伝統的なサンプリングを中心に「ビート」を追求するのがプレフューズ73。クリエイションのお供はAKAI MPC。

まずスコット・ヘレンのキャリアを理解する上で理解すべきは、スコットの名義の使い分けの特徴は名義ごとに音楽制作の取り組み方のルールがあること。カタルーニャ民謡やブラジリアン・サイケなどのルーツ・ミュージックを追求するサヴァス&サヴァラスに対し、彼自身の最大のルーツである「ヒップホップ」に取り組むのがプレフューズ73。この名義においては「AKAI MPCによるサンプリングのみで作り上げるビート・ミュージック」という制約を課すことにかなり意識的にキャリアをスタートしたと言える。

プレフューズ73の始まりは以下のような経緯。まずスコットは地元アトランタでDJやスタジオ・プロデューサーなどをしながら自分でも音楽制作を始めた。アーティストとしてのキャリアのスタートは90年代後半にカレッジに通うためにNYへ拠点を移してから。97年にデラロサ&アソラ名義でいわゆるエレクトロニカ的な作品『スリープ・メソッド・スイート』をリリース。そして2000年にはサヴァス&サヴァラス名義で後の作品と比べると大分アンビエントなジャズっぽさが強い作品をリリースした。これらポストロック/エレクトロニカ的な試みをした後、遂にルーツであるヒップホップに取り組んだのがプレフューズ73だ。

そして’01年に誕生したのが、デビュー作『ボーカル・スタディーズ・アップロック・ナラティヴズ』。当時少しずつクロスオーバーしつつあったエレクトロニカとヒップホップを見事に融合させたマイル・ストーン的作品でもある。スコット自身の「ヒップホップのエゴをぶっ潰そうと思った」という言葉通り、ヒップホップにおける重要な要素である「ラップ」をサンプリングでズタズタに切り刻み、ホワイト・ノイズでコラージュし直し、ビートを再構築。この手法は「ボーカル・チョップ」と名付けられ(スコットはこの手法は自分が発明したのではなく、前から近しい手法はあったと言っている)、以後雨後の筍のように模倣犯を生むことになる。そしてヒップホップに革命をもたらしたという高い評価と共に「エディットの魔術師」としての名声は一気に膨れ上がる訳だが、ここからがスコットらしいキャリアの始まりになる。それは「メインストリームからは常に距離を取る」、「新しい動きに常に目配せをし、貪欲に取り込んでいき常に変化・進化する」という芯の通った信念、つまりスコットがヒップホップから学んだ一番重要なメッセージの体現である。

【プレフューズ73のこれまでの作品】「ビート」の探求からアンビエント/ドローンへの接近まで幅広い振れ幅を持つ過去の作品群