① 多様な音楽性を取り込んで進化/変化を遂げてきたカメレオン・バンド
photo by Sam Christmas
冒頭でも「良い意味で節操がない」と書いたが、ファンならご存知の通り、プライマル・スクリームはアルバムごとにガラリと音楽性を変えてきた。それは、今や唯一のオリジナル・メンバーとなったボビー・ギレスピーのアタマのなか(≒今のモード)がダイレクトに反映されるからだろうし、ボビーの性格上、ひとつ前のアルバムと似たようなことはやりたくないのだろう。
なにしろ、ライヴでも完全に封印している1stアルバム『ソニック・フラワー・グルーヴ』(1986年)は唯一のネオアコ/ギター・ポップ作品だし、セルフタイトルの2nd『プライマル・スクリーム』(1989年)は骨太なガレージ・ロック、初のヒット・シングル“Loaded”を収録した『スクリーマデリカ』はアシッド・ハウス/サイケデリックを取り込みダンス・ミュージックに昇華……と、最初の3枚を振り返るだけでも見事に音楽性はバラバラ。ごく初期のデモ・テープではゴミ箱を叩いて音を出す実験的なアプローチも行っていたようだし、オリジナル・ソングを書き始める前はヴェルヴェット・アンダーグラウンドやバーズの楽曲に、ジャー・ウォブル(元PiL)やピーター・フックのベースラインを融合したカヴァーにも挑戦していたそうなので、「思いついたことは全部やってみる」ボビーの精神性は今も昔も健在なのだ。もちろん、現在に至るまでバンドの「頭脳」としてボビーを支えるギタリスト、アンドリュー・イネスのアイディアも大いに尊重されていることは言うまでもない。
▶ Primal Scream – Velocity Girl
▶ The Stone Roses – Made Of Stone
↑ストーン・ローゼズのギタリスト=ジョン・スクワイアは初期プライマルに多大な影響を受けたそうで、彼らの代表曲のひとつ“Made Of Stone”は明らかに“Velocity Girl”を下敷きにしている
コロコロと音楽性が変わるのと同様に、バンド・メンバーが次々と入れ替わり立ち替わりするのもプライマル・スクリームの特徴だ。ダブに接近した5th『バニシング・ポイント』(1997年)では、解散したストーン・ローゼズからベーシストのマニを迎え、彼はその後もローゼズが再始動する2011年まで主要メンバーだった。また、〈クリエイション・レコーズ〉の盟友でプライマルのリミックスも担当していたケヴィン・シールズ(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)は、一時的にギタリストとしてツアーにも帯同。2005年の<フジロックフェスティバル>のステージには、当時オリジナル・メンバーで再結成したダイナソーJr.のJ・マスシスも飛び入りし、結果的にジーザス&メリーチェイン(ボビーは初期ドラマーだった)、ローゼズ、フェルト(マーティン・ダフィ)の元メンバーに加え、マイブラとダイナソーJr.のフロントマンまでもが一堂に会するというオルタナ・ファン感涙の名シーンも……。
マイブラといえば、マニが脱退し、現ベーシストのシモーヌ・バトラーが加入するまでの穴を埋めたのはデビー・グッギだったし、リトル・バーリーのバーリー・カドガン(ギター)が、サウンド面でもビジュアル面でもバンドに貢献し続けていることは忘れてはならない。
次ページ:② あまりにも手広い交友関係と、ジャンルを超えたコラボレーション