ravenkneeのデビューEP『PHASES』のリリースパーティーとなったこの日。
「東京インディー・シーン」は確かに存在するけれど、その呼称を更新したくなるほど、この日登場したミレニアル世代のバンドたちは貪欲に国内外の音楽やアートをインプットし、各々料理しアウトプットしていた。大雑把な言い方をすれば、D.A.N.やyahyel、ceroを兄に持つようなリスナーに近い視線と、“兄たち”のセンスやスキルを血肉化していく速度を持った存在に映った。日本の音楽は変わる、そんな嬉しい予感はそこここで誕生しているが、この夜もその一つだったのだ。
Report:ravenknee Release Party
イベント名でもあるDJチームTIPSがスピンするのもThe fin.やyahyel、Omoinotakeだったり、この日のラインナップと地続きな選曲だ。
そこに一番手で登場したのはひときわ若く見えたSusedd。ギター×2、ベース、ドラム、キーボードのシンプルな編成だが、ドリームポップと透明なシューゲイズ感、さらには今のポップスとして通用するAOR的なフレーバーも消化していることに驚きが。
ギターもキーボードもボーカルを取るが、二人とも少年性の残るまっすぐな声ながら初見のオーディエンスに届く表現力を持っていて、伸び代しかない印象を持った。
Susedd – Madness
続くPOINT HOPEはジャンル感こそ異なるが、ravenkneeとは好敵手と彼ら自身認めている盟友。ユニークなのはポストロック的な変拍子、エレクトロの浮遊感や映像喚起力を持ちながら、ボーカルが日本語フォーク的な印象を残すところだ。日常や旅情を感じる歌がストレートに入ってきつつ、演奏は様々なジャンルがハイブリッドされていて、メンタリティとしてはヒップホップと言えるような面白いバンドだ。
アフロビート調の曲でメンバーが各々鳴り物を異なるビートで入れる曲では、それこそceroやトーキング・ヘッズを思わせる部分も。その上、男女コーラスにはどこか初期ダーティ・プロジェクターズを想起させるところもある。手作りの詩集を販売していたりして、言葉に対する意思が明確なバンドだった。
文脈 / POINT HOPE (Official MV)
そして3番手のgato。演奏前から準備運動するマニピュレーター、ステージ上手にセッティングするドラムはパッドの調整にも余念がない。が、音楽性はもちろんスポーティなものではなく、フィジカルに訴えつつダーク。バックライトメインの照明でメンバーの表情は掴めない。
かすかにエフェクトはかかっているものの、スローやミディアムを少年と青年の間の声楽的な歌唱で聴かせるレアさ、度量はかなりなもの。生音とエレクトロが織りなす繊細さと狂暴さを行き来しつつ、アグレッシヴにアクションし、曲終わりでは静かに佇むボーカルのスタンスも強い印象を残した。
gato – dawn(Official Music Video)
いよいよこの夜の主役、ravenkneeが登場する頃にはnestは満杯に。ギター×2、ベース、ドラム、パーカッション兼マニピュレーターの全員が出すロングトーンが音の壁を作るオープニングで、彼らの色に染める。
1曲目はEP『PHASES』から日本語詞の“OCEAN”。音源に比べ、松本祥(Vo/Gt)の歌は演奏の中に溶け込んでいて、歌詞の意味合いより伸びやかな声そのものに意識がフォーカスされる。ROTH BART BARONの三船雅也の唱法にも似た印象を持ったのは、地声からファルセットに上り詰める表現にどこか神聖な部分があるからかもしれない。
ravenknee – OCEAN(Official Music Video)
さらにトラディショナルな力強さとエレクトロニクスが架空の森を出現させるような“透明な街”、そしてまだタイトルもない新曲も披露。その曲では祥はピンボーカル。繊細な歌唱はトム・ヨークやジェイムス・ブレイク直系というか、メッセージを大声で歌うタイプのボーカリストとは対極の、パーソナルだからこそむしろ普遍性を帯びるタイプのravenkneeというバンドの軸なのだと実感する。
祥は仲間たちの熱演によってプレッシャーを感じていると正直に吐露。確かに3バンドが各々、30分の持ち時間に遠慮も馴れ合いもない態度でライブを展開した様は、revenkneeへの最高の祝辞であると同時に挑戦状でもあっただろう。同時に祥の素直さも垣間見えた。
さらに人力ダブステップでは“paint”に安田照嘉(Ba)と東克幸(Dr)のリズム隊のシュアでアイデアあふれるプレイと単音の配置が特徴的な松本一輝(Gt)、加えてエモーショナルな高音でボーカリストとしての本領を発揮する祥。この曲ではレディオヘッドの“15Steps”およびアルバム『In Rainbows』期のリズムアプローチに近いものを感じた。神聖さやメロディ、シンセやSE使いでレディオヘッドの影響を感じるバンドは少なくないが、アフロビートや新世代ジャズをグラスパー経由ではなく、ロックバンド経由のリファレンスで消化している印象。個人的にはそれがravenkneeの個性に感じられた。
本編終盤はインディポップ的なファンクネスを持った“super F”、英語でありつつドイツ語っぽいニュアンスを感じる発音、エレクトロとフュージョン・サウンドのハイブリッド感がこのバンドならではの“OVERDOSE”。クールな生音×エレクトロでまとめてしまわずに、ギタリストの一輝がギター・ヒーローばりにテクニカルなソロを弾いた場面では、簡単に小さな枠に収めることのできないこのバンドの変態性ににやつきが止まらなかった。
それこそが、冒頭の「東京インディー・シーン」という呼称の窮屈さでもあり、彼らのように様々なバックボーンを持つメンバーが、それでも一つの曲を成立させる面白さが、そんな呼称を更新していってくれるのではないかとも思わせたのだ。
ravenknee – OVERDOSE(Official Music Video)
アンコールではギタリストの一輝と別ユニットphaiを組むKazutaka Sawaを迎えて、EPにも収録されているかなりアゲアゲなバージョンに変身した“paused”が披露された。ひととき、フロアの空気を変えてすぐ去っていったSawa。
フロアも笑いに満たされ、リリースパーティーらしいファンなムードになったところで、正真正銘、ラストの“daydreaming”。平歌では音数は少なく、プリミティヴなビートもジャズマナーなギターも一音一音が明瞭に聴こえるアレンジだが、アウトロに向かってジャムバンドのような怒涛のアンサンブルに変化していくこのバンドのダイナミズム、決して予定調和ではないバンドとしてのタフさも確認できた。
ravenknee – daydreaming(short ver.)
さらにストイックにスキルも曲のオリジナリティも磨いていくのか。日本語詞の楽曲に感じられた日本のバンドを聴き慣れた耳にも寄り添っていくのか。いい意味でまだまだ振り幅の大きいravenknee。違う個性の人間が接地点を探りながら作り上げる音楽の面白さをしばらく見守っていきたい。