1999年生まれの音楽家、松永拓馬が2ndアルバム『Epoch』をリリースした。本記事は同作においてプロデュース、ミックスに携わった篠田ミル(yahyel)も同席のうえ実現したインタビュー記事である。
松永拓馬は2021年に活動拠点である相模原市での生活やライフスタイルを表現したEP『SAGAMI』をリリース。アンビエントや電子音楽とラップが一体となった唯一無二の音楽性は、2022年にリリースした1stアルバム『ちがうなにか』でさらに深化。東京を拠点に活動するレイヴ・クルー「みんなのきもち」とのリリースパーティーも話題を呼び、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が設立した音楽作品賞『APPLE VINEGAR -Music Award-』にもノミネートされ、各方面で注目を集めた。
今年に入って届けられた『Epoch』は、篠田ミルとともに約1年半の時間をかけて制作されたという。松永拓馬は謎多き人物だが、今回のインタビューではその生い立ちからシーンにおける立ち位置まで詳しく掘り下げた決定版と言っていい内容である。取材は長時間に渡ったので、前編にあたる今回は「松永拓馬とは誰か」に焦点を当てた内容だ。後編では『Epoch』の楽曲制作について具体的な話に触れていくので、合わせてご覧いただきたい。
【INTERVIEW】
松永拓馬 × 篠田ミル
音楽との出会いとシュタイナー教育
まず、松永さんと音楽との出会いについてお訊きしたいです。過去のインタビューでは「小中学校でバイオリンやオーケストラをやっていたと話していますが、それは習い事だったんですか?あるいは学校の楽団とか?
松永拓馬(以下、松永):(バイオリンは)習い事としてやってました。学校にも小さなオーケストラがあって、そこでもやってましたね。
その経験は現在の制作に影響していると思いますか?
松永:最初に音楽に触れるタイミングに近かったっていうか、自意識も出始めたばかりだし、そこで最初に触れたのがバイオリンだったから、めっちゃ影響してる感じはします。小中高一貫の学校に通ってて、特殊な音楽の授業をやってたんです。例えば、タムタムっていう楽器を授業で使ってアンビエントセッションみたいな感じで演奏をするとか。初めて音楽を作るってなると、そういう昔のフィーリングを引き出しから持ってきちゃうところがあるから、それで自分が作るものはこういう作品になったのかなって気はします。
篠田ミル(以下、篠田):拓馬にその学校にある楽器を見せてもらったんですけど、わりと誰でも演奏できる楽器というか、叩いたらとにかく倍音がすごく含まれた音が鳴って、それをみんなで合奏するみたいな。みんなで空間の鳴りみたいなものを意識しながらやるらしくて。
松永:学校は特殊でしたね。その楽器を作ったのはドイツの職人なんですけど、めちゃくちゃ揺れがやばいっていうか、説明できない鳴りがすごいんです。(動画を見せながら)これは先週行って、こういう感じの楽器がいくつもあって。
他の科目も特殊なんですか?
松永:他の科目も特殊でした。音楽の話で言えば、笛とかもあるんですけど、普通のプラスチックのリコーダーじゃなくて、音程の規格はリコーダーだけど木で作られていて、全然鳴りが違う。小学校低学年の時の笛はドとファが鳴らないんです。わらべうたとかはドとファがあまり入ってない音階が多いから、小さい子のフィーリングに良いみたいな考え方。ドイツの哲学者・シュタイナーの考え方に影響を受けてるらしいです。シュタイナーが「〇〇歳まではこの音が理解できない」とかを提唱していて、それに基づいてやっていくんです。その年齢の時に開いてる感覚と、今開いてる感覚って違うじゃないですか。それに合わせた音楽というか。
音楽にだけシュタイナーの理論を持ち込んでいたんでしょうか?
松永:けど、ダ・ヴィンチのノリっていうか、シュタイナー自体がめちゃくちゃいろんなことに突っ込んでいて、音楽についての言及もあるし、建築とか教育もやってる。
篠田:教室の構造も普通の学校とは違うらしいんですよ。
松永:うちは元々あった校舎を使っているけど、ドイツとかは児童の成長過程を意図して作られているんだと思う。実際に見たことはないんですけど。
ちなみにその学校ってどこですか?
松永:シュタイナー学園です。相模原市の藤野にあって、親が入学させたいからって引っ越したんです。元々は東京で生まれました。
ご両親は音楽をやっているんですか?
松永:いや、親父はサラリーマンだし、お母さんも働いてます。
小学校で受けた教育が音楽の原体験なんですね。
松永:そうですね、教育の影響はデカいと思います。
もしその小学校に入っていなかったら今のような音楽性ではなかったかもしれないと思いますか?
松永:なかったのかもしれないかなって思いますね。
篠田:小学生の時に西洋楽器とは違う複雑な倍音がある楽器を自由に演奏するなんてないもんね(笑)。
「こうキてほしい」みたいなのは結局自分で作らないと埋められない
以前のインタビューではバッハ、坂本龍一、葉加瀬太郎といった名前も挙げられていましたよね。
松永:元々音楽はそんなに聴いてなかったんですけど、バイオリンを習い始めると自分が弾けるようになるためにクラシックを聴くようになりましたね。小学生の時は趣味で聴くことはしてなかったんですけど、だんだんカッコいいことやりたくなってくるじゃないですか。その時に坂本龍一とか葉加瀬太郎が刺さったんだと思います。あんまりネットの影響下にはいなかったですね。だからヒップホップとかを聴き始めたのも中学生くらいからで、曲は全く良いと思わないんだけど、MVがカッコいいから見るみたいな。それでMV見てたら曲に慣れていきました。
特にどのMVが印象に残ってます?
松永:クリス・ブラウンの“Loyal”とか、ザ・ゲームとか、そういう分かりやすいやつですね。バズってるからアクセスしやすかった。あんまディグることはやってませんでした。
Chris Brown – Loyal (Official Video) ft. Lil Wayne, Tyga
The Game – Celebration ft. Chris Brown, Tyga, Wiz Khalifa, Lil Wayne (Official Music Video)
以前のインタビューではネリーなどの名前も挙げられていました。いずれもMVも含めて非常に「男らしい」音楽ですよね。
松永:そういうヴァイブスだったから、高校生ぐらいまではチャラついてた。自分は男兄弟だし、そういうのはある気がします。
それは『ちがうなにか』の歌詞にも少し表れているようにも感じます。アンビエントの穏やかなビートの中に「男らしい」リリックが入ってくるっていう。
松永:そうですね。そこがヒップホップとフィールする点で、親和性を感じているのはそこなので。
先ほどのクラシックのお話だと特に坂本龍一をリスペクトしている印象があります。坂本作品で特にお気に入りの作品について教えてください。
篠田:時期によって変わるよね(笑)。
松永:ずっと『async』だったんですけど、この前ミルさんと熱く語り合った日があって、「『12』じゃね?」みたいな。タイミング的にずっと聴けてなかったけど、いざ向き合うと「これかも」って。
篠田:僕もずっと構築的な『async』だったんですけど、「これだね」って(笑)。僕たちは今は、一筆書き的な感触がある『12』だなって。
松永:ベストは『12』なんじゃないかなって。ただ、高校生ぐらいまでは“戦場のメリークリスマス”とかのポップなピアノ曲を聴いてました。電子音楽家としての坂本龍一を知ったのは大学生ぐらいの時でした。そこでずっと好きだったピアノの感じが結びついて、「ここまで深めていってた人なんだ」と思って更にくらいました。
大学ではどういうことをされていたんですか?
松永:1年浪人して美大に行ったけど、3年の頭に辞めました。音楽をやりたかったのも理由ですけど、大学がつまんなかった。空間演出デザインっていう学科で、建築っていうよりインテリアや空間っていう概念でのファッションを学ぶ学科だったんですけど、言ってるだけで中身はないっていうか(笑)。「こんな感じなんだ、美大」って思っちゃって。就職するんだったら大学でできると思うんですけど、自分は別にそこ見てないし、就職がゴールじゃないし行く意味ないなみたいな。もっとシーンとか現場にコネクトした方が早いと思って辞めました。
意識して音楽制作に取り組むようになったのはいつからですか?
松永:一浪したタイミングかな。高校生の時ってラップがめっちゃ流行ってたじゃないですか。家でふざけてフリースタイルみたいなのをやって、なんとなく「韻踏むの楽しいな」って感じで自分でも歌詞を書いてたんです。曲を録ってみようってなったのがその時期かな。最初はタイプビートを使ってたんですけど、タイプビートって他人が作ったやつじゃないですか。「こうキてほしい」みたいなのは自分で作らないと埋められないから、タイプビートを探すのは時間の無駄だと思って作り始めました。
世代的に『高校生ラップ選手権』とかを見て歌詞書いたりしてましたか?
松永:そういう影響もあったかもしれないし、普通に歌手の真似とかしてたのかな。自分で言いたいことを書くっていうよりは、真似っぽかったかも。海外のラッパーが言ってることを日本語でイキって言ってみたり(笑)。自分は全然そういう感じじゃないのに書いてた気がします。
そのビート制作で使っていた機材について教えてください。
松永:無料だったので最初はGarageBandでした。でもGarageBandって一瞬で使いこなせるようになるじゃないですか。意外とすぐ限界が来るっていうか。それで次のステップとしてLogicかな、みたいな。GarageBandのちょっと上位互換って感じのものです。『SAGAMI』と『ちがうなにか』はLogicで制作しました。その後、ミルさんに会ったタイミングで「Abletonの方がいいじゃん」と思ってAbletonを使いはじめました。
Abletonにした理由はなんですか?
松永:俺もミルさんもシンセサイザーがめちゃくちゃ好きなんです。大きく言えばもう電子音楽そのものなんですけど、Abletonの作りはDAWっていうよりシンセとして俺は捉えてます。直感的にできるというか、解像度を上げれば上げるほどできることが無限にある。極めればMax for Liveまであるじゃないですか。それで電子音楽の極みみたいなことは全部できる。シンセの究極の答えというか。Logicは作曲ノリなんですよ。組んで組んで組んで……みたいな。Abletonはもうちょっとセッションっていうか、感覚的に作れるので自分の性に合ってたって感じです。
篠田ミルとの出会い
ミルさんのお名前が登場しましたけど、出会ったのはいつですか?
松永:『ちがうなにか』をリリースしたあと?
篠田:いや、リリースする前だね。会った時に「今作ってるんです」って言ってたから、2020年かな。
松永:最初は今回アルバムのアートワークを撮ってくれてる友人のやまけん(Kenta Yamamoto)の紹介でした。俺がまだ駆け出しで、右も左も分からず『SAGAMI』を出すだけ出した時期に、「会ってみたら?」って言われて。それで会って「今後どうしたらいいですか」って話して(笑)。その日の帰りの電車がミルさんと一緒で、「どういう音楽聴くんですか?」みたいな会話をしたら合致する点が多かったので、一緒に作ってみたいですみたいな。
篠田:「今はアルバム作ってるので、それが終わったら」って言われて、「オッケーでーす」って。
『ちがうなにか』は一人で制作したんですか?
松永:一人でやってました。その制作真っ盛りの頃にミルさんと会いました。
ミルさんから見て、松永さんはどういう印象でした?
篠田:共通の知り合いのケンちゃん(Kenta Yamamoto)から『SAGAMI』を聴かせていただいたときに、「やりたいことめっちゃ分かるな」って思いました。アンビエントとか電子音楽への興味がありつつ、でも根っこにはラッパーとしてのフレックスみたいなものもある。そういう塩梅で二つを混ぜた人っていないから面白いとは思いつつ、まだ駆け出しだったから、プロデューサーとして自分が介入することでサウンド的に面白いことができる気がしていました。それで会ってみたら「思い描いていることが尖ってんなこいつ」みたいな(笑)。「かましてくるな」って。
松永:いやぁ、そんなつもりはなかったけど、かましちゃうんだよな(笑)。恥ずかしい。
篠田:でも共通の知り合いに「拓馬は可愛いんすよ。いっちょ前の口利いてくるんすよ」みたいにも言われてて(笑)。多分互いに人見知りするタイプだから、みんなでいる時はあんまりうまく話せなかった。帰りの電車で「最近なに聴いてる?」みたいな話でフィールした感じです。
帰りの電車では具体的に誰の話をしていたんですか?
松永:坂本龍一だったりかな。
初めから坂本さんの話をずっとしているんですね。
松永:けど、ミルさんは俺より全然電子音楽に詳しいって後からどんどん気づいて、調子乗ったこと言ってたなって(笑)。
2024年1月の最新作『Epoch』では篠田ミルさんがプロデューサーとして参加していますが、前年の3、4月には“One”と“Vivid Days”というシングルが出ています。こちらにも篠田さんが参加していますが、“feat. Miru Shinoda”という表記ですよね。この違いは意図したものですか?
松永:違いは明確にありますね。俺の感覚的にはその2曲はビートを作ってもらって歌う感じでした。『Epoch』はもうちょっとプロジェクトというか、全く別物です。
ということは、この2曲ではヒップホップで言うところのプロデューサーとラッパーみたいな関係性だったんですか?
松永:制作スタイルは本当にそう。プロデューサーとしてミルさんが(トラックを)作って、俺が後ろで座って「こうかもこうかも」って歌う。でも“One”のコードとかは自分で作ったのかな。
『ちがうなにか』がアンビエント的である一方、“One”はポップなディスコ調ですよね。インディ・フォーク的な“Vivid Days”もタイトルから明るい雰囲気なので、少し意外な転換だと思っていました。それを踏まえると『Epoch』ではアンビエントに近い領域に戻ってきた印象があります。
篠田:それは大事なポイントですね。
松永:2023年の1月とか2月くらいにEPかミックステープを出そうとしてたんですけど、「違うな」と思って全部ボツにしたんです。目先のことを意識しすぎたんですよ。出さなきゃって焦ってはいたんだけど、長い目で見た時に意味ないなと思ったんです。でもリリースしたい欲求みたいなものは満たしておかないと次進めないんで、とりあえず形にできそうだったその2曲を出しとく、みたいな感覚でした。
篠田:作り方も関係性もコミュニケーションも、二人での最初の制作は手探りでした。どうやってお互いにとって未知の創造性を出していくか、一年くらいかけて手探りでやっていく中で形になったのがその“One”と“Vivid Days”です。拓馬が言ってるように、あと何曲かあったんですけど「全ボツでいっか」みたいな感じでした。もっといけるなと。拓馬がやりたいビジョンもわかってきたし、逆に自分もやりたいこととか音楽的な志向、あと影響を受けたものが変わっていった部分もあったので、二人でもっとやれるなと思いました。この2曲をリリースした時期くらいから今回のアルバム収録曲も本格的に作り始めましたね。
点と波
『Epoch』のプレスリリースにはギリシャ語の話が書かれていたりして、やや難解というか。
松永:ちょっと難解で、プレスリリースで言ったことは違うなって、今日否定したくて…。そもそも「大部分の音は、アナログ・シンセサイザーによってゼロから作成」というより、使用量で言ったらアナログシンセ半分、デジタルシンセ半分ぐらいなんです。というのも、そういう解像度じゃなくて、もっと「波」ってものに自分たちは向き合ったんです。
波というのは具体的に何を指すのでしょうか?
松永:ミルさんが言い出した話なんですけど、電気か電子かみたいな話をめちゃくちゃしたんです。例えばアナログシンセと同じ波形をシミュレートするシンセがあるじゃないですか。アナログシンセの名機をパソコンで再現するみたいな。それって音は一緒でも、そもそもの考え方が違う。ソフトシンセは「点」なんですよ。点の集合が波形になっている。けど、アナログシンセは流れてきた電気を波形に変えて、それが音になる。だからもう根本から違うから内容が違うよね、みたいな解像度になってきていて。
その考え方だとアルヴァ・ノトとか池田亮二がやってることがめちゃくちゃ納得できるっていうか、電子に向き合ったらそりゃ点になるよね、みたいな話。逆にフェネスとかティム・ヘッカーみたいな「うねり」だったらアナログだよねっていう。『Epoch』をやってる時にめっちゃ潜ってて、そういう解像度になっていったんです。波か点かみたいな考え方でやってたって感じですね。
篠田:僕が2023年の1月にProphet-5っていうシンセサイザーを買ったんです。2022年にデイヴ・スミスっていうProphetやMIDI規格とかも作った伝説的なシンセエンジニアが亡くなったんですけど、それをきっかけに買おうと思って。坂本龍一とかが使ってた70年代の名機なんですけど、2021年に復刻されてたんです。
それまで高級なアナログシンセに向き合ったことってあまりなかったんですけど、使い始めて色々考えた時にアナログ信号とデジタル信号って根本的に考え方が違うなと思って。だから音の鳴り方も似せることはできても全然違うんです。どっちが良いとか悪いとかではなくて。アナログ信号の場合は連続的な情報だし、デジタル信号だったら一見連続的な波に見えるけど、実は大量の点が集まってる。だから鳴り方が違うよねみたいなことに、だんだん気付いたんです。
松永:で、『Epoch』はどっちもやった。最初は点だったんです。制作初期の段階で影響受けてる楽曲とかはそういうのが多い。例えばマーク・フェルとか、ベアトリス・ディロンとか。その前はエイフェックス・ツインとかレイ・ハラカミだったんです。レイ・ハラカミも、結局サイン波良いよねみたいな着地点だった。
そういう、点に近いデジタル的な音だったんですけど、制作が終わった日にフェネスとデヴィッド・シルヴィアンの曲を聴いて、「え、うねりじゃん」みたいな。そしたらミルさんが点と波の話を始めて、「うねりだ!」って。それから曲も1個のうねりとして捉えられるな、みたいな解像度になっていって、よりやりたい音楽のビジョンが固まっていきました。
篠田:色々あって点になってた時にサイン波フェーズっていうのがあって。ピュアなサイン波は自然界にはないと言われている究極の波形なんです。どんな波でもサイン波に分解できるっていうフーリエ変換という理論があって。じゃあ一番ミニマルなサイン波からやってみようってなったんです。
松永:一番絞ったらサイン波だよね、みたいな。
篠田:“Oh No”とかはそのフェーズで作ってたよね。それでやってたんだけど、フェネスを聴いた衝撃もあって、サイン波の良いとこでもあるし悪いとこでもある倍音の無さにちょっと物足りなくなって。それでうちにあるProphet-5とか拓馬の家にあるシンセとかも使ってみるか、というように制作も変わっていったんですよね。
アナログという波を発見して方向転換したんですか?
松永:いや、転換っていうか次に進んだ。そういうことが何回かあったっていう感じですね。
フィールされて、みんな巻き込まれて出来たプロジェクト
では『Epoch』の制作の始まりについて伺いたいのですが、曲順と制作の順番はリンクしていますか?
松永:意外としてますね。一曲目“July”は2023年7月に作った曲で、俺的にはそこから『Epoch』が始まったんです。その3日前に撮った写真がジャケの写真です。別にジャケを撮ろうとしたわけではなく、友達のやまけん(Kenta Yamamoto)が水中で使えるフィルム持ってきたから使ってみたって感じで、(川に)潜って撮ったんですよ。そのときに「え、やば」みたいになって。そのタイミングで自分はこういうこと言いたいかもみたいな感覚が出てきて作ったのが“July”なんです。
その写真はどこで撮ったんですか?
松永:あれは俺ら的な聖地があって(笑)。水がめっちゃ綺麗な川があるんですよ。
もしかして今のアーティスト写真もその岩場で撮ったものですか?
松永:そうですね。あれもめっちゃキメて撮ってる感じするじゃないですか。でも全然違くて、遊んでるときに暑くて座っていたのを撮られただけなんです。だからキメて撮ろうみたいなのは全くなくて。
バシッとプロダクトとしてキメているように見えていました。
松永:そうじゃないから、達成感がありました。ピュアにできた。ああいうのって狙ってできない。『Epoch』の制作スタイルも似ていて、普段遊んでたりとか日常で感じる悦びとか波動をサウンドに細かく落とし込んだっていう解釈の方が正しいのかな。ミルさんともシンセサイザーとか電子音楽に対する理解を深めながら作ってはいたけど、それも遊んだりとかしながら、お互いにフィールしながら形になっていったから、そういうことなのかなって気が最近してます。
篠田:アルバムの終わり時も分からなかったよね。
松永:やっぱ想定して作れるものって限界あるというか、もうちょっと有機的な流れに任せた方が絶対にいい。
ちなみに『ちがうなにか』のジャケはどこで撮ったんですか?
松永:あれは撮りに行ったのかな。けど、別にアルバムのジャケを撮りに行こうとしてたわけじゃなかったんです。Reina Kubotaっていう『SAGAMI』も撮ってくれたフォトグラファーがいるんですけど、その人が遊んでいるときに撮ってくれたって感じですね。そしたら、やっぱその時期にReinaとめっちゃ遊んでたから、その雰囲気がアルバムにも出てるっていうか。やっぱ日常でポロっとできるものが一番リアルだし、一番刺さるかなって感じはしてるから、曲だけじゃなくてビジュアルとかアートワークも全部徹底したいですね。
アートワークのデザインはAtsushi Yamanakaさんという別の方がクレジットされています。ピュアに撮れたという写真をそのまま使うのではなく、デザイナーに依頼して仕上げたのにはどういう経緯があったんですか?
松永:まず出来上がった音源を最後どうするかみたいな話で、Wax Alchemy(諏訪内 保)っていう伝説的なエンジニアにマスタリングをお願いしたんですよ。そしたらありえない仕上がりになって、スタジオでもかまされまくった。こんなに仕上げてくれたんだったら、アートワークももう一段階上げたいと思ったんです。やまけんはフォトグラファーなんで、ここはやっぱデザイナーにバシッと決めてもらいたいなと思って頼んだって感じです。
マスタリングというリリースの最終段階でアートワークにも手を加え直したんですね。
松永:はい。同じことをアートワークでもしようと思って。だけど、やっぱアツシ(Atsushi Yamanaka)さんも、Wax Alchemyも、めちゃくちゃ『Epoch』にフィールしてくれてるのがデカかった。ただ依頼しただけじゃない関係性。
篠田:その二人とも僕は他の作品で一緒にお仕事をしてて、ずっと関係性あるんだけど、ただ依頼した感じじゃなかったよね。
松永:エンジニアって、マスタリング頼んだらバーっと仕上げるだけじゃないですか。エンジニアは自分の意思を出さないっていうか。そうじゃなくて、スタジオでめっちゃアドバイスされたんですよね。それもめっちゃくらった。だって普通は言ってこないじゃないですか。なのに、この人はプロジェクトをもっと良くしようとやってくれてるんだと思って、それがすごい嬉しかった。
元々そういう方なんですか?
篠田:元々マスタリングの合間にわりと長く時間をとってお話してくれる方ではあるんですけど、拓馬と行ったときは人一倍長かったです。
松永:午後2時ぐらいにスタジオに行って、最初に音を出したのが午後5時。そこからもまた音止められて、本当にやり出したのは0時ぐらいから。それまではセッティングみたいな。
篠田:俺らのチューニング。
松永:そこがすごいなと思って。チューニングさせられましたね。お前らこんなチューニングじゃダメだよって。茶をしばかれたりとか
篠田:茶人なんですよ。
松永:和ろうそくっていう、 櫨(はぜ)ろうそくっていう伝説のろうそくが俺的には一番かましだったな。昔から日本人がずっと使ってるものなんですけど、芯が和紙の層になってて太いんです。つまり全体が天然のものでできていて、「地球からできた火」みたいなものだって。だから光源として一番ピュアだよねって話してくれて。「お前は光に金かけたことあるか?」って。それで3時間真っ暗な中、ずっと和ろうそくが消えるまで見させられた。
篠田:この和ろうそくだけを、暗い部屋で消えるまで眺める。最後真っ暗になるまで集中力を保って、感性がチューニングされた状態でマスタリングに臨むんだと。
松永:そしたら耳が全然違うんですよ。だから、和ろうそくって光源の正解なんですよ。答えはいっぱいあるんですけど、ずっと昔からこの形でやってて、答えが叩き出されたプロダクトなんです。昔の日本の彫刻とかも全部和ろうそくの揺らぎの中で作られてるらしくて、日本人の精神的なところに訴えかけてくる。そしたら坂本龍一の『12』とかも和ろうそくじゃん!みたいな感じになって、全部結びついていっちゃって。
篠田:和ろうそくって手で職人さんがろうを巻いてるから、1本1本ストーリーが違うんです。燃え方とかろうが垂れていくのを、「ろうそくが泣く」っていうんですけど、その消えるまでのストーリーが1本ずつ全部全く違くて。
松永:それを愛でる、みたいな。めっちゃやばい、サグい(笑)。
篠田:マジ変態。悪いよね。
松永:だってやばいすよ。真っ暗な部屋で男3人で3時間ずっと同じの見てるって。イカれてるでしょ(笑)。
その間は会話はあるんですか?
篠田:会話はあります。見ながら会話するのが大事。
火以外は見えないんですね。
松永:でも、その光が明るくてめっちゃ見えるんです。
篠田:しかも火がかなり熱い。
松永:それで民藝にもくらったというか。『Epoch』は民藝だったなって。 音楽って今誰でも作れるじゃないですか。
制作や発表のハードルは下がっていますね。
松永:それって民主化されたとも言えると思うんです。で、美の民主化を言ってるのが民藝なんですよ。やっぱ一般的にはアーティストって個人がどれだけかますかみたいな考え方じゃないですか。けど民藝はもうちょっと違くて、誰が作ったかっていうよりは美しいものは美しいっていう考え方。それは次の時代の答えだなって俺は思ってる。
『Epoch』もそういうところがあって、俺がめっちゃかましてやろうって感じで作ってたっていうより、フィールされて、みんな巻き込まれて出来たプロジェクトで、最終的にアルバムになったみたいな感じだった。だから自分の肌感覚では次の時代の答えを出した感覚があります。誰が作ってるのかっていうのを超えたい願望があって、それを先に言ってたのが民藝だと思うんです。しかも民藝って生活の中でどれだけ格好つけるかみたいなところもあって、プロダクトもめっちゃかっこいいし。だけどどこまで行ってもリアルな生活に根ざしている。それで、今は自分の興味がすごい広がってる感じがします。
篠田:西洋近代的な作家主義批判というか、特権的な作家とか作者みたいなものじゃない作り方を拓馬は模索しようとしてるように感じます。
こっち楽しいよ!
松永さんは「自己表現」ではない表現欲求を持っているのだと思いました。でも、ラッパーっていうのは自我の塊ですよね。
松永:そうですね。だからそこが変わったというか。『SAGAMI』はラッパー的なマインドだったけど、『ちがうなにか』から一気に方向転換した。自分の気持ちが変わった、ラッパーではないなと思ったんですね。今は別にラッパーの精神はそんなない、好きだけど。最初の頃はJUMADIBAとかとシーンが一緒だったから、ラッパーの人たちは多かったけど、俺はこうじゃないなみたいな気がずっとしてた。それでもうちょっと作品を作ることに向き合い始めるというか。音楽とか、自分の興味を深めることがやりたいなって感じでしたね。
今、自分ではどういうシーンに属している認識ですか?
松永:いや、どんどん逸れていっちゃってるから。属してなさ過ぎて。別に逸れようと思ってるわけじゃないんです。てことは、自分で作るしかないのかなって気はしてますね。分からせるために自分のシーンを作っていく必要もあるし、それを広げないと音楽は続けられないので。それが今一番の課題かな。
自分のスタンスを確立するって感じですか?
松永:それもそうだし、こっちおいで感あるというか、招き入れたい。こっち楽しいよ! みたいな。そこがもうちょっと分かってもらえるようになったら広がるのかな。自分がやってることが正しいし楽しいってことは分かってるから、認知を広げて、そういうフィーリングが広がるといいなって思います。
先輩である篠田さんにお訊きします。そういうフィーリングを広げていくにはどうすればいいと思いますか?
篠田:いやあ、どうだろうね…。
松永:やっぱフィジカルで分からせていくしかないのかな。
篠田:でも本当に、我々の興味ってやっぱ音響的なことにあると思うので、そういうフィジカルで分からしていくのは大事なポイントだと思う。物理的な振動だから再生環境によっても感じ方は全然違うし、多分普通の再生環境だと感じられていない部分があると思うから。
松永:例えば俺らは和ろうそくをやりながら『Epoch』を聴くとか、ありえないほど綺麗な自然のところでやばい曲聴きまくるみたいなことばっかやってるから、もうどこに行ってもそういう感覚で聴けちゃうけど、普通はそこまで感覚を絞ってない。そういう意味では、やっぱちゃんと空間を絞ってあげて、ライブとか音を伝えていくことでこういうことがやりたいんだなって理解してもらうこと。そうやって広がっていくといいなって感じですね。
篠田:セッティングも含めて音楽をプレゼンするってことだね。
松永:セッティングが大事です。どんな環境でも聴けばいいってわけじゃない。
篠田:そういう機会を増やしたいなとは思っています。実際にやろうともしています。
今、東京で面白いことやってる人たちで思い浮かぶのが「みんなのきもち」(東京を拠点とするレイヴクルー)なんですけど、彼らとはどういうきっかけで出会ったんですか?
松永:俺がみんなのきもちの第一回目に行ったんですよ。なんだこれ、このイベントやばいじゃんみたいになって。それで仲良くなって、アルバム(『ちがうなにか』)出すからリリースパーティー一緒にやらない? って誘ったんです。藤野の良い場所知ってるからそこでやろうよみたいな感じで。そしたら案の定イベントとしても話題になって、そこからその後のシーンのアンビエントの流れとかも一気にできたし。
Takuma Matsunaga – Vou Pegar(Official Video)
Video by Kenta Yamamoto
音楽的な違いはありますが、どういうところに共感しますか?
松永:音楽にしかない悦びみたいなのは大きく共有してる気がする。音って気持ち良いなみたいな。あと全員Tohjiの<HYDRO>に衝撃を受けてるってところは共通してて、まだ知り合う前だったけど、みんなあの場にいたってことが面白い。やりたいことの方向性は違うけど、みんなのきもちはトランスに対しての美学があって、セッティングだったり、やろうとしてることへの解像度が高い。色んなイベントがあるけど、大事なのって、芯から来るピュアさとかリアルさだと思うんです。だからそこはこだわりたいし、それを捨てたら終わりだなって。俺はあんま嘘がつけないタイプだから、例えば良いレーベルがあっても、そこで出すために曲を作るとかができない。だから結局ハマらなくなっちゃうっていうか。タイプビートの話と一緒で、そうなると自分たちでやるしかないから、 今みたいなスタンスになってるのかなって気がします。
ありがとうございます。では、それではそろそろ曲の話に戻りましょう。『Epoch』の話はまだ一曲目の“July”しかしてないので(笑)。
Text:最込舜一
Photo:Leo Iizuka
INFORMATION
Epoch
2024.01.31(水)
松永拓馬
1. July
2. Oh No
3. u
4. 森
5. もっと
6. Boys Lost in Acid
7. Owari
8. いつかいま
Written + Produced by Takuma Matsunaga & Miru Shinoda Mixed by Miru Shinoda(1-5,7,8) & Atsu Otaki(6)
Vocal Recording by Atsu Otaki (EVOEL Studio)
Mastered by Wax Alchemy
Art design by Atushi Yamanaka
Artwork by Kenta Yamamoto
2024/4/1
at Forestlimit
Open 19:00-
Entrance 2300(+1D)
Act:
Takuma Matsunaga
E.O.U+ Hue Ray
Ichiro Tanimoto
Flyer:
Reina Kubota