サム・リーという音楽家を知っているだろうか。普通の音楽家とは異なる異色の経歴を持ち、イギリスのトラヴェラーズと呼ばれる民族の伝統音楽に傾倒し、単なるフォーク・シンガーという肩書きにはおさまりきらない世界観を作り上げている若き奇才だ。
彼の音楽を聴いていると、「全ての文明の利器から離れ、ただ一人たき火の前で腰を降ろしているような光景」を思い浮かべることもできるし、「大都会の中をGoogle Mapを使って気の知れた仲間に会いに行くような光景」も思い描くことができる。それが彼の音楽を初めて聴いたときの率直な感想だ。伝統的な音楽を軸にしながらも、時代の先端を行くサム・リー。伝統的なのに、新しくて革新的な音楽を奏でる、そんな彼の背景に迫っていきたい。
■エリート大学生、喜劇役者、ダンサー、プロモーターという異色の経歴
まずは彼の経歴を紹介したい。というのも彼のミュージシャンに至るまでの経歴が非常に興味深いのだ。彼は若い頃からミュージシャンを目指していたわけではなく、ロンドンの芸術大学でファイン・アートを専攻する学生だった。また本格的に音楽活動をしていたわけではないが、バーレスクでダンサーや役者を務め、その一方コンサート・プロモーターとしても活躍するなど、各方面で才能を発揮していた。そんな多才なサム・リーの人生を大きく変えたのが、彼が25歳のときに出会ったある音楽だ。その音楽とは20世紀初頭から60年代にかけて録音された「トラヴェラーズ」と呼ばれる人々の伝統音楽。そこから彼は音楽家としてのキャリアをスタートさせることになる。またトラヴェラーズにのめり込み音楽家としてのキャリアを歩む一方で、その多彩な才能が評価され、音楽業界のみならず、役者やモデルとしても活躍している。音楽だけに留まらない彼のキャリアが、彼が生み出す独創的な世界に影響を与えていることは言うまでもない。
■サム・リーの人生を大きく変えたトラヴェラーズとは?
トラヴェラーズとはイギリスに古くからいる、一定の居住地を持たず、移動生活を行っている民族だ。その起源は古く、諸説あるが1000年近く前に大陸からわたってきたとも言われており、現在でもそのコミュニティは存続している。数百年にわたって、独自の歌や音楽が伝承されてきた。変わりゆく時代の中で、小さなコミュニティだからこそ丁寧に伝承されてきたトラヴェラーズの歌に、当時25歳の青年サム・リーは心奪われたのだ。
トラヴェラーズの歌を聴いたサム・リーは、実際にそれを真似て演奏することでは満足できず、トラヴェラーズの文化そのものを深く理解したいと考え、実際のトラヴェラーズのコミュニティを訪問する。そしてたくさんのトラヴェラー・シンガーを訪ねる中で、音楽はもちろん、文化そのものの教えを乞い、何年も生活を共にし、150曲以上の伝承曲を習得していく。