イギリス北部のウェストヨークシャーで結成されたジャーマン3兄弟によるスリー・ピース・バンド、ザ・クリブスが、通算7作目となる最新作『24-7 Rock Star Shit』を完成させた。

彼らのかねてからの憧れの人物だったスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎えたこのアルバムは、たとえるなら彼ら流のパンク・ロック・レコード。クリブス印のポップなメロディを随所に忍ばせつつも、全編にはいつになく荒々しくむき出しのギター・サウンドが広がっている。

つまり本作は、超低予算で制作された04年のデビュー作『The Cribs』から13年の間に人気バンドとなった彼らが、もう一度自分たちのルーツを見つめ、商業的な成功を気にすることなく、伸び伸びと好きなことを追究した作品なのだ。

とはいえ本作は、ジョニー・マーをメンバーに迎えて自身最大のヒットを記録した09年の『Ignore the Ignorant』と同様、キャリア最高位となる全英チャートの8位を記録している。本作に込められた思いや制作中のエピソードを、3人にメール・インタビューで聞いた。

Interview:ザ・クリブス

【インタビュー】ザ・クリブス 本能に従って制作された『24-7 Rock Star Shit』の裏側を明かす interview170907_thecribs_2-700x1050

——何でも、今作のもとになった楽曲のうち4曲は元カーズのリック・オケイセックを迎えた前作『For All My Sisters』と同時期に制作が進められ、一時はそれらをダブル・アルバムとしてリリースする構想があったそうですね?

ゲイリー いつの間にか、話が少し事実とは違ってきているみたいだね……。僕らがスティーヴ・アルビニと4曲を作ったのは2011年12月のことで、ちょうど『In The Belly Of The Brazen Bull』をレコーディングしていた時期だったんだ。で、そのうちの1曲“Chi-Town”はアルバムに収録されることになって、残りの曲は後のために取っておいた。

僕らはスティーヴと仕事ができたことが本当に嬉しくて、「将来、彼と一緒にフル・アルバムを完成させたい。」と思ったんだよ。だから、ダブル・アルバムを作ると構想したことは一度もなかった。でも、BBCのインタビューで「2枚のレコードを同時進行で制作してる」っていう話をしたものだから、そこからダブル・アルバムっていう誤解が生まれたんだと思う。

——なるほど、そうだったんですか。前作『For All My Sisters』はポップな楽曲が詰まった作品だったのに対して、今回の『24-7 Rock Star Shit』にはあなたたちのパンク・バンドとしての魅力が詰まった作品になっていますね。

ゲイリー 確かに、『For All My Sisters』はバンドのポップな側面に焦点を当てたアルバムだったね。一方で今作は、曲作りもレコーディングも短期間で終わらせた。それぞれの曲を覚えるのがやっとな期間で、それが柔軟で自由な感じを生むのに必要だと思ったんだ。商業的な成功を目指さないレコードを作ることで得られる解放感が、僕たちにとっては心地よかったんだ。

The Cribs – Summer of Chances

——そもそもあなたたちは、デビュー当時からポップなメロディだけではなく、たとえば〈SSTレコード〉のようなUSパンク/ハードコア的な感覚も持ち合わせていたバンドだったと思います。パンク/ハードコアにのめり込んだきっかけはどんなものだったんですか?

ゲイリー パンク・ロックが僕たちの原点であることは、いつまでも変わらない。僕たちはイングランド北部の小さな町で暮らす鬱屈した少年だった。そして、(プレイヤーに)電源を入れて大音量で曲を流して叫びながら、ただエネルギーを発散させていた。そういった音楽を手に入れられるコミュニティーの存在もまた、僕たちにとってはとても大事なものだった。

ファン向けの雑誌が好きでよく読んでいたし、〈キル・ロック・スターズ〉や〈サブ・ポップ〉の「シングルズ・クラブ」(レーベルから直接アーティストのシングルが届くサービス)やメーリング・リストにも登録していた――。そうすることで、外の世界や趣味が合うと思える人々と繋がっているような気持ちになれたんだ。現代からすればおかしな話に聞こえるかもしれないけど、インターネットが普及する以前のパンク・キッズにとって、それは本当に大事なことだった。もちろん、その一方で、僕たちはポップミュージックも大好きだったよ。80年代のポップミュージックはすごく甘ったるくてよくできていたから、印象的なフレーズが頭の中にしっかりと刻まれた。だから、90年半ばに10代になった僕たちが激しいパンク・ロックをやるようになっても、美しいメロディに対する愛着はつねに持っていたんだ。ラモーンズを愛してやまない理由もそこだと思う。3人とも子供の頃からビートルズやクイーンが好きで、同時にたくさんのガールズグループも好きだったんだよ。

——では、パンク/ハードコアの中でも大切なアーティストや作品があれば、その作品との思い出も合わせて教えてもらえると嬉しいです。また、そうした音楽のどんなところに惹かれたんでしょう?(アティテュードなど、音楽的なことでなくても構いません)。

ゲイリー ハギー・ベアは、昔も今も一番好きなバンドだね。「環境に適応できない者たちが強い絆で結ばれたときに、どういうサウンドが奏でられるか?」ということを完璧に体現している。彼女たちは他にはない理想を共有し、男性が支配する当時の特異な音楽シーン(ブリット・ポップじゃなくてブリット・プープ=まぬけ、だね!)に束縛されてなるものかという決意を持って、ミュージシャンの才能に対する旧来の意見や、「いい」「正しい」と認められているものごとに背を向けていた。

結果として、彼女たちの音楽は実験的で、荒々しく、とんでもなく重厚で、当時のイギリスでは他の何よりも遙かにエキサイティングだった。彼らの決断と、高潔さ、そして自分たちの手で作り上げる手法は、僕に多大な影響をもたらしたよ。

——では、音楽以外であなたたちがパンクを感じるものや瞬間というと?

ロス パンク・ロックとは、何らかの活動というよりは、むしろ心の持ちようなんじゃないかな。たとえば、手首を怪我しながら、アルバム1枚のレコーディングでドラムをすべて叩いてみせるのは、ほとんどの人がパンク・ロック的だと思うだろう。これはまさに、4枚目のアルバムのレコーディング中に僕が経験したことだよ(笑)。それから、昔ゲイリーがツアー中に敗血症(細菌やウィルスが血液中に入り、臓器不全などの全身症状を起こす病気)になって入院しなくてはいけなくなったことがある。そのとき彼は、医者の指示に逆らって病院を抜け出して、ツアーをやり遂げた。これだってパンク・ロックだと考える人もいるだろう。ライアンだって、手を怪我したのにそれでもライブを最後まで続けたことがあるんだ。

ライアン うん、僕もロスと同じ意見だね。自分からパンク・ロックだと主張するのはなかなか気恥ずかしいもので、パンクというのは「心のあり方」だし、狙ってできるものじゃない。それでも興味深いと思ってもらえるようなちょっとした逸話があるとすれば、セックス・ピストルズの『Never Mind The Bollocks(勝手にしやがれ!!)』の30周年記念ライブで、サポート・バンドに僕たちが唯一選ばれたことや、ジョニー・サンダースのマネージャーから、かつて彼がステージ上で来ていた古いシャツを贈られたことが挙げられる。そのとき、「イギリスでこのシャツを受け取るにふさわしいのは、きみたちだけだ」と言ってもらえたんだ! これってかなりすごいことだよね……!

——今回はスティーヴ・アルビニのスタジオに滞在して制作が進められました。彼がかかわった作品の中で好きなものは? また、一緒に作業を進めていく中で、彼にどんな魅力を感じましたか?

ライアン スティーヴとの仕事は本当に最高だったし、僕たちのようなバンドにとってはまさにこれ以上ない選択だった。作業はすごく簡潔で、本当に楽しみながらやれたんだ。若い頃から、僕たちはスティーヴ・アルビニが手がけたレコードのサウンドがとても気に入っていたから、彼と一緒にやってみたいとずっと思っていた。子供の頃、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』を初めて耳にしたとき、あのアルバムの音響はこれまで聴いてきた中で最高のものだと思ったよ。

今回のレコーディングは、基本的にはリハーサルでやるのと同じように全員で準備をして、それからスティーヴがマイクをセッティングした。そしてすべてを生演奏の形でレコーディングするっていう感じで、とにかくあっという間だったんだ。別のトラックを重ねたりはしなかったし、スティーヴはすぐに彼のサウンドを作り上げるから、スタジオでの休憩時間もほとんどなかった。こういうやり方だと、自分たちのエネルギーを強く保ったまま思い通りのレコーディングができるから、すごくよかったね。全員がスタジオに居合わせていることも、多くの楽曲を生み出す上で有効的だった。

スティーヴとは本当に仲良くやれたよ。彼はとても愉快で気の利いた人物で、一緒に熱中できることがたくさんあるし、共通の友人も何人かいる。すばらしい体験だった。