90年代中盤、NYを拠点にDJを開始すると人気ヒップホップDJファンクマスター・フレックスの目に留まり、彼が率いるDJ集団ビッグ・ドッグ・ピットブルズに参加。
マーク・ロンソンら当時NYでDJ活動を行なっていた面々とも現場で苦楽を共にしてきた、日本を代表する女性DJのひとり、DJ KAORI。
彼女が最新ミックス作品『Dj Kaori’s Inmix 7』を完成させた。“日本で最も売れてるノンストップミックス”として知られるこのシリーズは、これまでもヒップホップ/R&B系を中心に人気曲を多数収録。
そして10年の前作以来実に7年振りとなる今回の新作では、トラップを筆頭にした最新ヒップホップやモダンR&B、カルヴィン・ハリスやザ・チェインスモーカーズのようなEDM、そしてポップ・スターなどが手を取り合って様々な冒険を繰り広げる現在のシーンの中から、このシリーズらしさ溢れる瞬間を見事に切り出している。
彼女が『Dj Kaori’s Inmix』シリーズに込めた思いや、最新作の内容について聞いた。
Interview:DJ KAORI
——新作に繋がる話なので最初に聞かせてもらいたいのですが、DJ KAORIさんは90年代~ 00年代中盤にNYの音楽シーンの第一線でDJ活動をされていましたね。
私は元々音楽好きでレコードを集めていて、でも当時「DJをする」というのは今より敷居の高いことで、周りにDJを職業にしている人が多いわけでもなかったので、最初は趣味という感じでした。今思うと、それはかなり熱心な趣味だったとは思うんですけれど、そうやってレコードを集めている間に、徐々にDJになっていったという感じです。
今はデータがあるからすぐにDJができちゃうけど、当時は、自分がレコードを持っていないとDJができなかったんですよ。そういう意味でなるのにすごく時間がかかる職業なので、昔はいきなりDJになるっていう人はほとんどいなかったと思います。「音楽が好きで、レコードを集めて……」っていう人が多かった。
だから、DJありきってわけじゃなく、“音楽ありき”って部分があると思います。NYに行ったばっかりの頃はすべてに興奮していましたね。クラブも東京より盛り上がっていたし、みんなが音楽でひとつになっていて。レコードも安かったし、ラジオをひねっても音楽に溢れているんで、ものすごく興奮したし、楽しかったですね。
当時のNYは特に流行の発信地的な部分もあったので。ただ、はっきり言って、NYでDJをやるという経験は、楽しいと思う瞬間は色々あったものの、かなり大変でした(笑)。毎日一生懸命って感じでしたね。
——今回新作がリリースされる『Dj Kaori’s Inmix』シリーズはKAORIさんが日本に帰ってくるちょうど05年にはじまっています。このシリーズをはじめたのは、NYでの経験もきっかけのひとつだったんでしょうか?
そうですね。日本に帰ってきたとき、こっちでは(ヒップホップやR&Bのような)音楽を聴く機会が少ないと思ったんです。ラジオとかでもそれほど機会がないし、当時はメディアも少なかったので、いい曲はいっぱいあるんだけど、聴くところもなければ、楽しむところも分からなければ、ノリ方も分からないという状況で。
そんな状況だと、人が好きになるわけはないですよね。なので、「音楽を聴く機会があれば、もっと色んなところに広がっていくんじゃないか」という気持ちではじめたのが『Dj Kaori’s Inmix』でした。もっと多くの人に知ってもらいたいけど、当時はまだまだアンダーグラウンドだったものを、「みんなに聴いてほしい!」という、そんな気持ちだったと思います。
——つまり「いい曲があるから聴いて欲しい」というDJとしての根本的な気持ちから始まったシリーズだったんですね。そしてこの作品は日本でも人気のシリーズになっていきました。
長い間現場でやってきた感覚が助けになった部分もあったんだとは思いますし、「日本でも多くの人に聴いて欲しい」という気持ちで、プロモーションにせよ何にせよ、なるべく人に伝わるように、セルフプロモーションじゃないですけど、色んなことをしていきました。選曲や曲の繋ぎ方は、その時のタイミングですよね。それって時代ごとに変わっていくと思うので。
――新作を聴かせていただくと、モードがまた変わっているのがすごく面白かったです。
聴きやすくなってるでしょ? 無駄な動きをしなくなった(笑)。最近はもう、なるべくスムーズに繋ぐようになっているんですよ。若い頃は無理して色々いれたくなってたけど(笑)。
——日本でこのシリーズが受け入れられたことは、すごく嬉しかったんじゃないですか?
そうですね。実際私がNYにいた時もそうだけど、00年以降世界中でヒップホップのような音楽がブレイクして、私もヨーロッパにも仕事で呼ばれるようになって、フランスやイギリスに結構行っていて。そのときって、向こうでもジャ・ルールとかがかかってて、「時代は変わったな」ってびっくりしました。
Holla Holla
私が90年代半ばぐらいにNYでDJを始めた頃ってまだまだ白人の人はヒップホップを聴いていなくて、私がDJしていたレストラン・バーとかでは、「ヒップホップはかけちゃダメ」って言われていたんです。でも、そういうムードが徐々に変わってきて、P・ディディや2パックがそれをキャッチーにして……。本当にヒップホップやR&Bが一般層に広がって、90年代の後半になると、むしろ「ヒップホップをかけろ!」みたいになって。
時代は変わるな、って思いました。00年代はそういう時代でしたね。あと、私は00年代の前半はNYと日本を行ったり来たりしていましたけど、「これじゃあ売れないな」と思っていたんですよ。結局、日本に帰ってきても、ゲストみたいな感じになっちゃうんで。
——KAORIさんはNYでDJをしつつ、00年頃から日本でCDも出していました。
そうなんです。00年ぐらいからCDを出しはじめて。だから、そういうことも通して徐々に意識が変わってきたんですよ。04年くらいには、「東京で腰を据えてやらなくちゃ」と思っていましたね。
——それで帰国したわけなんですね。それからの10年ちょっとというのは、日本でもクラブやフェスがかなり広がった期間だったと思います。
洋楽も盛り上がっていたし、日本のヒップホップやR&Bも盛り上がってきて、国内のアーティストもたくさん出て来るようになりましたよね。AIちゃんや(加藤)ミリヤちゃんみたいに色んな人たちが出て来て、クラブ以外でもアーティストと一緒にイベントをやるスタイルがすごく増えて行って。それに今、最近5年くらいで、日本にクラブがどんどん増えていますよね。一時期ちょっとアレな時代もありましたけど、クラブが当たり前になって、今は北海道や大阪、名古屋のような地方にもクラブが本当に増えていて。
その結果、クラブに行く層にも幅が出てきていると思います。普通にサラリーマンが会社帰りに来るようなところもあれば、渋谷みたいにストリートっぽいところもある、みたいな。銀座とかにも色々ありますしね。
——その「色々ある状態」というのは、クラブにとってあるべき姿ですよね。色々な人が行ける場所としてクラブがある、と。とはいえ、10年代に入ってからは風営法の問題もありました。DJ KAORIさんも他のアーティストの方と連名で抗議の声明を出されていましたね。
あれはおかしかったですよね。だって私、クラブの治安が悪いとは思わないもん。「まだ外に出てるだけいいよ!」みたいな(笑)。「発散できる場所があった方が絶対いいよ。落ち込むくらいなら踊って忘れた方がいいよ」って思うし。
だから、ぜひみなさんも遊びに来てほしいです。今は全然敷居が高くないし、「怖い」って言う人もいるけど、実際はそんな場所じゃないし。「六本木に行ったら殴られるんじゃないか」って、そんなのイメージですから(笑)。
——普段クラブで遊んでない人たちの話が変に広まったりもしているんでしょうね。
最悪ですよ(笑)。今はクラブってほんと安全ですから。「何かあったらセキュリティーを呼びなさい」「大丈夫、君たちは巻き込まれないから」って。酔っ払って変なことする人には気をつけた方がいいけど、節度を守ってね。そんなことよりも楽しいことが沢山ありますよ。