昭和、平成、令和。それぞれの時代にそれぞれのプロレス歴史がありますが、プロレスを語る上で絶対に避けては通れない偉大すぎる2人がいます。その2人こそ、ジャイアント馬場とアントニオ猪木。2人はそれぞれ数々の伝説を残しつつも、その伝説はしっかりと後世のレスラーに継承されていると思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両名からフォールを奪った日本人はただ1人、それが天龍源一郎さんなんです。天龍さんは僕にとって子供の頃からレジェンド中のレジェンドなのでご挨拶する際はとても緊張しましたが、最初にインタビュー内容の説明をさせて頂いたときに「それ、俺じゃなくて長州じゃダメなの?」と言われて笑ってしまい、その後はとても和やかなムードでお話をお伺いすることができました(笑)。

今回のインタビューはそんな天龍さんに、「ジャイアント馬場」「アントニオ猪木」について色々とお話を伺いましたのでここで紹介したいと思います。それではいってみましょう!

Interview:天龍源一郎

──最初に、馬場さん猪木さんと初めてお会いされた時の第一印象をお伺いしたいと思います。まずは馬場さんと初めて会われた時の印象はいかがでしたか?

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もう40年以上前になるけど、俺が相撲やってるときに馬場さんと会おうってなってキャピトル東急に行った時、馬場さんがたまたま先に到着されたんですよね。その後、俺がタクシーで降りると馬場さんがパッと振り向いて。なぜか知らないけど、俺の顔を見てニコッと笑ったんだよね。だから「いい人だなあ」っていうのが第一印象。

──第一印象は厳しい人というより、優しい笑顔の人だったんですね。

そうだね。助手席から馬場さんが見えて、到着してすぐに降りた時の馬場さんの笑顔を見たら「いい人だな」って思いましたね。確かに背丈があるので大きいとは思いましたけど、それよりもニコッと笑われたことの方が印象的でした。

──それでは、猪木さんの第一印象はいかがでしたか?

猪木さんはね、初めて会ったときはやっぱり「全日本プロレスからフリーになった天龍」という意味で、構えてはいないけどちょっと取っ付きづらいという印象はありましたよ。まあ、社風の違いだと思うけどね。敵対してるとかではなく、猪木さん独特の「ある程度の実績を積んでるやつしか俺は受け入れない」という、そういう考えを持ってるんじゃないかと思いますよ。

──なるほど、しばらく様子を見て認めるか認めないか判断するという。

そういうことだと思います。

──実際に闘ってみての感想をお聞きしたいのですが、まずは馬場さんとの試合の印象や思い出はありますでしょうか?

その前に、馬場さんは社長業と選手業って2つやってるでしょ。猪木さんもそうなんだけど。
馬場さんはやっぱり、社長業の時は厳しかったね。厳しい経営者で、俺たち社員がその厳しさを目の当たりにしているから、試合の時でも臆す部分はありましたよ。そういった部分に加えて、皆さん分かると思うけど身体の尺が違うからね。ロックアップする時の角度で、いつもと力の入り具合が違うのは印象的でしたよ。プロレスは身体が大きい方が圧倒的に有利だし、闘っている間も身体の大きさというのは感じましたね。

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──猪木さんと対戦された時はどういう印象でしたか?

猪木さんと闘う前は、テクニックはさておき同じくらいの身体の大きさで俺もしっかりやってたから、馬場さんと違ってある程度はいけるんじゃないかっていう思い込みはありましたよ。でも、テクニックとかいろんな意味では翻弄されましたね。

やっぱり猪木さんはカール・ゴッチとかいろんな海外のテクニシャン達と試合をやってるから、日本人のレスラーとはちょっと違うと思いました。ヨーロッパ系のテクニックで攻めてくるプロレスといった感じでしたよ。

逆に馬場さんは「プロレスはエンターテインメントだ」っていうのを自分の中で確立していたと思います。その裏には「俺は巨人軍の元ピッチャーで、プロレスに来てやったんだよ」という気持ちが少しはあったと思うよ。

──天龍さんは本当に何度もお2人と試合をされていますが、特に印象に残っている試合ってありますか?

馬場さんは……そうですね。最初は臆すところはありましたけど、そのうち馬場さんが俺たちの代まで下りてきて。要するに、馬場さんの場合は「来てるお客さんみんなを満足させないといけない」っていうコンセプトをあの人は持ってるから、常にリングの上で「もっと来い」とか「攻めてこい」という言葉を発しながら、「遠慮することないぞ」って言われながらやってたのを覚えてます。こっちが遠慮してるのが分かると「来い来い来い」って言ってくれたりとか、自分がバシッとチョップして気合いを入れたりとか。馬場さんはそんな人でしたよ。

本当に馬場さんは「リングの外にいるお客が第一」という考えの人でしたね。

──そんな馬場さんと比べると、猪木さんの場合は何か違いがありましたか?

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俺が新日本プロレスに1番最初に行ったときは山本小鉄さんとか星野勘太郎さんがいたし、アントニオ猪木との試合は隙があったら決めて、やっつければ良いというのがもうみんなに浸透していましたね。試合中は一瞬も気を緩められないという、そんな闘いでした。だから、チンタラした試合をやってると猪木さんが来て、試合をしてる選手を竹刀でしばいたっていうような話はいっぱいありますよ。

──裏でも猪木さんはそんな感じだったんですか?

やっぱり厳しかったですよ。馬場さんはその頃ぼた餅食ってたけどね(笑)。

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──天龍さんといえば、日本人で唯一馬場さんと猪木さんの両方からフォールを奪ったことをよく言われると思うんですが、それに関して思うことってありますか?

いやあ、迷惑なことこの上ないよ(笑)。

──えええーーーっ! な、なんでですか?

俺が馬場さんと猪木さんに勝った時点で辞めてたらたぶん伝説になってたと思うけど。その後でターザン後藤とか大仁田厚とか、まあくだらないやつと闘ったから、自分で自分の顔に泥を塗った感じだよね(笑)。

──いやいや、そんなこと全然無いです!

馬場さん猪木さんという目標を超えた時にスパッと辞めたらかっこ良かったんだろうけどね。
その時は生きることに必死だったからそんな事は考えなかったけど、今振り返ると、あの時が人生で1番の転換点だったかな。

──それでは最後の質問になりますが、最近またプロレスファンが増えてきて盛り上がっていますが、新しいプロレスファンに伝えたい、天龍さんが思われる「プロレスの魅力」とはどんなものでしょうか?

プロレスの魅力ですか……プロレスの魅力は、技の攻防とかありますけど……まあ極端に言えば、自分の好きなレスラーが好きな技をやってリングの上で勝ってくれたら万々歳でしょう(笑)。瞬間的に勝負がつくこともありますからね。

そういう意味ではしっかりリングを注視してないと見逃すことはあるかと思いますけど。

──もう瞬きをせずにしっかり見ててほしいと。

うん、でも最近思うのはね、観客がグッと前のめりになって見るような試合が減ったなっていうのは思いますね。お客さんが10分〜20分背もたれに寄りかかって、試合終わったら拍手してというのが増えましたよ。

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──確かに、昔みたいに叫んだり体で感情を表現することができなくなっているという理由もあるかもしれませんが、昔は天龍さんがラリアットを決めたら興奮して拳を突き上げる人も沢山いましたもんね。

全日本で四天王が活躍していた時も、武道館で地団駄が会場中に響いたり、興奮して叫んだり、時には興奮しすぎたお客同士が喧嘩したり……まあ良い悪いは別にしてね、ありましたよね。
だから、それくらいレスラーの皆が自分を追い込んで自己主張していたということを、もっと今の選手は考えてほしい……って長州力が言ってたよ。

──あっ、最後はまさかの長州さんからのメッセージでしたか(笑)。

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俺の発言にするとまた文句言われるから(笑)。

──レスラーはもっと自己主張して、ファンはもっとのめり込んでくれたら更に面白くなるということですかね。

レスラーはよく、レスラーっていう職業をやってるのにある程度の所で自分に納得しちゃってるんだよね。だからもっと高みを目指して、プライドを持って、何言ってんだよという気持ちで「プロレス」っていうものをやっていってほしいと思うよ。1つ間違えたらアウトだし、皆さんが思う程そんなに高級取ってるわけでもないし、自分の身体というものを代償に糧を得ているわけだからね。そこのプライドだけは一生忘れないでほしいと思います。

以上が天龍源一郎さんのインタビューとなりますが、我々の想像を絶するような努力と覚悟で時代を切り開いてきた天龍さんだからこそ、ひと言ひと言にすごく説得力や強い信念を感じました。馬場さんと猪木さんに関するお話も、すごく貴重なお話が聞けて本当に感無量でした!

そして皆さま、だいぶ昔になりますが、馬場さんと猪木さんがタッグを組んでいたのはご存知でしょうか。「Baba」「Inoki」それぞれの頭文字を取って「BI砲」と呼ばれ、当時猛威を振るった最強タッグですが、1970年代にタッグを解消されてしまいそのまま再結成が実現する事は無くなってしまいました。

しかし、実は今回「グッズでBI砲を復活させよう!」というコンセプトのもと、プロレスファンにはお馴染みの坂井永年先生のイラストでBI砲Tシャツが発売されることになったそうです。西日本エリアのイオンで「みんなのプロレスマーケット」としてイベント販売されるそうで、BI砲Tシャツ以外にもプロレス関連Tシャツ50点以上販売、リングシューズやチャンピオンベルトのレプリカ展示販売、昭和のプロレス興行ポスターの展示が行われますので、ぜひ皆さん足を運んでみてくださいね。

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次回のみちくさボンバイエもお楽しみに、それでは。

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EVENT INFORMATION

「みんなのプロレスマーケット」

3月4日~8日:イオンモール各務原 
3月10日~14日:イオンモール茨木
3月19日~23日:イオンモール高の原
3月26日~28日:イオンモール綾川
3月31日~4月6日:イオンモール久御山

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