今では当たり前のようにある「ジュニアヘビー級」という階級ですが、あまりまだ世間に浸透していなかった時代に、ジュニアヘビー級を引っ張って日本で定着させてくれたのが藤波辰爾選手でした。その後、初代タイガーマスクのデビューもあり、ジュニアヘビー級がヘビー級と並ぶほどの人気を創り出したわけですが、今回はそんな藤波辰爾選手にその辺りの時代のお話を中心にインタビューさせて頂きました。

最近沢山のレジェンドレスラーにインタビューさせて頂く機会が増えて非常に光栄なのですが……はい!今回もバッチリ緊張しました(笑)。

Interview:藤波辰爾

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──タイガーマスクがデビューする前に藤波さんが「ジュニアヘビー級」という階級を引っ張って大活躍されていて、数々の名勝負を生み出されていたわけですが、その当時で印象に残っている試合やライバルとの思い出はありますか?

その当時はまだジュニアという階級が定着していない時期で、自分が出たことでジュニアヘビー級にふさわしい選手が何人も出てきて、当時はとても相手に恵まれてましたから、「特にこの試合・この相手」と決めるのはなかなか難しいですね。

──アメリカでベルトも獲ってまさに人気絶頂の状態で凱旋されましたが、やはり当時はアメリカのプロレスを日本に取り入れるような事は意識されてましたでしょうか?

僕自身がジュニアヘビー級としてリングに上がっているんだけど、自分が周りからどういう印象を持たれているのか分からないくらい、当時はとにかく必死だったからね。当時は馬場さんと猪木さんという絶対的な存在がいて「レスラーと言えば大型選手」という時代だったので、ウエイト差がある自分がどれだけ受け入れられるかっていう重圧の中、自分が思いつくままの精一杯の試合をしていましたね。

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──そんな中で初代タイガーマスクがデビューしたわけですが、同じ選手としてその時のタイガーマスクの印象や、観客・世間の反応などはどう映ってましたか?

タイガーマスクがデビューする前は、当時のジュニアヘビー級の闘い方っていうものが存在してたんだけど、やっぱり彼の闘い方っていうのはそれとは全く違ったんですよね。生まれ持っている天性の動きって言うのかな。梶原一騎先生のアニメからリング上に登場したときは本人も僕と同じく必死だったと思うんだけど、最初はどうしてもアニメキャラということでファンは「どうなんだろう」と思っていたよね。でもゴングがなって試合が始まって、5分経ち、10分経ちという中で、ファンの中にあったクエスチョンが一掃されましたね。それはやはり彼の天性の動きがそうさせたと思うし、僕らもちょっと度肝を抜かれた。

──実際にシングルで対決もされてましたっけ?

はい、何度かありますよ………と思う。詳しくは記憶にない(笑)。やっぱり天性の動きというか反応というか。だからと言って彼は飛んだり跳ねたりしてるだけではなくて、彼は格闘技の基礎からスタートしてるからある意味ヘビー級のような理に適った強さというのかな。「サマーソルトキック」1つにしても、ただ彼の身軽な部分を見せようとせずに相手に1撃与えながら魅せる動きなんですよね。

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──確かに。もちろん魅せ方も上手だったと思うんですけど、その中でしっかりと攻撃できるというのも素晴らしかったですよね。

そうなんですよね。だから勘違いしちゃいけないのは「ヘビー級とジュニアヘビー級の差は何か」という事にも繋がっていて。確かに軽量級だから動きは速いしそれに合わせて技も変わってくるんだけど、元々「リング上の相手との闘い」なわけですから。ヘビー級にできない動きをしつつもどこで相手の弱点を的確に責めるかっていう方が分かってないと、いくら速い動きで飛んだり跳ねたりしても、僕らの中の「プロレスの闘い」というものがずれちゃうんですよね。そういった意味でも彼は本当に基礎がしっかりしていました。だから彼が登場する試合の時は、全選手が単純な興味本位で見ているんじゃなくて、自分にない部分を探しながら見ていましたね。

──やっぱり選手もタイガーマスクの試合は見てましたか。

見てました。猪木さんも自ら見てましたからね。

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──藤波さんはタイガーマスクとタッグも組まれてましたが、タッグパートナーとしての印象はいかがでしたでしょうか?

もちろんタッグマッチになると、お互いの呼吸やタッチワークを合わせて勝利を掴む為の駆け引きが必要になりますけど、彼にとってはシングルでもタッグでも同じなんですよね。僕は猪木さんとタッグを組むことが多くて、それは自分の後ろに猪木さんがいてくれるという安心感の中で僕は闘ってましたけど、彼自身は本当にシングルもタッグも一緒。自分のパートナーがコーナーにいようがいまいが、とにかく自分がリングに出たらシングルのように相手と向かい合ってましたよね。

──タイガーマスクの突然の引退や長州さんの新日本離脱もありましたが、その中でも藤波さんは新日本のリングで戦い続けたというのは、どういった思いがありましたか?

長州もタイガーマスクも自分が成長していく中で、自分が追い求めている所との違いから新日本を離れることになっちゃったんだけど。僕自身も決して故意的な行動や目標が無かったわけではないんだけど、やはりその中でも自分は猪木さんとの縁がもの凄く強かったから、今振り返ると離れるまでの勇気が自分に無かったのかな。

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──猪木さんとのお付き合いで言うと、ずっと付き人もされてましたし、若い頃は「猪木さんの事を誰よりも理解する付き人」として有名でしたもんね。当時、何か思い出に残っているエピソードはありますか?

巡業に出たら、寝ている時以外は24時間ずっと一緒にいるわけでしょ。当時は猪木さんの試合の動きを見て学んでいたし、付き人の時は猪木さんの目の動きとか雰囲気から察して、今猪木さんが何をしてほしいのかを常に考えてましたね。それが、猪木さんとタッグを組んだ時のタッチワークに活かされていたかもしれないね。

──もう阿吽の呼吸というか、アイコンタクトで理解できてましたか。

そうだね。それが良い部分もあるし足枷になっていたかもしれないけど。僕は猪木さんに憧れてプロレス界に入ってきたので、その思いが大きすぎて(笑)。猪木さんとの初対決の時、僕は金縛りみたいになっちゃって身体が動かなかったんですよ。蛇に睨まれた蛙のように(笑)。それが段々月日が経つにつれて自分も成長していく中で、1988年の8月8日横浜文化体育館かな、猪木さんと60分時間切れで引き分けて。あの時は僕がチャンピオンだったし僕が勝って当然と言う反応もあったんですけど、僕が60分かけても勝てなかったことで改めて猪木さんの底力というか、すごいものを見せてもらいましたね。

──最近はあまり聞かない付き人制度ですが、昔はよく付き人に厳しい人と優しい人が両極端に分かれていたという噂を聞いたことがあります(笑)。猪木さんはどうでしたか?

特別厳しい事はないんだけど、リングに上がる為の心構えであったり、そういう部分に関しては厳しかったね。リングを降りても先輩風を吹かせるとか理不尽なことで後輩を怒るとか、それは一切無いんですよ。ただ、練習や試合でリングに向かう心構えの部分では厳しかった。

ある時、これはもうプロレス界では有名な話なんだけど。当時は年間250試合やってましたから、やっぱり長い間地方巡業しているとどこかで中だるみしちゃうんだよね。試合前にみんなそれぞれリングの周りで練習してたんだけどなんかダラダラしてて、試合会場に入ってそれを見た猪木さんの逆鱗に触れたことがあってね。僕もアメリカから凱旋帰国してすぐの頃なんだけど、あの時の猪木さんは凄かったね。「てめえらこの野郎!!」っていう声がまだ耳に焼き付いてるよ。その時僕は偶然入口の近くにいて、付き人もやってたからすぐ猪木さんの所に行って「お疲れ様です!」って言ったんだけど、運悪く僕がプッシュアップボードを持ってて、それでパカーッンと頭を殴られましたね。おでこから鮮血ですよ鮮血(笑)。まだ試合前だったし、それから何時間後に試合が始まるわけですからね。応急処置はしましたけどリングに上がった時はまだ闘ってもないのに血が流れてて、お客さんは不思議な顔で見てましたね(笑)。

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──流血したままリングに上がられたんですね(笑)。

そうそう、一応血は止まってたんだけど動いたらまた傷が開くから。相手は外人で誰だったかな……相手もお客さんもキョトンとしてましたよ(笑)。それぐらい猪木さんは厳しかった。そのおかげで会場に入る時の気構えやリングに上がる姿勢は選手みんながきちんとしてました。

──藤波さんは猪木さんに憧れて入門されたんですよね。

そうそう、でもそれは僕だけじゃないでしょうね。僕は付き人もやってパートナーも組ませて頂いて、ずっと長い間ご一緒させて頂きましたけど。でも、前田(前田日明)にしろ高田(高田延彦)にしろ、やっぱりアントニオ猪木になりたいんでしょうね。なんとなく見ていると、行動が猪木さんと共通する部分がありますもん。

──そうなんですね!

やっぱりみんなアントニオ猪木には影響を受けてますよ。

──現在は息子LEONAさんもプロレスラーとして活躍されていて、親子タッグを組んだり、お父さんの永遠のライバル長州さんと対決したりされていますが、やはりそういう時は父親として感慨深い部分はございますか?

本来であればデビューしてまだ間もないし充分な経験を積んでない中でね。僕がたまたまDRADITIONという団体を起こして、自分が上がってるリングだから一緒に上げて。周りの他の選手が見たらちょっと時期的にまだ早いと思うかもしれないし、それは早いに決まってるんだけど。なんでもそうだけど、自分が思うこと出来ることを早めにやっておけば後からプラスになるかなと思って。自分がタッグを組んでみたりとか長州と向かい合わせてみたりとか、本人からすると心臓が飛び出そうになると思うんだけどね(笑)。

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──まさに先ほどおっしゃっていた、藤波さんが猪木さんと初対決された時の感じですね(笑)。

そうですね、そんな気持ちだったと思います(笑)。だからLEONAのデビュー戦は敢えて打撃バリバリの船木誠勝と対戦させたんだけど、まあボコボコに蹴られてた。でもこれは彼(LEONA)に対して「プロレスっていうのはそういうものだよ」と最初に教えておかないと、自分の息子だからって手心加えてデビューさせてたら決して彼にとって良くないんでね。だから、最初から関本くん(関本大介)であり船木くん(船木誠勝)であり丸藤くん(丸藤正道)と闘わせて、今だからこそできる経験を全部彼にぶつけてね。

──デビュー当初からすごく豪華なカードが組まれてましたもんね。

そうですよ。だから、他の団体の若手選手からすると羨ましい部分はあるでしょうね。本人は長州のラリアットをくらった瞬間頭が真っ白になったらしいんだけど(笑)。

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──すごく貴重な経験ですね(笑)。それでは最後の質問になりますが、藤波さんがプロレス界で今後やってみたいと考えてらっしゃることはありますか?

僕がデビュー50周年を迎えたんでね。DRADITIONで年間何試合かやったり、いろんな団体からオファーを受けてリングに上がるんだけど、自分が登場するリングっていうのは今までの背負ってきた歴史を感じて見てくれてる部分もあると思うので。だからそういう「時間」や「思い出」を感じてくれるようにしたいから、もうすぐ68歳になりますけど、僕がリングに上がることによって当時の思い出や僕に携わる選手のことが頭に浮かんでくると思うんだよね。

──そうですね。僕も久しぶりに藤波さんと長州さんが同じリングに上がってるのを見た時は色々思い出して泣きそうになりましたもん。

僕自身がプロレスファンであったように、やはりファンの皆さんの気持ちを考えながらリングに上がってますんでね。僕が40周年の記念興行を後楽園ホールでやって、自分にまつわる選手たちとリング上で記念撮影をした時に、いろんなところから「ありがとう」とか「プロレスファンで良かった」という声が聞こえてきたんです。その声がずっと耳に焼き付いてるんで、これからもそういう人たちの声を大事にしていきたいね。

──本日は貴重なお話から本当に感動的なお話まで、どうもありがとうございました。

こちらこそ、どうもありがとうございました。

以上、藤波辰爾選手のインタビューでした。実は僕、小学生の時に初めて握手をしてもらったプロレスラーが藤波さんなんです!インタビュー前にそのお話をさせて頂いた時に、藤波さんが優しく微笑んでくれて本当に感無量でした。

さて、前回のコラムでもご紹介させて頂きました「みんなのプロレスマーケット」の初代タイガーマスク版ですが、1月も下記のスケジュールで開催されることになります。僕も今回藤波さんから初代タイガーマスクのお話を聞けて、ますます行きたくなりました。パネル展示、Tシャツやレプリカベルトなどのグッズ販売、当時の興行ポスター展示等が行われるそうなので、ぜひ皆さん足を運んでみてくださいね。

次回のみちくさボンバイエもお楽しみに、それでは。

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EVENT INFORMATION

みんなのプロレスマーケット

ボンバイエインタビューVol.28/藤波辰爾 column-fujinami-tatsumi-bombaye-10

1月5日(水)~1月10日(月)イオンモール大高

1月13日(木)~1月17日(月)イオンモールナゴヤドーム前

1月20日(木)~1月25日(火)イオンモール各務原

1月28日(金)~1月30日(日)イオンモール明和

詳細はこちらみちくさボンバイエ