プロレスファンでなくても誰しもが名前を知る、歴史に残る名レスラーといえば。そう、全日本プロレス創設者のジャイアント馬場ですよね。アントニオ猪木は「猪木」、長州力は「長州」、蝶野正洋は「蝶野」なのに、ジャイアント馬場は「馬場さん」と「さん付け」で呼んでしまう。プロレスファンあるあるですね。元々はジャイアンツのピッチャーとして活躍を期待されつつも病気で引退し、力道山に弟子入り後にプロレスラーとして国民的なヒーローとなった馬場さん。
身長209cm、体重145kgとまさにジャイアントなレスラーでした。1999年に亡くなられた時は体に合うサイズの棺が無く、布に包んだ状態のまま葬儀が行われたのも伝説のひとつ。プロレスファンだったB’zの稲葉さんも、チョップが得意だった馬場さんの死に哀悼の意を込めて“ギリギリchop”という曲名を付けたそうです。
えっと、まずは僕が好きな馬場さんの試合をご覧頂きたいと思います。相手はスタン・ハンセン、入場する馬場さんに奇襲を仕掛けます。この時期、元々新日本プロレスだったスタン・ハンセンが全日本プロレスに殴り込んだ事をきっかけに、馬場さんとハンセンは幾多にも及ぶ熱い闘いを繰り広げていました。
ジャイアント馬場VSスタン・ハンセン 1982年9月14日 PWF戦
国民的ヒーローになった馬場さんは、テレビにも日常的に登場していましたね。テレビ番組では「SHOW byショーバイ!!」、CMではジャイアントカプリコが有名でしょうか。クイズ番組に出ても「答えがわからないから」と全くボタンを押さず、司会の逸見さんに怒られていたのが微笑ましかったです。でも、僕が一番好きな馬場さんのCMはメンソレータム。冒頭から必死にかゆがる馬場さんに爆笑しつつも、とても親近感が湧いたのを覚えています。あと、酒井法子がデビュー当時に使っていた「のりピー語」では、大きいことを「馬場ピー」と言っていて、子供の頃よく真似をしていました。
メンソレータムAD軟膏 CM 【ジャイアント馬場】 1993
馬場さんがよく口にしていた「生涯現役」という言葉。その言葉の通り、馬場さんは60歳を過ぎてもまだリングにあがり続けました。ここで、デビュー30周年記念試合と還暦記念試合を続けてご覧頂きたいと思います。デビュー30周年記念試合の方はスタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャーというジャイアントすぎるレスラー達が集結。ちなみにアンドレは223cm、236kg……すごすぎる。
Giant Baba、Abdullah the Butcher vs André the Giant、Stan Hansen
続いて還暦記念試合の方ですが、この時小橋は30歳前後で、三沢も川田も全盛期。60歳の馬場さんに対して容赦なく攻撃をしかけます。しかし、何倍も強くなった弟子達の力を実感した馬場さんは終始とても嬉しそうでした。弟子達に対する、馬場さんの愛を感じた試合。子供ながらにすごく感動したのを覚えています。僕が大好きな(実は皆さんも聞いた事がある)全日本プロレスのテーマ曲で始まりますので、ぜひご覧ください。
ジャイアント馬場60歳の誕生日 還暦記念特別試合
ジャイアント馬場と同じく、日本のプロレスを創りあげたのがアントニオ猪木。2人のタッグチームは「BI砲」として数々の外国人レスラー相手に名勝負を繰り広げました。しかし、力道山の死後は猪木が新日本プロレス、馬場が全日本プロレスを立ち上げ、それからはなかなか会うことはありませんでした(それぞれの団体が、中継の専属契約をしているテレビ局が違ったので一緒に試合できなかったという説もありますが)。そんな中、1979年に一度だけBI砲が復活した試合があります。相手はアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンという、共に昭和プロレスの歴史を築いたライバルレスラー。馬場さんが亡くなった時のニュースステーションでその試合映像が放送されましたので、そちらをご覧ください。
【格闘技】1979 08 26 ジャイアント馬場 アントニオ猪木 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー タイガー・ジェット・シンテレ朝&日テレ
今回のコラムを書きながら、改めて馬場さんが愛される理由を再認識できた気がします。いやぁ、プロレスってほんとにいいもんですね。次回もお楽しみに、それでは。
※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。