ダゼー・ファンク Jr.はしばらく武者修行に出ておりました故、コラムの更新が久々となってしまいましたが、今回も爆裂ボンバイエしていきたいと思います。今回は、そんなパワーの有り余った僕にぴったりの破壊王・橋本真也でボンバイエ。

Mr.IWGPと呼ばれ、通算20度のIWGPベルト防衛記録を持つ橋本。一時期僕の中ではチャンピオン=橋本が当たり前になってしまうくらい絶対的な地位を確立したレスラーでした。40歳という若さでこの世を去ってしまった橋本真也ですが、135kgのスーパーヘビーな体重をしっかりと乗せた蹴り・DDTなどの必殺技は「破壊王」と呼ばれたその名の通り、相手を破壊してしまいそうな威力を持っていました。総集編の動画がありましたので、まずはそちらで破壊王たる由縁をご覧ください。

Top 20 Moves of Shinya Hashimoto

よく格闘技で言われる「技に体重を乗せる」ってこういう事ですよね。蹴り1発にも135kgがしっかり乗っているのが見て分かります。橋本がいつも試合の決め技としていた「垂直落下式ブレーンバスター」は解説席のマサ斉藤も「必殺技として完成されている」と語っていました。全く異論なく、僕も完璧な必殺技だと思います。その垂直落下式ブレーンバスターがこちら。こんな技、僕がくらったら首が引っ込んでしまいますよ、きっと。

橋本真也-吊車式垂直落下DDT

実は、橋本真也のインタビューがプレイステーションのCMで使われた事がありました。1990年2月のアントニオ猪木・坂口征二組との大一番タッグ対決の直前、時代劇が好きすぎる橋本が発した言葉を聞いて必死に笑いをこらえるタッグパートナー蝶野正洋。この時は「笑ってない!」と言い張っていた蝶野も、後日「控え室は爆笑だったんじゃない?」と発言が面白かったことを認めていました。橋本真也がプロレスラーになるきっかけとなったアントニオ猪木の問答と共に、思わず微笑んでしまう名場面をご覧ください。

蝶野、吹き出しそうになる(時は来た&猪木問答)

橋本真也を語る上で外せないのが小川直也の存在。バルセロナオリンピック柔道メダリストの小川はアントニオ猪木に弟子入り、プロレスデビュー戦でいきなり絶対王者橋本真也と戦う事になったんですが、なんとその試合で小川が橋本に勝ってしまったのです。その後のリベンジ試合では橋本が勝ったものの、3〜4試合目では小川の暴走に橋本は手も足も出ず敗北を喫しました。この時僕は「最強だと思っていたプロレスが負けてしまうのか」という、ただならぬ不安感を感じたのを覚えています。

そんな中、2000年4月7日東京ドームで次の橋本vs小川の試合が決定した際、衝撃のニュースが発表されました。橋本はこの試合に負けたら引退するというのです。当時プロレス界を代表する橋本真也の引退をかけた試合、それはもうすごい緊張感とともに僕はテレビにかじりつきました。

橋本真也vs小川直也 負けたら即引退試合 2/3

そう、この試合で橋本は負けてしまいました。そして、公約通り橋本は新日本プロレスに辞表を提出しました。新日本を解雇されて独立した橋本は、ZERO-ONEという団体を立ち上げてノアや大晦日のINOKI BOM-BA-YEに参加した他、全日本プロレスに乗り込んだり長州力と抗争を繰り広げたりしていました。この時の橋本・長州の「コラコラ問答」は有名ですね。橋本と長州の口喧嘩なのですが、ただでさえ長州が滑舌悪いのに加えて「タココラ」「なにがコラじゃコラ」「なにコラタココラ」とお互いコラコラと独特の韻を踏んだ口喧嘩になりました。

長州 橋本 コラコラ問答(無加工版)

2004年からは(正直、僕は苦手な)ハッスルに参加しはじめた橋本ですが、そこにはかつてのライバル小川直也との間に絆ができており、小川橋本の最強OH砲としてまた快進撃を続けていきました。

ということで今回は歴史的レスラー橋本真也で爆裂ボンバイエしてきましたが、いかがでしたでしょうか? 享年40歳という悲しい結果になりましたが、それでも橋本真也はプロレスの1時代を担った名レスラーだと思います。少なくとも、子供の頃の僕は橋本真也の試合で何度も感動を与えてもらいました。

最後に。全く橋本に関係ない勝手な紹介ですが、そして以前も紹介した動画なんですが、ただ僕が今見たくなったので。全盛期の佐々木健介が強すぎて、6秒で勝利した伝説の試合をご覧頂きたいと思います。次回のボンバイエもお楽しみに、それでは。

健介vs小原 6秒で勝利 This is Gachinko Pro-wresling!

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※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。