ちょうど1年ほど前、プロレスリング・ノアで「悪童」と呼ばれた平柳玄藩さんが引退されました。
現役時代は数々の選手の急所をわし掴みにし、顔面に唾を吐きかけていき、頭脳的な反則攻撃で「悪童」の名をほしいままにしていた玄藩さん。
まずは最近プロレスファンになった方の為に、そんな玄藩さんの現役時代の試合をご紹介したいと思います。丸藤選手と中嶋勝彦選手が急所攻撃と唾攻撃の餌食になってしまった試合です。
玄藩さんは元々レスリングを経験し、一度社会人経験を経てノアに入団しました。師匠はあの四天王の1人、田上明さん。デビュー当時は田上さんと同じ赤色のタイツをはいていました。悪童としてリングを荒らしまくっていた玄藩さん、引退後はなんと外資系保険会社の営業マンとしてバリバリ働いてらっしゃると聞き、そのギャップを確かめに会いに行ってきました!
Interview:平柳玄藩
——それでは、早速インタビューしていきますので、スイッチ入れてもらっても良いですか?笑
オッケーオッケー、スイッチ入れるのでちょっと待ってくださいね。
……。
………。
……………ぐがぁ~~。
——玄藩さん、起きて!!! 笑
おっと、すいませんすいません。もうスイッチ入ったので大丈夫です。
——学生時代はレスリングをされてらっしゃいましたが、その当時からプロレスは好きだったんですか?憧れてたレスラーとかいたら教えてください。
もちろんプロレスは好きでしたね。僕、実は新日本プロレスからファンになってて、好きだったのは蝶野さんでしたね。しかも、黒タイツになる前の白と紫のタイツとかはいてた蝶野さんが大好きだったんですよ。
でも、友達から全日本プロレスのことを教えてもらって、それ以来全日本プロレスばかり観るようになりました。全日本だと1番最初に憧れたのは川田利明さん。
——レスリングを始められたのは、やはりプロレスラーへの憧れがきっかけだったんでしょうか。
そうですね。当時三沢さんとかを見てて「プロレスラー目指すならレスリングやってた方が良いんだろうな」と思って、レスリング部がある高校に入ってレスリングをやってたんですけど、「レスリング辛ぇなぁ……俺弱いし……普段遊んでる方が楽しいし。」と思って、高2の途中から部活も行かなくなって友達と遊んでばかりいたんです。
いつしかプロレスラーになるという夢も消えていって普通にとある警備会社に就職したんですよ。プロレスラー時代の平柳玄藩からは想像もつかないですが、プロレスラーの前後は実はどっちも人を守る職業についてるんです(笑)。
——そこからまたプロレスラーになろうと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
普通に仕事をしていると日々の不満とかも溜まってきて。そんな時に、学生時代にレスリングで対決をした事もあった丸藤正道さんが全日本でデビューしているのを観て「すげえな〜かっこいいな〜」と思ってました。
そして、ボクサーをやってる高校時代の友人に紹介されてジムに通い始めて、そのうちやっぱりプロレスラーになりたいと思うようになって、体を鍛えて入門テストを受けました。
——入門テストではどんなことをされたんですか?
腕立て、腹筋、スクワット……本当にきつくて、終わって家帰って1週間くらい体が痛かったですね……ほんときつかった……入門テストもそうだし、新弟子時代の毎日のトレーニングもほんときつかった……。
——入門された後は田上明さんに付かれてましたが、何か田上さんとの思い出はありますか?
付き人の仕事で言うと、たぶん他の三沢さんとか小橋さんより少ない方ではあるんですけど……(ものすごく小声で)めんどくさかったっすよ(笑)。巡業の時とかはよく飲みにいっていたので、田上さんに付いてからは嫌いだった「いも焼酎」も飲めるようになりました。2人でも飲みに行くんですけど、僕も気を使うし緊張もするし、終始無言で飲んでましたね(笑)。
でもある時、田上さんが浅子さんか杉浦さんに「(田上さんのモノマネで)玄藩のやつ、俺と飲みに言っても全然しゃべんねぇんだ」って言ってたって聞いて、その後は頑張って何でも質問するようにしました(笑)。
——玄藩さんが現役時代に1番記憶に残ってる試合ってありますか? 僕はタッグマッチで相手のタイガーマスクさんをかなり怒らせてた試合が印象に残ってるんですが。
記憶に残ってるのは、2回だけシングルのベルトに挑戦した時ですかね。頭も眉毛も髭も全部金色に染めて、白いタイツで。タイトルマッチに合わせて髪を変えたのは、鈴木みのるさんの真似っすよ(笑)。
ちなみに僕の引退試合の相手も鈴木みのるさん(鈴木軍)でした。タイガーマスクさんは唾を顔面に吐きかけたらめっちゃキレてましたね。マスクでガードされてるから大丈夫だと思ったんですけどね(笑)。
——その他、何かノアでの思い出ってありますか?
思い出に残ってること……別にないなぁ(笑)。ワハハハハハ(笑)。
——正直、闘ってて「こいつ、マジで強えな」って思ったレスラーっていますか?
まぁ、俺以外の全員かな(笑)。でも、ちょっと意外かもしれない話をすると、丸藤さんと杉浦さんだったら僕は丸藤さんと試合する方が怖いんですよね。ファンの人から見ると杉浦さんはごついしおっかないって印象だと思いますが。丸藤さんってイメージ的には飛び技も多くて華やかな印象だと思うんですけど、予測つかない攻撃とかしてくるし。普段から怖い人はこっちも構えてるからいいんですけど、普段は優しそうな丸藤さんの方がキレた時に何してくるかわからない恐怖がありましたね。
——ノアでの現役時代を経て、引退を考え始めたきっかけを伺えますでしょうか。
プロレスラーになるという将来の夢を叶えはしたんですけど、プロレスラーって人によっては第一線で活躍できる現役期間が短かったりもするじゃないですか。自分自身の活躍や実績に満足していない中で、いざ自分が第一線で闘えなくなった時にまだ働かないといけないかもしれない、そうなったら自分に何ができるんだろうって考えたんです。
家族もいて、子どもも3人いるので、きちんと家族の為に将来のことを考えないといけないなって思い始めたのがきっかけですね。でも1つ勘違いしてほしくないのは、子どもの為に夢を諦めた訳ではなくて、家族との時間を大切にしたいという自分の気持ちで引退を決意しました。
——引退後、今されているお仕事に関してお話伺えますか?
外資系生命保険会社の営業マンとして頑張ってます。生命保険の営業って生命保険の資格も必要だし、ドル販売の資格も必要だし、1ヶ月の研修期間はかなり勉強しましたね。最初はストレスで蕁麻疹できるし白髪も増えて体重も10キロくらい落ちました。
また、会社での付き合いより家族と一緒にいたいので、仕事が終わったらすぐに家に帰ってます(笑)。よく世間では「イクメン」とか「ベストファーザー」とか言われてますけど、やりたいしやらなきゃいけない子育てを当たり前にやってるだけであって、あんなもんイクメンでもベストファーザーでもなんでもないんですよ。そもそもそんな言葉は存在しないと思ってるし、そんな事を言われて喜んで誇らしげにしてるのを見ると腑に落ちないんですよね。だったらむしろ、子育てで家の中を支えてくれてる母ちゃん達を、イクウーマン、ベストマザーって讃えるべきだろ? と思うんです。
——家では玄藩さんってどんな感じなんですか?
威厳は無いっす(笑)。長女は小5の女の子だし、だんだん距離ができてる気はしますね。だから下2人もいずれそうなるんだろうなぁって思ってます。
——最後に、引退後の玄藩さんが気になってるファンの方々にメッセージをお願いします。
僕は今、プロレスラーの時よりプロレスしてるなぁって感じてるんですよ。まず、相手も自分で探して会場も自分で決めて、相手のお客様がどんな技を出してくるかわからないけどそれに合わせて自分も適切な技を出していく感覚です。お客様が求めていることをしっかりと受け止めて、適切なプランをご提供しています。
プロレスラー時代は団体のトップ選手が引っ張ってくれてましたけど、今は全部自分でやらないといけないじゃないですか。今になってあの頃トップで引っ張ってくれてたレスラーたちの気持ちがわかってきましたね。丸藤さんとか、KENTAさんとか、杉浦さんとかに「おんぶに抱っこで、あの頃はごめんね」って(笑)。
以上、平柳玄藩さんへのインタビューでした! とにかくインタビュー中も玄藩節が炸裂して面白かったし、現役時代のことも包み隠さず話してくれたので、とても興味深かったですね。また心から家族を大切にされていて、「悪童」という名前とは真逆のすごく素敵な父親像を垣間見ることができました。プロレスというフィールドはなくなりましたが、これからの益々のご活躍を応援したいですね。次回のみちくさボンバイエもお楽しみに、それでは。