彼女に初めて会った日のことは鮮明に覚えている。友人が手掛けていたファッションウィークのイベントで、ブラックのプラットフォームパンプスに真っ赤な口紅がとても良く似合っていた。のちに彼女は自身のファッションレーベルMAISON EUREKAを立ち上げ、そこからずっと彼女の活躍に注目し続けている。

そんな今回は、友人であり尊敬するデザイナーでもある中津由利加さんを“ゲストインタビュアー”として迎え、私、宮沢香奈へインタビューするという初の試みを決行。ベルリンに移住してから丸4年が過ぎた今、心地良い風の吹くシュプレー川のほとりで自らの人生を振り返る。『ベルリンで生きる女性たち』特別編 前編となります。是非ご覧下さい!!

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Interview:中津 由利加×宮沢 香奈

宮沢香奈「2012年に初めて訪れたベルリンでデジャブを感じまくった。」

インタビュアー中津由利加(以下、Yurika) この度は、Qeticの連載コラムにゲストインタビュアーとして呼んでいただきありがとうございます。

宮沢香奈(以下、Kana) いえいえ、こちらこそ引き受けて頂きありがとうございます。って、なんか変な感じがする(笑)。

Yurika 確かに(笑)。普段こんなんじゃないからね。しかも、私インタビューとかやったことないんですけど、大丈夫ですかね?

Kana 本来はインタビューされる側ですからね(笑)。実は前からユリカちゃんにはインタビューさせてもらいたかったんですよね。ただ、この『ベルリンで生きる女性たち』という連載企画は、タイトル通りベルリンで活動してる女性にスポットを当てて、どんなことをやってるかをインタビュー形式で紹介する企画なんですよ。ベルリンという異国で頑張っている女性が沢山いる中でそれを取り上げている媒体があまりないなと思って、応援の気持ちも込めてスタートしました。

『ベルリンで生きる女性たち』アーカイブ

だから、ユリカちゃんの場合、拠点はベルリンだけどブランドは日本拠点だから展示会とかで実際にコレクションを見させてもらう機会がなくて、インタビューのチャンスもなかったんですよね。でも、MAISON EUREKAは立ち上げ当時から注目していて、まずルックがかわいいし、これは実物で見たい!ってずっと思ってました。どこかベルリンを感じさせるデザインと他の日本のブランドにはないユニークなテイストや独特な色使いにグッときたんですよね。そんな経緯もありつつ、今回は初の試みとなるゲストインタビュアーという形でお招きしたわけです。

Yurika なるほど。ありがとうございます。これまでいろんな人にインタビューしてますが、カナちゃん自身が自分について語ることってないから私もいろいろ聞いてみたいと思ってたんですよね。では、早速いろいろ聞いていきたいと思います。まず、これはみんなに聞いてることかと思いますが、東京ではずっとファッションの仕事に携わってきましたよね? そこからベルリンへ移住することになったきっかけって何だったんですか?

Kana 最初にベルリンへ来たのが2012年だったんですけど、それまで来たことがなかったんですよね。ヨーロッパ自体パリしか来たことがなかったんです。ずっとファッションの仕事をしていたけれど、同時に音楽の仕事もやっていて、クラブイベントやフェスの現場でベルリンを拠点にしてる好きなアーティストに何人も会うのに行ったことないし、それってどうなのかな?って思ったんです。なぜか一方的に憧れてるだけで行こうとまでは思ってなかったんですよね。その頃から海外へ移住する友人も増えてきていて、ベルリンは特に多かったんです。それで、友達に会いに行く感覚で実際に来てみたら運命を感じちゃったんですよね。初めて来たはずなのに初めてじゃない! ここ知ってる!って、デジャブを何度も感じました。

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Yurika でもそのベルリンへ初めて来時にすぐに移住を決めたわけではないんですよね?

Kana そうですね。でも、東京に帰ってからベルリンのことが忘れられなくなってしまって、何をしていても思い出しちゃうぐらいで……。

Yurika それはもうまさに恋ですね(笑)

Kana まさに(笑)。でも恋は盲目だから冷静になってもう一回ベルリンという存在を見てみようと思ったんです。それでもし、もう一回来ても同じように運命を感じたら移住しようと思いました。翌年の2013年にアムステルダムのフェス取材も兼ねてもう一回来て、やっぱりベルリンがいい!住みたい!って思ったのでそこで移住を決めました。

あと、これは他の移住者にも多いと思いますが、やっぱり3.11の影響は大きかったですよね。

Yurika 具体的にはどんな風に影響しましたか?

Kana まず日本は大丈夫なのか?って思ったのと、自分がいかに無知だったかを思い知らされて無性に怖くなったんですよね。それまで政治にも原発にも無関心で何も知らなくてものすごく恥ずかしいと思いました。そこから自分なりに必死に情報を集め出して、そうこうしてるうちに全てが疑問に変わってしまったんだと思います。PRの仕事は好きだったけど、3.11のように人生最大の危機のようなことが起きても周囲の環境が何も変わらなかったことに驚いたし、会社のやり方とかにも疑問を持ってしまって……今思えばどうしていいのか誰にも分からなかったし、平常を保つしかなかったんだと思うんですけど。

Yurika 3.11をきっかけに価値観が変わったということですか?

Kana もうガラリと変わりましたね。見えるものが全く違って見えましたから。例えば、憧れのハイブランドを着るとか、良い生活をするとか、そういった東京でのステイタスに徐々に興味が失せていきましたね。それよりももっと人間らしく生きたいとか、悔いのない人生を送りたいとか、何かを残したいとか、考えるようになりました。 

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Yurika 何かを残したい!?すごい壮大なテーマですけど、それは自分が満足するためのものとかですか?それとも自分が書いたものを世の中に残したいとかですか?

Kana その時はまだライターではなかったし、そこまで具体的な考えもなかったと思います。ただ、どこかに所属するのはやめて完全フリーランスになって、自分がやりたいと思うことだけやって、その成果を残したいとは思いましたね。生きた証とかでしょうか?大袈裟に言うと(笑)。でもそこまで切羽詰まってたんだと思います、人生に。

Yurika でも3.11をきっかけに価値観が変わって、その後にベルリンへ来て運命を感じたわけじゃないですか。今までとは違うところに目を向けるタイミングが重なったんではないでしょうか? 今までの常識や価値観に捉われずに海外へ出てチャレンジしたくなったんじゃないですか?

Kana うーん、どうだろう?? とにかく日本を一度出たかったんでしょうね。完全フリーになったばかりの時はお金もないし、公私共にいろいろあって人間不信にもなってたし、とにかく大変だったんです。でも気付いたらものすごく忙しくなってて、今思えば本当にありがたい話なんですけど、一人では抱えきれないほどの仕事を担ってたんですよね。そのプレッシャーや時間のなさや自分のキャパのなさに疲れ切ってしまって。。そんな時に再渡独したから目の前が世界が広がったのは確かですよね。逆にユリカちゃんはどうですか?

Yurika 私は東京からではなくロンドンからベルリンに移住してきたからちょっと状況が違いますね。移住してきたのは5年前になるんですけど、その当時のイギリスって移民を追い出すのに躍起になりはじめた頃なんですよね。後にEU離脱のことも出てきたし。アメリカもそうですが、イギリスも人種のサラダボウル状態なんですよ。世界中から夢を持ってロンドンに来てる人がものすごく多いし、頑張れば稼げるし、チャンスもあったんですよね。イギリスに住んでいる外国人は母国が貧しい人が多いのもあってものすごく精力的に働くんですよ。逆にワーキングクラスのイギリス人は生活保護を受けれるから働かない人も多いんです。それなのに外国人が仕事を奪ってるから出ていけ!ってなったんですよね。だからそんな中で日本人もビザを取るのがものすごく大変で、大学卒業後にワーキングビザなんてまず出ないから就職も出来ないんですよ。もう残る道はイギリス人と結婚するか大枚叩いて起業するしかないんですけど、それもものすごく大変なんですよ。

Kana うわあ……聞いている以上に大変なんですね。だから今みんなロンドンにいないんですね。

Yurika そうですね。私は若い頃に1年半住んでて、その後ワーキングホリデーでロンドンに戻ったんですけど、もうその時には最初に知り合った人たちは誰もいませんでしたからね。でもそこからまた2年の間で新たな交流も増えるし、楽しくなってきてこのままいたいって思ったけど、さっきも言ったようにビザを取得するのが難しくなったこともあってベルリンへの移住を決めました。

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Kana 私みたいに”ベルリンLOVE❤︎”というわけではなかったんですね(笑)。でも他の候補はなかったんですか? ヨーロッパの他都市とか?

Yurika うーん、ベルリン移住のきっかけは私の意志というより、最初はトモキ(ユリカさんの旦那さん。DJ・プロデューサーのTomoki Tamura氏)の意思が一番大きかったですよね。音楽の仕事をするには環境が揃ってますから。でも実際来てみたらロンドンに比べて家賃も全然安いし、物価も安いし、何より広い家に住めるじゃないですか?

Kana 確かに! 家は重要!!

Yurika そう、家は重要!! ロンドンの時はまず一人暮らしなんて家賃が高過ぎて出来ないから誰かとフラットシェアが基本なんですよね。でもベルリンでは自分だけの居場所を持てて、”よし、何かおもしろいことしよっかな”って意欲が湧いたんです。

Kana それで、自分のブランドを立ち上げたんですね??

Yurika そうです。ベルリンに住み出してから一年経った2014年に立ち上げました。そこから良いインスピレーション得ながら仕事が出来てると思ってますが、カナちゃんはどうですか? 惚れ込んできた街ですけど、思った通りベルリンってロマンチックでしたか?

Kana 70年代ぐらいのNYのダウンタウンや90年代のブルックリンに憧れてたから、ベルリンってちょっと似てるなと思うところはありましたね。街も人も全体的にはオシャレじゃないし、どこか芋っぽいんだけど、でもアンダーグラウンドな部分でものすごくカッコイイと思ったし、そういった意味ではすごくロマンチックだったのかもしれません。それに、この街は自分にすごく合ってると思うし、未だに大好きな街なんですよね。東京以外で住みたいと思ったのはここしかないですから。2014年に観光ビザで入って3ヶ月間フルで遊びまくって、好きなことだけやって生活してたからそれは楽しいですよね(笑)。日本では味わえなかったフレッシュさとか感じれてとにかく楽しくて仕方がなかった。今も楽しいままですけど、さすがに4年も経つと単に生活する場所というだけでなく、人生における現実的なこととか、いろんなことを考えるようになりますよね。

Yurika 4年住んでみてベルリンって変わったと思いますか?

Kana 変わったと思いますね。ドイツの首都なのに貧乏で物価が安くて退廃的で、旧東ドイツの雰囲気が残ってて、でもだからこそそこから生まれるカルチャーがおもしろくて魅力的だったと思うんですよ。今では家賃の高騰に始まり、物価も上がって、スクワットや廃墟がどんどん消えていって不必要なモダンなビルがどんどん出来てしまった。便利で住みやすくなったのは助かるけれど、これ以上都会にならなくて良いと思ってます。

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Yurika 私は逆にあんまり変わってないなと思ってます。というよりは、変わるスピードが圧倒的に遅いと思います。引っ越してきた当初からロンドンよりWi-Fiがどこでも使えて便利だったけれど、クレジットカードが使えないのは逆に不便に感じるところでしたね。東京とロンドンではキャッシュレスな生活に慣れちゃってたから最初来た時に使えるところがなさ過ぎて驚きました。

Kana 確かにクレジットカードが使えないのはビックリしました(笑)。デビットカードの方が主流ってなぜ!?って。でも私は便利過ぎる東京からベルリンの不便さを味って人間らしい生活が出来るようになったから、不便だけど現金でいいかなと思っています(笑)。

Yurika 人間らしいですよね。あと、この不便さには慣れますよね。私は福岡出身なんですけど、決して田舎ではないけど、ロンドンや東京ほど大都市ではないんです。ベルリンに来た時になぜか懐かしさを感じたんですよね。地元にいる時みたいにホッとするし、落ち着くし、生活感があるって思いました。私、東京とロンドンでは自転車に乗ってなかったんですけど、ベルリンではどこでも自転車で行くようになったんですよね。地元でも高校生の時に通学用に乗ってたし、ベルリンってその当時のこととか地元での生活が妙にシンクロするんです。

Kana なるほど。良い例えですね。確かにベルリンって気負わなくて自然体でいれますよね。それでいて刺激もちゃんとあって、田舎みたいにつまんなくないからいい! 地元は好きですが、長野のド田舎なので本当に娯楽がないんですよね。ベルリンは中心地には何でもあるし、少し郊外に行けば大自然があって、そのバランスも好きなのかもしれません。

Yurika 私はここでしか見つけられない楽しさがあることに気付きました。例えば、ホームパーティーとかみんなしょっちゅうやるじゃないですか。あれも東京だったらあんまり現実的ではないですよね。

Kana みんな忙しくて平日になんてなかなか集まれないし、何十人も呼べる広い家に住んでる人も少ないですからね。

Yurika そうそう。あと、冬の寒い中の過ごし方とかも独特の楽しみ方があると思うんですよ。私、クリスマスマーケットが好きなんですけど、あの寒い中でグリューワインを飲みながら、ただブラブラするだけなんです。でもそれがいい!!(笑)。

Kana 分かる(笑)。私もクリスマスマーケット好きです。

Yurika クリスマスマーケットの時期が近づいてくると、“ああ、また今年もこの季節がきたなー”って嬉しくなりますね(笑)。って、話が脱線しましたが、他にベルリンに対して感じてることってありますか?

Kana ライターとして伝えたいと思ったことの大きな一つでもあるクラブカルチャーが突出しておもしろいことですよね。ベルリンだけで成り立ってるカルチャーなのに世界中に影響を与えてるってやっぱりすごいことだと思うんです。

ここからは第二弾へ続きます!お楽しみに!!

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中津 由利加(デザイナー)

1984年福岡生まれ。2002年よりセレクトショップのバイヤーアシスタントとして勤務した後2005年に渡英。
英国よりヨーロッパ各国を巡り、様々な国のファッション、カルチャーに触れることで独自の世界観を築いた。帰国後、セレクトショップバイヤー、シューズデザイナーとして活躍後、2011年に再び渡英。訪独し出会ったベルリン特有のカルチャーやライフスタイルに共感し、2013年ベルリンへ移住した後2014年に自身のブランドMAISON EUREKAをスタートし現在に至る。
http://www.maisoneureka.de/

『ベルリンで生きる女性たち』

Photo : Saki Hinatsu
Location:Freischwimmer