ブルガリアのトップクラブ“Cacao Beach”で大歓声を浴び、リリース、ギグ、リミックス、さらには、ルイ・ヴィトンやMIZUNOを始めとするアパレルブランドへの楽曲提供など日々“SUDO”というアーティストのニュースがSNSにポストされてゆく。“海外で活躍する日本人アーティストの1人”として羨望の眼差しを向けられていることだろう。
しかし、その裏でどれほどの地道な努力と苦労と年月を重ねてきたか知る人は少ない。ビッグチャンスを掴んでもけっして驕らず、ひたすら努力を続け、人への感謝を忘れない。そんな律儀でストイックな“SUDO”ことIsao Sudoをゲストに迎え、奇跡的な夏日となったベルリンの美しい大聖堂を背にインタビューを行った。
Interview:Isao Sudo
Isao「Awakeningsのメインステージを見た時、ここが自分の目指す場所だと思った。」
インタビュアー宮沢香奈(以下、Kana) Isaoくん(Isao Sudo)は私より少し前にベルリンに移住してきたと思うので、今5年目でしょうか。でも最初はベルリンではなく、ロッテルダムに住もうと思ってたんですよね?
Isao Sudo(以下、Isao) そうですね。まず、ヨーロッパのシーンを見たいっていうのが大前提にあって、移住する前にイビサやアムステルダムやベルリンっていろんなところを回ったんですよ。で、イビサに行った時に当時CocoonのVJだったAndy Godschalkと知り合って仲良くなったんですけど、ヨーロッパに拠点を移したいって話をしたら、ロッテルダムの自宅に滞在していいよと言ってくれたんです。それだけでなく、忙しい合間を縫っていろんなフェスに連れてってくれて、いろんな現場を見せてくれたんです。もう彼との出会いがなかったら今の自分はないと言えるぐらい運命的な出会いでしたね。あと、オランダのビッグアーティストEgbertとも仲良くなったんですが、スタジオ作業を見せてくれたり、いろんな街や自然の美しいスポットを案内してくれたり本当に良くしてくれたんです。
Kana わあ、ステキな出会いですね! そういった心温まるエピソードがあったら余計に住みたいって思いますよね。Andyとの運命の出会いに関してはまた後から聞かせてもらいたいと思うんですが、そこからなぜベルリンに住むことになったんですか?
Isao やはりビザの問題ですよね。アムステルダムに住む兄の友人を紹介してもらって、いろいろ教えてもらったりしたんですが、会社に就職しないとビザが下りないという厳しい状況だったんです。その点ベルリンはビザが取りやすいし、音楽活動するのにも良い街だと思っていたので移住を決めました。
Kana オランダのビザ事情はよく変わると聞きますが、当時はかなり厳しかったんですね。実際にベルリンへ移住してみてどうでしたか?
Isao すごく環境がいいですよね。まず、音楽に限らず、アートやカルチャー全般に対してとても寛大だし、みんな自由に表現出来てると思います。あと、みんな個人主義だから良い意味でほっといてくれるので制作に集中出来るんですよね。例えば、友達から飲みに誘われたとして、“今日は曲作りたいから”って言えば、“あ、OK!!”って理解してくれる。これが日本だったらちょっと違う反応が返ってきちゃいますよね(笑)。“付き合い悪いヤツかな?”と気になってしまうし。全く誘われないのも寂しいし、飲みに行ったり、遊びに行ったりすることで得られることもあるからどっちが良いとも一概には言えないんですけどね。ベルリンは移住したばかりの頃に一通り顔を出して、そのあとは制作に集中するように切り替えましたね。遊びに来てるのではなく、音楽をやりに来てるわけですから。
Kana おまけにこの街は誘惑が山ほどありますからね(笑)。
Isao そう、まさに!(笑)。平日から山ほどパーティーがあるから遊ぼうと思ったら毎日遊べちゃうんですよね。そうゆう誘惑をシャットアウトしてひたすら制作に没頭するようにしてました。ただ、尊敬するアーティストのギグには顔を出してましたね。遊びに行くのではなく、USBに自分の曲を入れてデモを渡すためですが。
Kana Berghainで某アーティストが終わった瞬間、ブース横にデモや自分の音源を渡すための列が出来ていたのを見たことがあります(笑)。やはりそういった地道な営業活動は多くのアーティストがやってるんですね。
Isao そうですね。コネクションを持っていないんなら自ら行くしかないんですよ。大きなレーベルに売り込もうとしても”誰だよ、お前!”の世界なので、メールなんか送ってもまず相手にされません。だから、直接行って渡すしかないんです。向こうも人間だから会った時の印象や熱意が伝われば、”じゃあ、聴いてみようかな”って思ってくれることがあるんです。
Kana メールはダメですよね。返事が来るわけがない。私のような仕事はまた特殊ですけど、どんな分野に対しても直接会って目を見て話すことが大事だと思ってます。それに、日本人ってここではマイノリティーな人種だから印象に残りやすいと思うんですよね。悪い印象を与えてしまったら逆効果ですが(笑)。そういったセルフプロモーションを行ってみてどうですか?何か得るものはありましたか?
Isao 〈Mood Records〉からのリリースはまさにその結果ですね。
Kana え、それつい最近の話じゃないですか??
Isao そうですね。8月にリリースした『Abstract』ですね。
Kana え、じゃあ今も自分の足で営業を続けてるってことですか??
Isao はい、もちろんやってます。Moodは主宰のNicole Moudaberが友人のDJ HitoちゃんのイベントOTOでベルリンに来た時に共演してデモを渡したんですけど、週明けだったかな?すぐに連絡が来て、”是非リリースしたい”と言ってくれて、そこからトントン拍子で話が決まりましたね。
Kana すぐにリリースに至ったこともすごいですが、これだけ忙しくしてるのに今も営業を行っていることに驚きと感心しまくりです。。
Isao Nicoleのようなケースはかなりレアですし、デモを渡してもスルーされることの方が多いのが現実です。でも何もしなかったら何もならないですからね。あと、僕の場合はセカンドリリースをDubfireのレーベル〈SCI+TEC〉から出来たことが大きいですよね。それをきっかけに反応やオファーがガラリと変わりましたから。
Kana その話も聞きたいと思っていたんですが、やはりそこが第一転機になったわけですね。しかも、2015年リリースですよね? 移住してきて、たった2年でそれってすごいことだと思うんですが、どういった経緯からリリースに至ったんですか?
Isao イビサに行った時にAndyがDubfire本人を紹介してくれたんですが、その時はまさかリリースすることになるなんて思ってもないし、覚えてもらってもなかったかもしれないですが、Hitoちゃんが神戸でDubfireと共演する時に自分のUSBを託したんです。それで渡してもらうことが出来たんですが、そこから全然返事が来なくて、ダメだったかあ。。と諦めかけた時にいきなり本人から連絡がきたんですよ。USBを渡してから4ヶ月は経ってたんじゃないですかね? “曲聴いたけど、すごいかっこいいからリリースしない?”って、言われた時はウソだと思いましたね(笑)。
Kana ウソて(笑)。
Isao しかも、リリースのスケジュールを確認したら1年後って言われたんです。“い、一年っすか!?”みたいな(笑)。リリースの連絡をもらったのが2014年だったので、そこから約束通り1年後の2015年に『Monogram』という曲を無事にリリース出来ました(笑)。
SUDO Live @ AFTER DARK, ageHa Tokyo
Kana ウソじゃなくて良かったですね(笑)。でもそれすっごいソワソワするし、コントラクトがあってもドキドキだし、何より“リリースするんだぜー!!”って大声で公言できないもどかしさがありますよね。
Isao Dubfireみたいなスターアーティストはめちゃくちゃ忙しいから仕方ないんですが、不安でしたね。でも、リリース後に一気に自分を取り巻く環境が変わったのは確かです。曲を作って欲しい、リミックスして欲しい、ブッキングも確実に増えましたから。テクノの世界ではまず知らない人はいないレーベルだからデモを渡す時にプロフィールとして言えるのは大きいです。
Kana そんなに違うもんなんですか?
Isao うーん、少なからずあると思います。実際に僕自身が経験してますからね。だから、本当にリリース出来て良かったし、デモを渡してくれたHitoちゃんにはとても感謝してます。
Kana アーティストじゃないと分からない“業界あるある”がやはりあるんですね。でも、たとえデモを聴いてもらっても楽曲の完成度が高くないとリリースにはこぎつけれないじゃないですか? やはりそこには確固たる自信があったってことですよね?
Isao そうですね。ヨーロッパのシーンを一通り見た時に、自分のアンダーグラウンドな音楽でもやっていけるって確信を持てたんです。キックとベースとハイハット、あとなんか一個あればいいんだって。自分のやりたい音楽がイビサの有数クラブとかでも通用するんだってことが分かって、その時はテクノって素晴らしいって改めて実感しましたね。オランダの<Awakenings>のメインステージを見た時に、ここで自分の曲がかかるのを聴きたい、ここでプレイしたい、そう思って曲を作ってきたんですよ。ついにこの前Nicoleがそれを実現してくれましたけど。
Kana じゃー、次は自分の出番ですね??
Isao そうなるといいんですけどね。自分がこれまで感銘を受けたのが<Awakenings>みたいな大きなフェスだったり、数千人入るような大箱なので、そういったフロアーに合う楽曲を主に作ってるんです。DJからライブアクト一本にシフトしたのも、自分が感銘を受けた時と同じように今度は自分の作った曲で人種や国境関係なく沢山の人が共感して楽しんで欲しいって思ってるからなんです。そのために音楽を作ってるし、世界中の人に聴いて欲しいんですよね。
Kana すでにそれはブルガリアの<Cacao Beach>で実現していませんか? Facebookに上がっていた映像と写真を見ましたけど、すごかったですね!
Isao Cacaoはそれはもうテクノの大御所アーティストのほとんどが出演してるような有数のクラブで評判も良いので、出演前はすごく緊張しましたが、会場は満員で、何をやっても盛り上がるぐらいすごく反応が良かったんです。本当に楽しかったですね!
Kana どういった経緯から出演が決まったんですか?
Isao 去年ブルガリアのソフィアのイベントに出たんですが、その時のギグがすごく良い反響だったのでプロモーターから“次は<Cacao>で!”って言われて、本当に呼んでもらいました。
Kana やはり現場ありきなんですね。本番でコケたら次はないっていうのは特にシビアと言われるベルリンだけじゃないですよね。
Isao もちろんそうですね。プロモーターはどこの国でも基本的にすごくシビアです。だから、試しに一度呼んでみたけどダメだったって思われたら次はもう絶対にないですよね。世界には巨万とアーティストがいるわけですから。
Kana そんな胃が痛くなるような状況で失敗しない秘訣はなんですか?
Isao いろんなパターンの音を用意して、ありとあらゆる状況に対応出来るように準備していくことですかね。国やイベント、クラブによって客層も流行っている音も全然違うから、どんな状況でも完璧に出来るようにセットを組んでいかないといけないんです。これはもう笑い話になっちゃいますが、インドのギグに呼ばれて行った時になんとEDMのパーティーだったんですよ(笑)。“EDMとか持ってないし!”って、案の定盛り上がらなかったですよね(笑)。
Kana (爆笑)それは修行過ぎる(笑)。他に印象深いギグはありますか? もちろん良い方の話でも構いません(笑)。
Isao これは結果的にすごい良かったってパターンですが、2016年に地元の神戸で初めて<078>というフェスが開催されたんです。しかも、神戸市のバックアップの完全オフィシャルのイベントで、街のど真ん中の公園を借り切って行われるという素晴らしい条件だったんです。僕も兄(SUDOはお兄さんのTakashi Sudoとのユニット名義でもある)もイベントのオーガナイズもやってきてたし、地元でフェスがないのを残念に思っていたので開催決定した時はすごい嬉しかったんですよ。Funktion-oneが搭載された数千人規模の本格的なステージというのも嬉しかったし。ただ、フェス自体は音楽だけでなく、映画やIT、ファッションとかいろんな分野が混ざってる複合イベントで、お客さんも当然子供からお年寄りまでと老若男女だし、テクノのお客さんなんてほんの一部だったと思うんです。他の出演者もいろんなジャンルのアーティストがいて、僕たちのアンダーグラウンドなテクノが受けるのかすごい不安だったんです。
Kana インドでの一件がありますからね(笑)。
Isao DJにしとけば良かった!失敗した!って最初は思いましたからね(笑)。でも、実際はものすごいピュアな反応を得れて、自分たちでもびっくりするほど盛り上がったんです。地元の初フェスに大トリで出演して、失敗どころか大成功して、もう感動して涙腺が緩みました。今までのギグのベスト3に入ってますね。
SUDO Live @078 Kobe Music Festival on May 6, 2017
Kana わあ、めちゃくちゃ良いエピソードですね。しかも、普段は離れてるお兄さんと一緒だったっていうのも大きいんじゃないですか? 日本に帰った時はいつも一緒にギグをやってますよね?
Isao そうですね。日本では基本一緒にやってるし、やっぱりずっと一緒にユニットをやってきたから2人でやるのは自分にとってもスペシャルなことなんですよね。兄は社交的でバリバリ行動してくタイプなんですが、洞察力にも優れていて、ベルリンへ移住する時も”良い経験になるから是非行って来い”って言ってくれたんです。
Kana 反対どころかお兄さんからの後押しもあったんですね。それは心強いし、嬉しいですね。Isaoくんを見ていると実力と努力も当然ですが、周りが応援したくなる人柄も絶対あると思うんですよね。
Isao そうですかね? 外国人アーティストの中にいると余計に無口でシャイに思われるのか、よく“Don’t be shy!!”って言われてますけど(笑)。
Kana そうゆうのとはまたちょっと違うと思うんですけど(笑)。Andyとの出会いとかまさにそうだと思いますし、自身のインタビューなのに周りの人への気配りや感謝が常に入ってくることがすごいなと思ったんです。それはやっぱり人柄なんじゃないかと。
Isao Andyに関して言えば、ヨーロッパでの最初の出会いが前述の通りでしたからね。さらにまだ驚きのエピソードがあるんですが、僕がロッテルダムから日本へ帰る直前にギグが一本入ってたんですけど、前日にAndyから”これを使ってがんばれ!”とDJコントローラーが届いたんです。さらには、当日のパーティーにロッテルダムで知り合った友人たちがみんな応援に来てくれて、しかも全員“I love Isao”ってプリントされたTシャツで来てくれたんです。Andy自身はイビサで仕事があったので来れなかったんですけど、裏で友人たちにサプライズを仕掛けてくれてたんです。
Kana 何それ!? ドラマみたいな感動エピソードじゃないですか?? Tシャツはちょっと照れくさいですが、私だったらもう号泣もんですね。やっぱり人種とか国なんて関係なく人間同士の繋がりが一番大事だし、そこから何でも始まるってことですよね。AndyもIsaoくんに会った時何か運命的なものを感じたんじゃないですか? ステキなエピソードが多過ぎて次は2人揃ってインタビューしたいぐらいです!
最後になりますが、日本人として海外で活動していく上で一番大事なことは何だと思いますか?これから来たいと思ってる人へのアドバイスもあったら是非お願いします!
Isao まず英語でのコミュニケーションが取れないとダメですよね。あと、海外に来たらそれまでの日本での自分のキャリアなんて一切関係なくなるわけだから、チンケなプライドなんて持ってたらすぐにズタズタにされちゃいます。ゼロからやっていく覚悟と相手にされなくてもめげない精神力が必要だし、僕もこっちに来てからそれを学びました。あとは、迷っていないでとにかく行動あるのみだと思います。いろんなとこに行って、いろんな人と会って、自分の思いを伝えることが大事だと思います。伝えないと何も分かってもらえないですからね。
Kana そうですね。そこはもちろん英語で!(笑)海外で活動するということはアーティストとしてのスキルアップはもちろんのこと人間としても鍛えられることが多いですよね。本日はありがとうございました!!
Isao Sudoプロフィール
SUDO (SCI+TEC, MOOD)
神戸出身のIsao SudoとTakashi Sudoからなる実の兄弟DJ/プロデューサーユ ニット、SUDO。80年代のパンクロックをルーツとし、共にバンド活動で 音楽キャリアをスタートさせ、ロック、ジャズ、ニューウェーブ、クラッシッ クといった多ジャンルから多種多様な影響を受けるなか、90年代初頭にSven Väth、Underworldなどのレコードに出会ったことでダンスミュージッ クにのめり込んでゆく。当時テクノトランスと呼ばれていたそれらの音源は彼らに多大な衝撃を与え、これらの音楽を求め世界中のイベントを旅することとなる。
また、当時関西エリアにはこういったイベントが殆どなく、複数のイベントを2人でオーガナイズしはじめる。なかでも98年に大阪・名村造 船所跡で行われた”TELEKTONON”が成功を収めローカルシーンでも注目されることとなる。後にイベント名を”BLISSDOM”と改名し、関西、東海エリア にてシーンの拡大に貢献していく。Roland-JV1000の購入を機に音楽制作へとその活動を広げ、2011年にINDIGO名義でアルバムをリリース。イビサのLas Daliasや韓国の名門クラブ”Volume”を単独で満員にしたり、ダンスミ ュージック販売サイトのKing Beatのトランス部門で1位を獲得するなど、音楽制作でも目覚ましい才能が開花するなか、同年にテクノの楽曲制作に特化 したユニット、”SUDO”名義で活動をスタートさせる。SUDOのライブ活動の中でも特に注目を集めたのは、喜多郎、ブライアン・イーノ、ヴァンゲリスなどの世界的に著名なアーティストたちが演奏してきた天河大弁財天社での数々の奉納演奏に参加し、その経験が後にSUDOに音楽的にも多大な影響を与えることとなる。2012年にはロッテルダム、イビサ島、ベルリンなどの滞在をきっかけに、Isaoはその活動拠点をベルリンに移すこととなる。
数年の昼夜を問わない音楽制作とパーティーでのデモ曲のプロモーション活動に明け暮れるなか、彼らの才能がDeep Dishとしても有名であり、テクノ最重要レーベルのひとつである”SCI+TEC”主宰のDUBFIREの目に留まる。15年6月には同レーベルから”MONOGRAM EP”のリリースが決定。これを機にイビサをはじめとした世界中のトップクラブでSUDOのサウンドがヘヴィープレイされるきっかけとなり、Dubfireは一年以上の異例ともいえる期間彼らのヒット曲”Invisible Space”をプレイし続けた。その後も、イタリアDeeperfect、フランスScander、UKのNight Light RecordsやENTER.Ibiza CD、スペインのStick Recordings、Selected Records、ハンガリーDarkface Recoerdingsな どからもリリースが続き、ヨーロッパのみならず、北米・南米・アジア・オーストラリアからの多大な注目を浴びている。
さらにリミックスのオファーを エレクトロニックミュージックの伝説的ユニットSystem7をはじめ、Roy Rosenfeld、Gaga & Mateo!、Oscar Aguilera、Alberto Ruiz、Jastin James他多数から受け、2018年にはNicole Moudaber、Secret CinemaのレーベルMood Records、Gem RecordsからのEPをリリース。
テクノのトップアーティストAdam BeyerやRichie Hawtinらのサポートを受け、そのクオリティを確立し、世界各国のレーベルから日々楽曲提供やリミックス以来が後を絶たない。またファッションブランドのルイ・ヴィトンやMIZUNOなどへの楽曲提供とダンスミュージックという枠を超えた活動も注目されている。2015年に待望のライブデビューを果たした彼らは、ageHaやバルセロナSonarでのSCI+TEC ShowcaseでDubfireとの共演、オランダのビッグネームEgbertとのツアー、2018年には世界的に有名なブルガリアのCacao Beachでのギグを大成功させ、ヨーロッパを中心に、日本人ライブアクトとして世界を舞台にした更なる活躍が期待されている現在最注目のアーティストである。
Booking contact
Ontheawolorg@abv.bg (Except Italy and Japan)
Antomeridiano90@gmail.com (Only Italy)
Photo by Yuto Yamada