私がQetic連載コラムでインタビュー企画を始めてから、一番名前を聞いたのが彼女だった。それは音楽関係者だけに限らず、実に多方面から“山根 星子(Hoshiko Yamane)”という名前を聞き、”一番インタビューすべきアーティスト”なのだと感じていた。だから、私はまだその会ったことのない1人のアーティストのことを常に頭の片隅で想像し、意識していたのだと思う。会いたいアーティストと次々出会っては様々な形で取材させてもらい、感銘を受けてきた。そんな中で、彼女にもきっといつか会えるだろうという予感がしていた。それから月日が流れ、偶然友人宅で挨拶を交わした相手が紛れもなく彼女だったのだ。

山根 星子という本名での活動、タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)、Tukico、KiSekiなど、様々な名義で様々なジャンルを同時にこなし、短期間でこれほどまでの実績を作り上げてきたアーティストが他にいるだろうか? 少なくとも私は知らない。そんな唯一無二のヴァイオリニスト・山根 星子さんを2018年最後のゲストとして迎え、念願のインタビューを行った。

今年を締めくくるスペシャルロングインタビューとなっていますので、是非最後までご覧下さい!! 

山根星子『一つだけになりたくなかった。だから、やりたいと思ったことは全部やってきたし、これからもやっていく。』

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インタビュアー宮沢香奈(以下、Kana) まずは、今年最後のゲストとして『ベルリンで生きる女性たち』インタビュー企画にご登場頂き、ありがとうございます!! 本日はよろしくお願いします。

山根星子(以下、Hoshiko) こちらこそよろしくお願いします。

Kana ようやく星子ちゃんにインタビュー出来る機会に恵まれて私的にも非常に嬉しいんですが、もうプロフィールを見るだけでもすご過ぎて何から聞いたらいいのか悩んでしまいました。まずは、やはりベルリンに移住してきたきっかけから聞きたいんですが、2006年に移住してきたんですよね? 

Hoshiko そうですね。日本では4歳からクラシックをやってきて、ベルリンに来る前は愛知県立芸術大学の音楽院に通っていたんですが、やはり本場のドイツで音楽の勉強をしたいと思ったんですよね。それで、春休みや夏休みを利用してドイツに来ては入りたい音大のリサーチや講習会を受けていました。習いたい先生がベルリンにいたので、個人レッスンを受けるために移住してきたのが2006年です。そこからもう丸12年になります。

Kana ドイツの音大に入るのはやはり大変なんですか? 演奏技術はもちろん、ドイツ語も必要になってきますよね?

Hoshiko もちろんそうですね。個人レッスンを受けながら語学学校にも通ってました。ベルリンに来てからいろんな大学を受けたんですが、もうすごい倍率なんですよ。それに移住してきた時点ですでに24歳だったから年齢的にも難しかったんです。なので、ベルリンではなく近郊の大学をいくつか受けて、ロストック音楽大学に受かったので、ベルリンから通ってました。

Kana え、めちゃくちゃ遠くないですか??

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Photo : Saki Hinatsu

Hoshiko 3時間ぐらいです(笑)。でも、この街が気に入っていたからどうしても引っ越したくなかったんですよ。それに、日本ではもう大学院を修了していたから、あとはレッスンとかオーケストラとか実技的なことだけを習いに行っていたので、週一ぐらいの通学でした。

Kana それでも大変ですよね。片道3時間掛けてまで引っ越したくなかったベルリンの何にそこまで惹かれたんですか?

Hoshiko 私は幼少期からクラシックしかやってきてなかったから、それ以外のことを全然知らなかったんですよ。ベルリンの物価がめちゃくちゃ安いことさえ知らずに音楽をやるためだけにここに来たから、クラブカルチャーが盛んな街なんてことも全然知らなかったし、テクノとかダンスミュージックとも無縁だったんです。語学学校の友達に初めてクラブに連れていってもらって、やっと“Berghain”とか知りましたから(笑)。

Kana そうだったんですね?! てっきりもともと興味があるんだと思ってました!!

Hoshiko 実は全然!! 日本にいた時に画家の知り合いぐらいはいたけど、ベルリンに来てからDJとか他ジャンルのアーティストたちと出会うようになって、カルチャーショックを受けたんです。今まで知らなかった世界の人たちと知り合っていくのがすごく楽しかったし、街自体もすごいおもしろいと思ってました。それに、ロストックの大学に受かった時点ですでにベルリンで知り合ったアーティストたちと即興とかセッションも始めてたので、そうゆう理由もあって引っ越したくなかったんですよね。

Kana なるほど。ベルリンへ来てから星子ちゃんの中で世界が一気に広がったんですね。しかも、2006年当時って今とは全然違くないですか?

Hoshiko 全然違いますよ! とにかく何でもありだったし、めちゃくちゃおもしろかったです。今でこそこんなオシャレなカフェとかあるけど、この辺なんて何もなかったですから。廃墟しかなくて、何だかよく分からないアーティストがいっぱいいて、普通に全裸で道を歩いてる人もいましたから(笑)。

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Photo : Saki Hinatsu

Kana (爆笑)。なんといっても“フリードリヒスハイン”ですからね。スクワット(アーティストやアナーキストが廃墟を占拠して住居やアトリエにしている建物のこと)とヒッピーだらけの時代だし、相当ぶっ飛んでそうですね。いいなあー!クラブとかも今とは違うイリーガルで激ヤバなとことかパーティーとかいっぱいあった時代ですよね。私なんてまだ憧れと妄想の世界でしかなかったです。その時代にベルリンのダンスミュージックと初めて出会うっていうのは、ものすごく衝撃的で貴重なことだと思うし、影響されないわけがないですよね。

Hoshiko そうですね。ベルリンに来たからこうなったんでしょうね(笑)。

Kana (笑)。でも、そこからのいきなりタンジェリン・ドリーム(以下、タンジェリン)の正式メンバーってすごくないですか?50年以上のキャリアと世界的知名度を誇る、しかも、日本人ではなくドイツ人で形成されたバンドのメンバーに抜擢されるなんて、ベルリンにいてアーティスト活動を勢力的にしていたとしても、そうそうある話ではないですよね。そこにはどういった経緯があったのか詳しく教えてもらえますか?

Hoshiko きっかけは、2010年にKlangstein奏者のユルゲン(Jürgen Heidemann)と一緒にやっている“KiSeki”というデュオで初めてコンサートをやったんですけど、その時にトーステン(タンジェリンのメンバーThorsten Quaeschning)が見に来てくれたんですよ。たまたまトーステンがユルゲンと幼馴染で、クラシックがベースにあって、即興も出来るヴァイオリニストがいるってことで見に来てくれたんです。それで、後日タンジェリン・ドリームってバンドやってるんだけど、フジロックに出ない?って言われたんです。

Kana もうその時点で“持ってる感”出てますね! 

Hoshiko でも私、その当時タンジェリンのこと知らなかったんですよ(笑)。

Kana えええーーーっ!!!

Hoshiko 正確にはYouTubeとかで曲を聴いたことがあって、後からそれに気付いたんですけど、その時は全くリンクしてなくて……(笑)。ただ、“バンドのことは知らないけど、フジロックは知ってる。”と(笑)それに、その当時は誘われたら何でも行ってたから、タンジェリンの件もそのノリと同じで”ああ、おもしろそうだな”って、軽い感じで引き受けたんですよ。日本人だし、通訳的な感じで必要なのかなあ?ぐらいに思ってましたからね(笑)。

Kana タンジェリンよりフジロックが優勢だったわけですね(笑)。 おもしろ過ぎるエピソードですけど、そこから正式メンバーになった経緯は?

Hoshiko 2011年の1月に、ウィーン郊外にあるタンジェリンの創始者であるエドガー(故エドガー・フローゼ)の自宅兼スタジオでオーディションを受けることになったんです。そこからようやく”タンジェリン・ドリーム”というバンドの経歴や楽曲を調べ始めたんですが、ウィキペディアを見たらすごいことが書いてあって、”なんかすごい話になってるな”ってやっと実感が湧いたんです。

Kana おそっ(笑)!

Hoshiko エドガーとはそのオーディションの時が初対面だったんですけど、もうオーラが違うんですよね。今でも思い出すと緊張しますが、まずスタジオに入って最初に“何が出来るの?”って聞かれたんですけど、その時はどれぐらい技術があるか見るためにベートーヴェンかなにかクラシックの定番を1曲弾いたんです。そしたら、”うーん、問題なく弾けてるけど、それだけじゃおもしろくないんだよね。あとは何が出来るの?”って言われて焦りましたよね。結局その日はそこまでで終わって翌日にもう一回弾くことになったんです。でも、“もう少しアーティスティックでクレイジーな人が欲しいんだよね。彼女、技術はあるけど、普通だよね”って、エドガーとトーステンが話してるのが聞こえてきちゃって、うわ! どうしようって。

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左:星子さん 右:エドガー・フローゼ

Kana “あのー、聞こえてるんですけど?ドイツ語分かるんですけど?”って感じですよね(笑)。そこからどうやって逆転勝利を得たんですか?? 何だか私まで緊張してきた!!

Hoshiko その日の夜に“今日で絶対運命が変わる”って確信したんですよ。もし、このチャンスを逃したら絶対にこのあと自分の音楽人生はないって悟ったんですよね。それで、明日何を弾けば、どんな自分を表現すれば繋ぎ止めれるかということを必死に考えて、考えて、とにかく与えられたものを全部やってやろう!って覚悟を決めたんです。それで、いざ翌日になって出された課題が、エドガーの作った曲に合わせて即興で弾くことだったんです。”それなら出来る!”と思って、もう無我夢中で全力で演奏しましたね。弾き終わった瞬間にエドガーが拍手をしてくれて、そこでメンバー入りが決まりました。

Kana (拍手)
わあ、すごい!! 鳥肌立った!! まず、普通の精神力だったら、そんな大御所のアーティストを前に怯んでしまうだろうし、“普通だね”って言われてしまったら自信喪失してそこで終わってしまう可能性の方が大きいと思うんです。でも、それを人生のチャンスだって捉えた星子ちゃんの精神力の強さに感心するし、やっぱりそこに行く運命だったんじゃないですかね。それに、タンジェリンのことをよく知らなかったのも逆に良かったかもしれないですよね。ファン過ぎたらそれこそ緊張でおかしくなって、うまく表現出来ないと思うし。あとは、何より、星子ちゃんの中で確固たる自信があったってことですよね?

Hoshiko それはそうですね。その証拠にタンジェリンとしての初ステージで“これが自分の天職だ!!”って実感しましたから。結局最初のきっかけとなったフジロックへの出演は、3.11の影響でスポンサーが降りたのでなしになってしまったんです。でも、同じ年の2011年5月にマンチェスターでのライブがすでに決まっていて、それが初ステージになったんですが、2000人の観客を前に演奏して、緊張するどころか最高に気持ちよかったんですよね。

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2011年6月ライブ with Brian May @テネリフェ島
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2014年 ワールドツアー

Kana そこから新たな音楽人生がスタートしたんですね。タンジェリンといえば実験音楽だし、これまでやってきたことと全然違うわけじゃないですか? それなのに初ステージで天職だって思えるってやっぱり導かれてますよね。ベルリンに来たことから全てが始まってるわけですが、自分の仕事に対して”天職”とまで思えてる人は本当に少ないと思うし、羨ましいことだと思います。

Hoshiko でもやっぱりエドガーが亡くなったことで受けた影響はすごく大きかったですよね。彼の意向で6人体制だったところからトーステンと私が残って、現メンバーのウルリッヒ(Ulrich Schnauss)が加入して、4人体制にメンバーチェンジしたばかりだったんです。新メンバーでオーストラリアツアーを回って、このままやっていくんだろうなって時に突然の訃報でしたからね。

Kana やはりそんなに違うものなんですか?

Hoshiko やっぱりタンジェリンは中心メンバーのエドガーありきのバンドでしたからね。エドガーが亡くなったのが、2015年1月だったんですけど、そこからほぼ空白になりましたから。もうこのままバンドを止めるのか、一年はトリビュートでやるのか、そんな状態でした。

Kana 入ってまだ間もないのに……。

Hoshiko 本当にそうです。でも、現メンバーでのコンビネーションがすごく良かったし、エドガーの奥さんがマネージメントをしているんですけど、奥さんからもタンジェリンの名前のまま活動を続けていって欲しいと言われて、それで続けることになったんです。そこから、小さい会場やドイツ国内のフェスとかに少しずつ出演しながら再スタートを切ったんですが、最初はやっぱり大変でしたね。バンドとしては50年以上のキャリアがあるけど、それはエドガーやこれまでのメンバーのキャリアだし、タンジェリンの昔からのファンの人たちって60代、70代が多いんですよ。自分の子供を連れて家族で見に来てる人も多いぐらいですから。でも、現メンバーの私たちは30,40代の同世代だし、新しい世代の若いファン層を増やそうって考えたんです。セットリストには昔の曲も入れつつ、セッションや新しい楽曲を徐々に入れるようにしていきました。それで、やっと今年になって忙しくなってきて、ようやく前の感じが戻ってきたって思いました。ウルリッヒがメンバー入りしてくれてたこともすごく良かったと思っています。彼はキャリアもあるし、ダンスミュージックのこともわかってるし、世界のシーンも分かっていたので、心強かったです。

タンジェリン・ドリーム、ソロ、作曲と多彩な顔を持つ世界的ヴァイオリニスト山根星子インタビュー 『ベルリンで生きる女性たち』 Part.5 rbb
2018年 ライブ with Paul Frick(Brandt Brauer Frick) @rbb (ベルリン)

Kana そんな苦労があったとは分からないぐらい活躍してるように思えるし、私も観に行かせてもらった11月のrbbでのライブも堂々たるプレイで、年齢層高めのファンを魅了してたと思うんですが、星子ちゃんの話を聞いてると、エドガー・フローゼがいかに偉大な人物だったかというのも実感させられますね。残念ながら生存中に生で観ることは出来ませんでしたが、彼の意思を引き継いだ新タンジェリンの活躍にも期待しています。偉大といえば、ジェーン・バーキンとも共演していますが、一体どうゆう繋がりなんですか?? これすっごい聞きたかったんです!!

Hoshiko それもまた人との繋がりからなんですが、ジェーンがツアーの時にバックで弾いてくれる演奏家を探してるってことで、パリ在住の同級生が繋げてくれたんです。それで、2011年のワールドツアーにサポートメンバーとして参加することになったんです。

Kana 今度はいきなりのフレンチ・ポップ!!

Hoshiko です(笑)。ジャズみたいなコード進行しかない譜面を渡されて、正直全然分からなかったんですけど、出来るって言いました。

Kana また(笑)!! もう言ったもん勝ちみたいになってきましたね。でもそれでまたバシッとやり遂げちゃったってことですよね。すごいなあ……。ジェーン・バーキンはどんな人なんですか?

Hoshiko すっごいフランクです。もう憧れの女性って感じ。

Kana それは全世界の人が思ってることだと思いますが……(笑)?

Hoshiko そうなんですけど!なんていうのかな? 本当に気取ってなくて、着飾ってなくて、もうね、オーラがピンク色なんですよ!自然体で笑ってて、私たちサポートメンバーへの気遣いも素晴らしかったし、空港で会ったファンにも握手とか写真とか気軽に応えてるんです。みんなに愛される人って、こういう人なんだろうなって思いました。2年間で30カ国ぐらい回ったんですが、ツアーに同行できて本当に良かったと思っています。

タンジェリン・ドリーム、ソロ、作曲と多彩な顔を持つ世界的ヴァイオリニスト山根星子インタビュー 『ベルリンで生きる女性たち』 Part.5 Jane-Birkin-Tour2011-2013
2011年~2013年 ジェーン・バーキン ワールドツアー

Kana うわー、是非会ってみたい!! というか、ジェーンもすごいけど、星子ちゃんの2011年が濃厚過ぎますよね。タンジェリンへの加入とジェーン・バーキンって!!

Hoshiko 確かに振り返ってみると2011年にいろんなことがギュッと凝縮されてますよね。でも、私何も考えてないんだと思います(笑)深く考えずに来るものは拒まず、何でもやるって言っちゃうんですよ。出来るって信じ込んでるし、出来るって言ってから、”さて、どうするか?”って考えてますから。

Kana まず、出来るって言えちゃう勇気と自信がすごいし、それで実際出来ちゃうからいろんなことに身を結んでるんですよね。タンジェリンやソロ名義以外でも前述の”KiSeki”だったり、”Tukico”だったりといろんな名義で、アコースティック、アンビエント、ビートの入ったミニマルと本当に幅広く手掛けてますが、どうやってハンドリングしてるんですか? 切り替えるのが大変そうだなあって思ったんですが。

Hoshiko うーん、一度に何足もの草鞋を履いてるのが好きなんですよね。一つのことに集中出来ないというか、一つだけになりたくないんですよ。タンジェリンに加入した時もまだオーケストラに所属してて、そっちではモーツァルト弾いてましたから(笑)ジェーンのツアーが終わった2013年から本格的に作曲を始めたんですよ。以前からラップトップや機材を使って楽曲制作をやってみたいと思っていたので、独学でロジックとか勉強し始めました。それで曲を作っていたらミニマルなサウンドに仕上がったんです。演奏家としては本名でやってたし、テイストも全然違うから、名義を変えたほうがいいかな?と思って”Tukico”にしました。名義を変えた理由はそれだけなんです。

Kana 名義変えたほうが分かりやすいですしね。

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2015年Tukico ジャパンツアー

Hoshiko ダンスミュージックのシーンってあんまり生楽器が入ってるスタイルがなかったからやってみたかったんですよね。制作を始めて最初の2年ぐらいは電子音楽の方にハマってて、まだペーペーなのに2014年にはsub-tleさんのツアーに参加させてもらってDommuneにも出たり、2015年には日本ツアーもやって、リリースもしました。Tukico以外での作曲はずっと続けてきた舞台音楽の影響からですね。

Kana 舞踏アーティストのMotimaruともコラボしてますよね? ソロアルバム『Threads』にも収録されている同タイトルの”Threads”とか壮大ですごく好きな楽曲ですし、彼らの舞台は言葉ではうまく表現できないすごさがありますよね。

Hoshiko Motimaruとはもう3、4年に一緒にやってますが、私も彼らの舞台を初めて見た時にすごい感銘を受けて、一緒に何かやりたいって自ら申し出たぐらいです。自分の名前で曲を作りたいとかではなく、彼らの舞台が好きだからそのために曲を作ってる感じですね。一度、舞台の制作費が足りない時があって、だったら舞台用に作った曲をBandcampで売って制作費に当てたらいいんじゃないかと思って、その時初めて自分の曲を売ることも始めたんです。そしたら、”あ、いけるんぢゃない?”って手応えを感じれたんですよね。

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Motimaru

Kana 全てにおいて勢力的だし、結果を残してますが、悩んだりとかしないんですか(笑) ?これまでインタビューさせてもらってきた人たちってジャンル関係なく、どこかで挫折を味わってたり、苦労の末に掴んだ今があったりしますが、星子ちゃんにはあまりそれを感じないですよね。もちろん、幼少期からの努力の積み重ねと才能だとは思いますが、それだけではない何かを感じます。ベルリンに導かれてきたように、他にはいない唯一無二の存在になるためにヴァイオリニストになったんじゃないかなと思います。

Hoshiko でも、こうなった今の方が迷う時がありますよね。21歳の時に、30歳までに演奏家として仕事をやっていく、40歳までに自分の音楽だけでやっていくって決めてたんですよ。今30代後半になって、曲もいろいろ作ってきたけど、自分が思っているほど理想に追いつけてない気がするんですよね。

Kana え、ここまでやって、実績を作っているのに?

Hoshiko やっぱりクラシックがベースにあるから、アナログで演奏するのが一番落ち着くんですよ。でも、7年も電子音楽をやってたらシンセとかも当たり前に知ってるって思われるんです。本当は全然知らないし、機材のこととかも詳しくないのに。そこのギャップをどう思われてるか気になることがあるし、プレッシャーに感じることもありますよね。やりたいと思ったことを全部やってきたから、自分はどこのジャンルにも属せてない感じがします。それが良いのか悪いのかも分からないんですけど。

Kana うーん、私はそれでいいと思いますけどね。元から電子音楽をやってるアーティストだったら知ってて当然だと思いますが、そうではないし、クラシックがベースにあるからこそ出来ることがあって、違う視点や感性があるからこそ他のことにも活かされてるんだと思います。一つに絞る必要はないし、そんなルールはないじゃないですか。星子ちゃんの曲を聴いてると、煮詰まった時とかギューってなってた気持ちが解かれてく感じがあって、すごく心地良いんですよね。往年のクラシックも好きなんですけど、そうではなく全部オリジナルで、アコースティックなサウンドの中にアンビエントやミニマルな要素も感じるし、逆にタンジェリンの時には電子音楽なんだけど、クラシックを感じます。それが星子ちゃんだけの持ち味で魅力なんだと思います。今はタンジェリンとしての活動が一番多いと思いますが、来年に向けて何かやりたいこととかありますか?

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Photo : Saki Hinatsu

Hoshiko 来年はアンサンブルのための譜面を書きたいと思ってます。自分の曲を弦楽四重奏用ににアレンジして、人に弾いてもらったら深みが出てすごくよかったんですよ。他の人にも弾いてもらうことで、自分一人だけで完結せずに一緒に作りあげてく感覚が得れるので、もっとやっていきたいですね。

Kana それはまた名義変えないといけないかもですね(笑)。最後になりますが、これは皆さんに聞いてるんですが、海外で活躍したいと思っている若いアーティストにこれだけはやっておいた方が良いとか何かアドバイスがあったらお願いします。

Hoshiko そんな大それたこと言えないですけど(笑)。 とにかくいろんな世界を見ることが大事ですよね。それはジャンル関係なく大事だと思います。だって、どこからインスピレーションを受けるか分からないじゃないですか。その時はグッときてなくても、後から思い出して気になることもあるし、出会った瞬間にグッとくることもあると思うんです。だから、いろんなものを見て欲しいですね、場所や人や物を。

Kana 実体現が身を結んでるだけに、めちゃくちゃ説得力がありますね。

Hoshiko あと、人との繋がりは本当に大事だと思います。昔、まだmixiが主流だった頃に、”日本からベルリンに遊びに行きたいんだけど、英語も話せないから案内してくれませんか?”って、全然知らない人からの書き込みがあって、”あ、おもしろそう”って思って引き受けたことがあるんです(笑)。 他にも、演劇をやりたいんですけど一緒にやりませんか?とか、ポップアップとかも呼ばれたらすぐに顔を出して、誰かしらと繋がってましたね。でもその時知り合った人たちがずっと私の活動を応援してくれてて、その人たちも年を重ねながらいろんな経験を積んでるから、違う業界で活躍してるんですよね。そこからまた人を紹介してくれたり、結果良い縁になっています。

Kana 私だったら危ないヤツだったらどうしよう?とか変に勘ぐって相手にしなそうですが、やっぱり星子ちゃんは人を引き付けてるんでしょうね。変な人という意味ではなく(笑)。全く違う分野でも星子ちゃんの音楽人生にプラスになる人が自然と周りに集まってきてるんだと思います。本日は寒い中長時間に渡り、貴重なお話をありがとうございました!!

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Photo : Saki HIanatsu

ベルリンの引力とは不思議なものである。この地にいなかったら巡り会えていない人と繋がり、またそこからさらに繋がってゆく。それは、日本人であってもどこの国であっても関係ない。それどころか分野さえも関係ない。灰色に囲まれた決して万人受けしないマイノリティーなこの地で、アドレナリンが彷彿するほど楽しめる“自分の道”を知っている人同士が自然と知り合い、自然と何かを構築しているのだ。だから、この街はおもしろい。

新たに迎える年もまた楽しいことで溢れんことを願って、皆さんにとって素晴らしい年になることを願って、今年最後のコラムをベルリンからお届けする。

山根 星子/Hoshiko Yamane

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