【特集】アレハンドロ・ホドロフスキーって一体、何者?
失敗してもかまわない、それも一つの選択なのだ
アレハンドロ・ホドロフスキー(以下:ホドロフスキー)は1929年、独裁軍事政権下のチリの村トコピージャに生を受ける。ロシア系ユダヤ移民としての余所者という境遇、また当時の弾圧対象であった共産党員で権威的な性格をもつ父親、自身を父親の生まれ変わりであると信ずる元オペラ歌手の母親という風変わりな家庭環境によって、常に疎外感に苛まれる幼少期を送り、次第に読書や思索に没頭していった。
学生時代に演劇の道へと入り、偶然性や一回性を尊重する演劇的芸術「ハプニング」に先行するスタイルの劇作を志向。パリやメキシコへと移った後も、すでに硬直していたシュルレアリスムを革新するパフォーマンスを行っていた。その現実をも浸食する野蛮でいかがわしい実験性を、撮影にまつわる知識などがゼロに等しいところから映画に持ち込んだのが、原始キリスト教以前の西部劇とも言える長編第一作『エル・トポ』だ。その興行的な成功で得た自由な条件の下で製作され、より神秘主義的要素を強めた『ホーリー・マウンテン』を発表するや、一躍カルト映画愛好家の寵児となる。
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前二作の反響から「人間の心の在り方を変える映画」を創るという想いを胸に、世界からホドロフスキーが「魂の戦士」と称する先鋭的なクリエイターを世界中から集め、フランク・ハンバート原作の一大SF叙事詩『DUNE』の製作をスタートするも金銭面から頓挫。失意の中、『TUSK』製作後は89年の『サンタ・サングレ』まで映画製作の場から離れ、『リアリティのダンス』の執筆・映画化までは、主にバンド・デシネ(※フランスを中心とした、芸術的に洗練されたコミック)の原作者として過ごしてきた。