私はDUNEだ、僕はDUNEだ

同時代または後に続くクリエイターへの影響力も計り知れない。アンディ・ウォーホルといった当時のカウンター・カルチャーを代表する人々の注目を一身に集め、『ホーリー・マウンテン』の製作においては『エル・トポ』を激賞したジョン・レノンが配給権を買取り、制作費を提供したという逸話もある。なかには『ホーリー・マウンテン』に感化され、発表当時は難解であると不当な評価が下された不遇の作品『ラスト・ムービー』を製作したデニス・ホッパーのようにハリウッドからの追放という憂き目に遭う不幸なケースも存在する。

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日本でも寺山修司や宮崎駿を始め多くの著名人を魅了し、映画のみならず、メビウスと共作したバンド・デシネを通じての影響を語る、『AKIRA』の大友克洋に至っては個人的な交流を持つ程の仲である。

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『DUNE』一作に限っても、特殊効果担当のダン・オバノンと建造物デザイン担当のH・R・ギーガーの仕事は『エイリアン』へと引き継がれ、全体のコンテを担当したメビウスは『トロン』『ブレードランナー』へとその残滓を散りばめ、その後の映画におけるヴィジュアル・コンセプトを刷新していった。

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