「“唯一無二”という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべる?」

独自の存在感を放つ俳優か、ワンフレーズで心を震わせるギタリストか、数々の記録を打ち立てるアスリートか。いずれにせよその多くは、「圧倒的な才能を持つ限られた人間」というイメージではないだろうか。

その問いに対する答えを導き出せるアーティストが、今回登場するJay Shogo(ジェイ・ショウゴ)かもしれない。

自らのブランドを持っていたアパレル業界から突如身を引き、2009年にロサンゼルスでアーティスト活動をスタート。独学のスキルと豊富なイマジネーションで頭角を現すと、世界最大級のアートフェスティバル<Art Basel Miami>での壁画制作に始まり、マイアミに拠点を移しつつ、ストリートアートの聖地「5Pointz」(ニューヨーク)でスプレーに開眼。その後は世界各地で影響力のある壁画を数多く制作してきた。さらに、世界的に有名な企業やブランドのプロジェクトへの参加や、内装・ロゴデザインなど、Jay Shogoの表現は多岐にわたる。

Qeticでは、Jay Shogoが2016年に帰国し、Gallery Conceal Shibuyaで日本初となる個展<Jay Shogo “RAKUGAKI” Art District>を開催した際に筆者が取材を行った。そして今回、国内で2度目の個展を9月15日から19日にかけて開催決定。その名も、『JAY SHOGO展 “唯一無二” 人生というキャンバスに自分らしく描く。』だ。

個展を開催するという連絡をもらったとき、6年ぶりという月日の早さ以上に驚きを感じたのは、その開催場所だ。舞台となるのは、静岡県浜松市にある「遠鉄百貨店」。百貨店とストリートアート、その邂逅にこれまで独自の道を歩んできた Jay Shogoらしさを感じるとともに、「なぜ百貨店?」という疑問を解消しないわけにはいかなった。

そこで今回は前後編にわたってフィーチャー。前編では個展開催に至った経緯に加えてJay Shogoのキャリアに迫るインタビュー、後編では実際に遠鉄百貨店を訪れて個展の魅力に迫ったレポートをお届けする。

果たして、Jay Shogoは“唯一無二”なのか? その答えは、あなたの予想とは少し異なるものかもしれない。

Interview:Jay Shogo

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LA、マイアミ、ニューヨーク
アーティスト・Jay Shogoの誕生

──まずはご自身にとって国内2度目となる個展が、遠鉄百貨店という大規模かつストリートアートの個展ではめったにない会場で開催されることになった経緯から聞かせてください。

今回の個展に至るまでに国内も海外もいろいろ回ってきた中で、特に国内を回っているときに、「自分が子供のころって百貨店がもっと盛り上がってたよな」って思うことがあったんだよね。例えば遊園地的なものがあったり、ペットショップみたいなのがあったり、アイスクリームを食べたりして。百貨店に行くこと自体に楽しみがあった。ただ自分も大人になった今、地方だけじゃなくて東京も含めて百貨店にパワーがない印象があって、どこか寂しさみたいなものを感じていたんだ。その一方で、コロナ禍になる前に自分の同級生の繋がりで、浜松に壁画の仕事で行く機会が多くなっていた時期があって、そのときに浜松の人たちをたくさん紹介してくれたのね。さらにその中のひとりが、自分のことを遠鉄百貨店の方に紹介してくれた。そしたらさっき俺が言ったようなことを遠鉄の人たちも共感してくれて、ぜひ大々的に盛り上げていきましょうっていう話になり、今回の個展に繋がっていったんだ。

──それでは実際のところ企画にOKが出て、動き始めたのはわりと最近の話ですか?

ぜひやりましょうってなったのが去年の今頃で、そこから下見に行ったりして、本格的に動き出したのが今年の1月。日本での個展は今回が2回目でこれだけ大きな規模で開催するのは初めてだけど、2009年から描き溜めてきた作品があったから、当初はあともう少しプラスすればいいかなってぐらいに思ってた。ただし出張がてら浜松に行って会場のサイズを測ってみるとけっこうな広さで、それはしっかり埋めないとみっともないから、東京に戻ってひたすら描き始めたんだ。あと物販のデザインとかもして、いろいろな方の協力も得ながら今に至るって感じかな。

──個展に関してはレポートも予定しているのですが、今回はその話だけではなく、Jay Shogoというアーティストのこれまでを振り返っていきたいです。まずアートの世界に足を踏み入れる前は、デザイナーとしてアパレルやサングラスのブランドを手掛けていましたよね。そのあたりは2016年のインタビューでも触れています。

仕事はそうだね。あと当時は自分の趣味で、プライベートでは国内外問わずよく美術館に行ってた。というのも俺は子供のころ、図工がめちゃくちゃ得意だったんだよね。俺が絵を描くとクラス中のみんなが見に来たり、ほかのクラスでも先生が紹介したりしていたぐらい。そういうのって子供心ながらに、特別な気分になれたんだ。

──とはいえ、そこから大人になるまで絵は描いていなかったわけですよね。実際、アパレル業界で自分のブランドを立ち上げて働いていたわけですし、何がアーティストを志すきっかけだったんですか?

俺は美術の教室とかで学んだわけではないし、小中学校のときに絵を描いた画用紙なんてさほど大きくないじゃん。それでふと思ったのが、じゃあそれよりもっと大きな紙に描いて、3枚ぐらい繋げてオフィスの壁とかに飾れば美術館っぽく見えるんじゃないかなって。であるとき、サングラスのブツ撮りをするときに敷く白い紙にちょっと絵を描いてみようかなと思ったんだ。ただし絵の具とかを用意するのは面倒だなと思って、選んだのがコンビニとかにもあるマッキー。それで一気に好きなものを描き始めて、その中には今でも描き続けている“Ya-man”というキャラクターがいた。そこからさらにキャンバスを3枚買いに行って、画材屋の人とかにいろいろ聞いたりしながら、見よう見まねで一気に十何枚かは描いたかな。それを持ってLAに行って、そのまま住み始めたんだよね。

──日本で絵を描き始めてから渡米までが怒涛の展開ですね。

もうアートでやっていこうと思ったんだよね。それが2009年。そこからLAを拠点に会社を作った。あとトヨタのセコイアっていう大きなクルマを購入して、要するに走る広告じゃないけど、俺が描いたアートをラッピングして州をまたぐような旅をしたわけさ。そうするといろいろな人から声をかけられて、そのたびに自信がついていったんだよね。それであるとき、ビバリーヒルズのセレクトショップからソロの個展の話がきたんだ。それが成功したあと、当時のアメリカの中では一番デカいと言われていたLAB ARTっていうギャラリーからも声をかけられて、日本人で初めて契約を結んで、ラスベガスのライセンスショーに出た。さらに2012年の末に<Art Basel Miami>っていう世界最大級のアートショーがあって、そこに招待されるようになってから、マイアミに活動の拠点を移したんだ。

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LA時代のアトリエ(2011.03)
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LAB ARTに自身のアートを納品(2011.05)
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LA時代のアトリエ(2011.09)
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アートをラッピングしたセコイアでの旅(2012.09.30)

──LAとマイアミを比べて、アートに対する反応などで違いはありましたか?

LAにいたときよりも、マイアミの方が反応はめちゃくちゃ良かったんだよね。友達もたくさんできて、その中にはマイアミのウィンウッドっていう地区のお店をやっていて人気があったラジチャトラーニっていう男がいて、彼と俺はすごい仲良くなって、そのころから壁画の依頼とかも増えてきたんだ。ただし、それまで俺は壁画をほとんど描いたことがなくて、試しに描いてみたらすごい下手くそだったんだよ。これは人に見せられないなって思っていたときに、自分の知り合いのフランクっていうやつから、「ニューヨークのクイーンズにある『5Pointz』っていうストリートアートのメッカで修行できるぞ」っていう話があって。そこはある程度のスタイルやスキルを持ってなきゃダメなんだけど自分はOKをもらえて、スプレーのテクニックが欲しいがためにニューヨークへと渡るわけですよ。

──LA、マイアミを経て、ニューヨークでの修行編が始まるわけですね。

そう。ニューヨークではふたりのストリートアーティストに先生を頼んで、2日間ずつ計4日間、1日350ドルを払ってテクニックを学んだ。ひとりはオールドスクールが得意な人で、もうひとりはニュースクールだったね。あと学ぶと同時にひとつの壁を描かせてもらったんだけど、あそこに描いたのは日本人で3人目だったはず。それからマイアミに戻って、以前に壁画を描かせてもらったビルのオーナーに頼み込んで修正したんだよね。以降は自分の中でも自信がついて、マイアミだけではなくアメリカのいろいろな州をまたいで壁画を描いて、アメリカ以外にもいろいろな国で描いていった。あとは世界でも名が知れているブランドのロゴデザインをやらせてもらったりとか、オフィスの壁画をやらせてもらったりとかっていう感じで今に至るわけさ。けっこう大変だったよ。やっぱり普通の精神じゃできなかった。とにかく気合い、情熱。「自分は“唯一無二”の存在じゃなきゃいけない」っていう自信と勇気を持って、一歩一歩、動いていった。でもすぐに結果がついてくるわけじゃない。アートの世界に足を踏み入れてから十何年という月日が流れているわけだけど、まずは自分に負けちゃダメ。人がなんと言おうと、自分がブレちゃいけない。ブレそうになったことはいくらでもあるんだけど、でもやっぱり芯の部分はブレないようにしてる。

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マイアミのアートスクールでの講師体験(2013.05)
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5Pointzでスプレーのテクニックを教えてもらっているところ(2013.06)
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5Pointzで受けたスプレーテクニックのレクチャー(2013.06)

Eランクからのスタート
“唯一無二”は自分だけじゃない

──これまでの経歴をギュッとまとめて話してくれましたが、かなり濃密な時間の過ごし方でなおかつ前例がないだけに、今回の個展のタイトルにある“唯一無二”という言葉にまさに当てはまると思いました。

でもよくよく考えてみたら、“唯一無二”っていう言葉は別に自分だけじゃなくて、いろいろな人にも当てはまると思う。例えば友達も仕事関係で会う人も、あとは子供とかもそうだけど、みんな得意分野ってあるはずなんだよね。それに自分では気付いていない人もいれば、気づいているけどやらない人もいる。例えば俺は子供のころ、体育も自信はあって、野球とかいろいろスポーツもやってたんだ。美術の方が自信あったのは間違いないんだけどね。ただ子供のころってスポーツをやった方が、夢としてもビジネス的にもいいし、あと例えば女性にモテたり有名になれたりするかもって思うこともあった。たぶんこういう考えってわりとみんな持ってると思う。でも本当の自分の得意分野に気づいて、信じたから今がある。その意味でみんな誰しもが“唯一無二”の存在というか、“ワンアンドオンリー”だと思ってるし、そうあってほしいという想いも込めて今回の個展のタイトルにしたんだよね。

──そういう想いだったんですね。あとはJay Shogoというアーティストが築いてきたキャリアの中で、さまざまな要素が“唯一無二”になる鍵となってきたとは思うのですが、その中でも特に大事だったことはありますか?

行動はやっぱりめちゃくちゃ大事だと思う。当たり前だけど、行動なくして成功はない。やっぱりアメリカで世界一になりたいんだったらアメリカに住まなきゃダメだし、自分にとって向こうで挑戦したっていうのは大きな行動で、今回の大きな個展っていうのもひとつの行動というか、勇気と自信がないとできないものだったと思う。結局そういうことの繰り返しで、何周も何周も何周もしてるんだよね。不思議なことに、よく一発でボンって売れたいみたいな人がいるんだけど、それって限りなく確率は低い。やっぱりドラクエじゃないけど自分のレベルもあるし、クリアしないと進めないステージっていうのは必ずある。それは現実の世界でも同じように考えて、やっぱり階段をひとつずつ登っていくしかなくて、その過程があることでスキルも上がっていって、内面も成長していく。それと面白いことに、クリアすることによって、次のステージの仕事っていうのは必然的に入ってくるんだよね。

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政府の許可を得て公共のスペースに制作したバルバドス初の壁画(2014.12)
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バルバドスのCopacabana Beach Clubに描いた“HAPPY WALL”(2014.12)
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毎年12月に開催されるArt Basel Miamiで制作したWynwood Art Districtの壁画(2014.12)
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韓国のストリートアートフェスティバル『SAAF』で受けた現地テレビ局・OBSの取材(2016.10)

──加えてJay Shogoというアーティストは、作風やテーマを常に変化させながら進化してきた印象もあります。

大きく分けると、俺みたいに変化していくアーティストと、同じことをずっと追求していくアーティストの2パターンがある。もちろん、ひとつのことをずっとやってる人っていうのは、俺の中ですごいなとは思うのね。でも昔の有名なアーティストも、意外とスタイルは変わったりしてる。例えば横尾忠則とかは、Y字路のシリーズの絵を描いていたと思ったら、急にヒッピーやサイケデリックなスタイルになったりとか。その点、自分は海外に行くとたくさんのアーティストと出会うし、その人の作品を見たり、あとはいろいろな街へ行っていろいろな経験をしたりすると、やっぱり描きたいものも変わるんだよね。「今度はあれを描いてみよう」っていうひらめきみたいなものがいつもあるし、あと人生って1回しかないから、同じものをずっと描くっていうが性に合わないんだ。例えばファッションもそう。たまにはシャツも着たいし、太いズボンも細いズボンも履きたいしみたいな。だからといって、流行りがどうこうってわけじゃない。自分の中のスタイルとして、いろいろな絵を描きたいっていうところに今は落ち着いたんだ。その意味では結果的に、最初に“Ya-man”というキャラクターを描きながらも、そのあとに違うアートも描いたことによって、それらがうまくドッキングしたり、頭の中でいろいろなコラボレーションがつくれたりした面はあると思う。

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アメリカ合衆国カンザス州オレイサ(City of Olathe, KS, USA)交差点を封鎖し、道路に描いたCity of Olathe/都市開発プロジェクト(2019.06)
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アメリカ合衆国メリーランド州タコマパーク(Takoma Park, MD, USA)で、電気自動車充電ステーションにアートをラッピング/都市開発プロジェクト(2019.10)
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クリスタルシティ(Crystal City, Arlington, Virginia, USA)壁画 / 都市開発プロジェクト(2019.11)

──ちなみに前回のインタビューでは、「日本でもっとアートを身近にしたい」とも仰っていました。その後は国内のさまざまな場所で壁画を含めてアート作品を手掛けてきて、それは少しずつ叶っている感覚は……?

あるある。ゼロをイチにした感覚はあるし、もっと増えてほしいなって思う。やっぱりどうしてもね、日本って知っていけば知っていくほど、街に絵を描くのがけっこう難しい。街並みがどうこうとか、ここは描いちゃいけないとか、基準みたいなものがいろいろあるから。それなら根っこから変えていくしかないと思ったりもするし、協力してくれる人もけっこういるよ。「アートを身近なものにしたい」っていうのは今でも思っていて、そこがベースでもある。日本ってちょっとおしゃれな人がアートに興味を持つイメージがあるけど、海外ではパッと見は普通そうな人とかも俺がアーティストってわかった瞬間に、携帯とかでさっと調べて「このアーティスト知ってる?」とか「僕はこのアーティストが好きなんだよね」とか、すぐに紹介できるんだよね。それぐらいアートが身近なんだよ。

──いいエピソードですね。個展を開催するにあたって、準備の段階で過去の作品を改めて見直したと思いますが、そういった時間にこれまでのキャリアを振り返ることはありましたか?

振り返ると最初にアメリカに行ったとき、「俺はなんてことしちゃったんだろう」と思ったんだよね。というのもやっぱり上には上がいっぱいいて、Sランク、Aランク、Bランクとかがあるとしたら、俺はEランクぐらいのところにいたのよ。当時、ロサンゼルスで道を封鎖して壁画を描いているやつを見て「超カッケぇ……あんなの俺ムリだわ……」って思ってた。でもやっていくうちに、いつの間にかに俺も道を封鎖して描いてたよ。でも初めの頃は「やばいところに来ちゃった」「もう引き返せないしな」みたいな時期もあった。でも信じるしかないなと。

──信じる、というのは何を特に信じたのかを教えてください。

自分がやっていることを信じる、かな。嘘偽りなく。アメリカにいた当時は褒めてくれる人もたくさん身近にいたけど、ただ世の中みんなが褒めてくれるわけじゃないからさ。そこでの葛藤もあったし、どうすれば認めてもらえるのかなとか、いろいろなことを考えたりもしたんだけど、でも結局は自分自身。自分が納得できれば、周りも認めてくれるだろうなと。まあ今となれば別に認めてもらいたいとも思ってないし、とにかく自分がやるべきことをやる。例えば人生の中の選択もそうだけど、自分のチョイスじゃないと納得できないじゃん? もう、後悔はしたくないわけだよ。ほかの人の話もいろいろ聞くけど、みんなが10ダメだと言ったとしても、自分はいいと思っていることはやってみればいい。それに、面白いことが100%否定されることなんてないんだけどね。

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リズモー(Lismore, New South Wales, Australia)壁画のために、車で往復4時間かけて訪れたBrisbaneのスプレー屋(2019.12)
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リズモー(Lismore, New South Wales, Australia)壁画(2019.12)
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ポート・メルボルン(Port Melbourne, Victoria, Australia)壁画 / 都市開発プロジェクト(2019.12)

半端じゃないエネルギーの
300点を超える原画

──まずは個展だと思いますが、これから先のことはイメージしていますか?

今は未来のことを考えなくなった。例えば、11月4日の昼メシ何食うなんてわからないじゃん。あと未来のことを考えれば考えるほど人間って不安になることもあると思うし、見えないことを考えて不安になってもまったく意味がないからね。だからどうするかというと、今を楽しむ。今は仕事に集中しなきゃいけないっていうのはわかってるけど、仕事が落ち着いて飲みに行きたいと思ったら俺は行っちゃう。今後で言うと世界中に自分のアートを描きたいっていうざっくりした想いはあるし、70歳80歳とかになっても現役でいたいから体は鍛えていて、そのころには2年とか3年かけて絵を描こうかなっていうようなイメージもある。だから目標というか想定かな。アーティストとして一生やっていくことと、いろいろな人と出会いたい。不思議なことに、この歳になっても友達はできるからね。

──それこそ帰国されてからは、どちらかというとアート系以外のジャンルの人との繋がりが増えている印象がありました。それは今回の個展が決まった経緯にも共通する部分なのかなと。

海外ではアーティストの友達ってめちゃくちゃ多いけど、日本だとアーティストの友達はいるにはいるけど、そこまで会わないから。正直、1年で2・3回ぐらい会えればいいし、その方が面白い。あと他業種の人って言っても、もう仕事じゃないんだよね。仕事の内容とかで人を見てないし、その人自身の問題。面白い人っていうのは別に金を持っていようが持ってなかろうが、いい仕事してようがしてなかろうが、その人自身が面白ければ何でもいい。

──ここまで話を聞いてきて、Jay Shogoというアーティストは“唯一無二”になろうとしたのではなく、“唯一無二”であることに気づき、それを信じ続けている人なんじゃないかと思いました。

それはアートだけじゃなくて、みんなに共通する部分だよね。だからそれぞれが“唯一無二”なんだよ。あと俺はここ(頭)で人と付き合ってない。ここ(心)で付き合ってる。初めましてのときは一瞬ここ(頭)で考えると思う。でもそんなのはずっとやらない。いつのまにかここ(心)で話して、繋がっていく。

──それで言うと、今回の個展を開催する遠鉄百貨店の方々とはその部分で繋がれた?

うん、気持ち良く繋がったね。それと今回に関しては、前回やったときと同じような規模のところではやりたくなかったんだ。もっと言うと、これまでは個展に対して興味もなかった。やっぱり大変だからね。大きいところだったらやるっていう気持ちはあったけど、それには膨大な量の作品が必要。そこに対する踏ん切りがこれまではつかなかったけど、今回はこの人たちとならやってみたいと思えたのが一番のきっかけだね。やっぱりすごいエネルギーを使うし、大変なことはたくさんあるけど、それを乗り越えてやってみようっていう気持ちの方が勝った。

──百貨店にストリートアートが存在する。その構図自体がものすごくカウンターだなと思います。

シンプルに面白いでしょ? アート界の常識も、俺の中では正直いらないんだよね。それに、百貨店の方が間違いなくたくさんの人が来るじゃん? ゴルフウェアを見に来たおじさんや、子供服を買いに来た主婦、あとはさわやかのハンバーグを食べに来たカップルもいるはず。だからこそ、入場を無料にしたんだよね。どうせならこの機会に、いろいろな人に観てもらった方がいいじゃん。300点を超える原画をぜひ観に来てほしい。原画には半端じゃないエネルギーがあるし、「こういう風に筆が走ってるんだ」とかは、ポスターじゃわからないから。そういう原画でしか伝わらない魅力は、間近でいろいろな人に観てもらいたいね。それこそ、サザエさんの一家みたいな人たちに来てほしいよ。フネさんもタラちゃんも、何ならタイ子さんも来てほしいし、イクラちゃんも来てほしい。あと花澤さんも来るかもしれないじゃない? ハハハ! その目に触れるのが、ストリートアートっていうのがいいよね。

Jay Shogo 2012-2021

Interview&Text by ラスカル(NaNo.works)

INFORMATION

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PROFILE:Jay Shogo(ジェイ・ショウゴ)

2005年に株式会社エメラルドを設立し、自身がデザインするアパレルブランドをスタート。2009 年にはアイウェアブランドを立ち上げ、同時期にロサンゼルスでアーティストとしてのキャリアをスタートする。 ニューヨーク滞在中に、ストリートアートの聖地として知られる “5Pointz(ファイブ・ポインツ)” でスプレーテクニックを習得し、マイアミ、ロサンゼルス、バルバドス、オーストラリア、韓国、日本など世界各地で影響力のある壁画を制作。 さらには優れた創造性、スキル、豊富な経験を評価され、世界的に有名な企業やブランド、地方自治体のアートプロジェクトなどにも任命される。2022年9月15日(木)から19日(月・祝)にかけて、静岡県浜松市の遠鉄百貨店にて、国内2度目となる個展『JAY SHOGO展 “唯一無二” 人生というキャンバスに自分らしく描く。』を開催。これまで描いてきた300を超える原画を無料公開する。

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JAY SHOGO展 “唯一無二” 人生というキャンバスに自分らしく描く。

【開催期間】2022年9月15日(木)~ 2022年9月19日(月・祝)
【開催場所】遠鉄百貨店・本館 8F 催会場
【開催時間】10:00~18:00(※最終日は10:00~17:00)

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