――今回の展示を見て、改めてJay Shogoのアートは“多彩かつ多作”だなと感じました。

ありがとう。元々はマッキーを使って、“Ya-man”というキャラクターと木や太陽などのモチーフを組み合わせたスタイルから始まって今に至るんだけど、ここまで自分自身の中でいろいろな葛藤があった。その中で大きな変化はアートでメシを食っていこうっていう気持ちになったこと。その時に、今までやってきたアパレルのマーケティングの大きさと、アートのマーケティングの大きさ、つまり狭さを日本の中でも知った。

海外では別のパワーバランスなんだけど、例えば作家さんの多くは自分の絵があったらそればかり描く。もちろんその作家さんが好きならその絵を買う人はいるんだけど、でも一般消費者がそれを買うかといったら、よほど知名度のある絵じゃないと買わない。自分は元々洋服のデザインをやってたから、ストリートのカルチャーを取り入れたりしてるんだけど、それでもやっぱりまだまだ浸透しないなっていう感覚があった。

それならまずは入り口を広げるために著名人の顔を描いたりだとか、NIKEを描いたりだとか、描くものの幅と引き出しを広げてみようと思った。例えばNBAが大好きな人はNBAのレジェンドが何人も並んでる絵があったら欲しくなるかもしれないし、例えばジョーダンシリーズの初代から今までのものが並んでる絵があったら、欲しいってなる人はいると思う。そういう形で入り口を広げて、最終的に自分の絵を知ってもらえたらっていう方向転換が出来る時があった。結局、自分のアートが決まっている人が多くて、それはそれでいいんだけど、そこから何も進まない人も多いと思う。

【インタビュー】“アートを身近なものに――” 等身大のJay Shogoが辿り着いた現在地 05-1

【インタビュー】“アートを身近なものに――” 等身大のJay Shogoが辿り着いた現在地 06

――その感覚は日本とアメリカ、両方のアートの世界を知ったからこそ得られたものかもしれませんね。話しは少し変わりますが、アートは独学というのは本当ですか?

そう、絵を描き始めたのは32歳、全く知らないところからアートの世界に入った。でもそれは結果的に“鈍感力”じゃないけどよかったと思ってる。下手に変な知識が入っていたら、もう辞めていたかもしれない。ニューヨークへ行ってスプレーのテクニックを練習したりはしたけど、あとはもう場数。それこそ地元の友達が船橋に工場を持ってて、何かにチャレンジする前には練習しに行くんだけど、指とかパンパンになるよ。日本のアーティストで海外へ行きたい…みたいな話はたまに聞くけど、そう簡単なことではない。とにかく実際に見て、経験するしかないと思う。

遡って昔の話で言うと、32歳で始める前も絵の具を使ったりして趣味程度ではやってたし、子供の頃、図工・美術の成績はずっと5だった。図工・美術の時間で絵が完成し始めると気がつけば友達が周りに集まってたりして、あの時の気持ち良さは今でも覚えてる。あと小学生の頃はアメリカの映画とか英字新聞、あとはアメリカのガムとかを見て、カッコいいなと思う子供だった。

――Jay Shogoというアーティストを見ていると、メジャーなフィールドで勝負しながらもどこか草の根的で、あとアートに詳しくない人にも訴えかけているような印象を受けるのですが。

今思うのは、「アートを身近なものにしたい」ということ。例えば、子供には原画はたくさん見せた方がいいと思う。なぜかと言うと、いわゆるカレンダーとかポスターの絵じゃタッチがわからない。今回展示した絵は、子供がちょっと大きくなれば「これはマジックで描いたんだ」とかわかるから。ペンの走り方とかもね、ただそれは原画じゃないとわからない。海外はこれも場所によってだけど、アートを身近なものにしていて、普段から触れているから、想像力がハンパないんだよね。ルーツで考えてみても、子供が一番最初にペンを持って壁でも紙でも描くのは「絵」だからさ。字でもなければ数字でもない。アートに触れて想像力豊かに育った人が日本で増えてごらん? 今みたいに若者とかが「うちの会社、上の人が厳しくて…」とかなくなるよ。

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――想像力の欠如は現代においてさまざまな場面で言えることだと思います。アートという、ともすれば最も想像力を必要とする業界だからこそ、より感じるのでしょうか?

アートというすごくわかりづらい業界にいるから、いろんな話術だったり行動を通して、より知ってもらうために動いているところもある。例えばアートの中でも壁に絵を描く、描かないにしてもさまざまな意見があって。でも思うに、誰かの地元が渋谷だったとして、渋谷第2公園っていうのがあるとする。それが正式名称だとして、そこに象のオブジェがあったとしたら子供たちはきっと“象さん公園”って呼ぶんだよ。例えばビルでもそう、第6山秀ビルっていうのがあってそれが正式名称だとしても、そこにピースマークの絵が描いてあったら「あのピースビルでしょ?」ってみんな言うと思う。その絵が良ければ今はSNSがあるからみんなハッシュタグをつけてシェアするから、それ自体が結果的に広告にもなるわけで。そういうことも大事なんじゃないかと思う。

――アートが“観に行く”ものではなく、“そこにある”ものという考え方が根付けば何かが変わるかも知れませんね。いろいろな経験、そして変化を経て日本で初めての個展を開催したわけですが、今後の展望はありますか?

何もないって言っちゃうと嘘になるけど、基本的には先のことをなるべく考えないようにしてる。今は結果を求めなくなったんだ。前までは結果ばかり求めていて、こうあるべきだみたいのもあったんだけど、今はそういうのが全くない。結果を求めなくなったら、逆に仕事が舞い込んでくるようになったんだ。あと新年の初詣とか行くと、お願いするのは家族の健康、周りの人の健康、あと心の健康、それだけだよ。

でもこういう風に思い始めたのは1年半前ぐらいから。今って…いろんな話を聞くじゃん? でもそんなのどうでもよくて。妻も娘もいるけど、結局は他人なんだよ、何も出来ないんだよ。だから誰かを変えたいんだったら、自分を変えなきゃいけない。例えばこうやって鏡を見て、「こいつを変えたいな」って思う、それで「お前変われよ」って言ったり、「髪とかしてあげるよ」って思ってても何も変わらない。でもその時に自分の髪をとかしてみなよ、鏡の向こうの姿は変わるでしょ? だから自分が変わらなければ何も変わらないし、自分が笑えばきっと、相手も笑うと思うんだよ。

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PROFILE:Jay Shogo(ジェイ・ショウゴ)

2009年にロサンゼルスにてアーティスト活動を始動。 毎年12月に開催される世界最大級のアートフェスティバル<Art Basel Miami>に2012年に招待され、Mural(壁画)制作と インスタレーションを開催。 同時期にロサンゼルスからマイアミに拠点を移し、ストリートアートの聖地「5POINTZ」(New York)をはじめ、「1ofK Jeans Flagship Store」(Miami)、「Beach Bar Copacabana」(Barbados) など世界各地のMuralを制作。 また、アメリカ・カナダの主要都市で毎月開催されるチャリテーオークション「BUZZ ART AUCTION」にも勢力的に参加するなど海外での実績を着実に積み重ねる。日本では海外での活動を高く評価され、「Red Bull」、「Clarks」、「MINI」、「G-SHOCK」、「POW!WOW!JAPAN」、「ドイツ大使館」、「Heineken」などのアートプロジェクトに参加し、美容室・飲食店・ゲーム会社・不動産物件などの内装デザインやアートペイントも数多く手掛ける。

オフィシャルサイト

interview by Yuji“Rascal”Nakamura(nano.works)
photo by Kota Hata