Interview:SALU

––––今回Qetic初登場ということで、SALUさんの音楽体験について伺っていきたいと思います。影響を受けたアーティストなどを順に教えて頂いてもいいですか?

うーん、たくさんいますね。主に海外のアーティストが多いんですけど、親父がソウル、ファンク、ジャズを家でよくかけていたんです。そんな中で90年代当時は一番真新しかったDr. DreのGファンクが流れていて……。それが僕のヒップホップとの出会いですね、幼稚園ぐらいのときです。ただヒップホップというものを認識したのはもっと後で、中学生の時にKICK THE CAN CREWさんの曲をラジオで聞いたときが、初めてラップとヒップホップというものに、自我を持った自分が対峙した瞬間で、とても影響されたと思います。高校生の頃などは、THA BLUE HERBを好きでよく聴いていて、BOSSさん(ILL-BOSSTINO)のリリックにはすごく影響を受けました。あと、親父が唯一日本人でリアルタイムで聴いていたのがサザンオールスターズの桑田佳祐さんで、僕はサザンさんにも相当影響受けていると思うし、山下達郎さんも好きだし、リル・ウェイン、50セント、エミネム……。いろんな人いるんですけど、今挙げた方たちに影響を受けています。

Dr. Dre – “Still D.R.E. ft. Snoop Dogg”

––––SALUさんのラップ・スタイルとして、フローやサビが、ラップだけでなくいろんな音楽に触れてきたことが大きいのかなと思いました。

それこそレゲエだったり、僕はいろんなジャンルが好きだったんですけど、最初ラップをはじめた頃、中学・高校生のときはもっとすごいラップ! って感じだったんです。他ジャンルの色を出していなくて。というのも、ダメだったと思ったんですよ。ラッパーはラップだけ、いわゆるラップだけをやらなきゃいけないものだと勝手に思っていたんです。それが、リル・ウェインのフリーのミックステープを聴いて、勝手に他の人の曲のインストにラップやうまいとは言えない歌を堂々と乗せていたのを聴いて、「あ、こういうのもアリなんだ」って思って。そこからは、自分の中にあるヒップホップ以外のものも出していこうってなりましたね。

––––これまでに北海道~神奈川~そしてシンガポールに1年間いらっしゃったりと、様々な環境に身を移してきたとの事ですが、環境によってSALUさんはどのように変わっていきましたか?

一概にはいえないんですけど、高校3年生までは札幌にいて、その頃はストイックというか、物事を寡黙に考えていましたね。こうじゃなきゃダメとか、人の目を気にするとか。だけど、鵠沼にきてからは、「おじいちゃんだけど、サーファーなんです」みたいな人たちがいて、北海道にいた頃はそんな人見たこと無かったんでビックリしました(笑)。その人たちの周りにはいつも音楽があって、純粋に音を楽しんでいるっていう雰囲気があって。そこではじめて自分の殻を破って、気楽に考えるようになって。その後、シンガポールにラーメン屋の仕事として行ったんですが、その頃は音楽からは離れてしまいましたね。常に音楽は聴いていたんですけど、音楽をやっていくというふうには思わなかったんです。だけど、一度音楽から遠のくことによって、そこで本当にやりたかったのは音楽だということが逆に浮き彫りになったというか、そこではじめて気がついたんですね。

––––なるほど。前作のアルバムタイトル「In My Shoe(僕の立ち場から)」にもあるように「立ち位置」、「視点」というのはSALUさんを紐解く上でキーワードだなと思いました。ところで、2011年のデビューから、早くもメジャーデビューということで、かなりスピーディーに物事が進んでいる気がするんですが、心境的にはどうでしょう? 不安などはありますか?

去年までは不安が結構あったんですけど、その不安を見ないようにしていたんですよ。そうすれば不安として認識しないから大丈夫って感じだったんですけど、今年に入ってセカンドを作っている途中ぐらいから、真っ向から不安と対峙して、不安を飲み込めるようになってきたんです。インディーでデビューしたとき(2年前の3月)に生まれてはじめて音楽が仕事になったときは、リリックが書けなくなるぐらい、仕事という責任がつきまとっていたんですが、この2年間でそれが当たり前のようにして受け入れられるようになりましたね。

SALU – “THE GIRL ON A BOARD feat. 鋼田テフロン”

次ページ:曲を自分で聴いたときに、その真剣さ具合がウケたんですよ(笑)