ギターが「歪んでいない」っていうのが衝撃だったんですよ!
――そんなときにトータスの『TNT』はどうでした?
僕はロックとかジャズとかっていうよりも、プログレの要素を感じたんですよね。トータスがやっていたことって、新しいんだけれど、古い音楽とコンバインされた部分がたくさんあって。ハードコア・マナーよりもそっちの方に魅力を感じましたね。特にギターが「歪んでいない」っていうのが衝撃だったんですよ!
――忘れがちだけど、それはギタリストにとって大きいですよね。
大きかったですね。レディオヘッドなんかも、ちょうど「歪み」を取り外し始めていたんですよね。『OK コンピューター』(97年)~『キッド A』(2000)とかのあたりですね。ちょうど98年に『TNT』が出て、その後、パパM(※4)に出会うんですよ。
Papa M – “Krusty”
※4:スリントで活動を始めたデヴィッド・パホによるソロ・ユニット。作品毎に音楽性を変えている
――いきなりパパM! 渋い!
パパMのギターだけのアルバム(『ライヴ・フロム・ア・シャーク・ケージ』(99年))、あれがめちゃめちゃ素晴らしくて。それと同時くらいに、ジム・オルークの『エウレカ』(99年)をリアルタイムで聴いた覚えがあります。『バッド・タイミング』(97年)は後で聴いたのかな? それが99年くらいで。その翌年で、僕の中ではようやくザ・シー・アンド・ケイクが出てくるんですよね(笑)。
――世の中の歴史と自分史はちょっと違うもんですよね(笑)。で、パパM。そのギターの音と、それまで聴いていたインストのギターものとの違いって何だったんでしょうか?
うーん……新鮮に響いてましたよね。録音のリヴァーブ感とかですかね。そういう意味では同じ頃に、ジョン・フェイヒーにも感銘を受けてました。
――その頃、イギリスで言えば何が好きだったの?
エイフェックス・ツインとかミニマル・テクノを聴いてましたけど、それはギター好きの友人たちからは批判されましたね(笑)。まぁ逆に、当時僕が一生懸命ギターの技術を磨いていたことに関しては、ゲラーズの面々からは批判を受けてましたけれど(笑)。
Aphex Twin – “Xtal”
――気持ちはパンクだから(笑)。
ハードロックとかを聴いてると「ダセェなぁ」って本気で批判されてましたね。まぁ、自分は何でも好きが広がりすぎていたっていうのもあるかな。ジャズも好きでプログレも好きで、オルタナもヒップホップも好きで……って。
――少し話は戻るけれど、ノン・ディストーションのギターでロックをやってるっていうのは大きかった?
大きかったですね。とにかく歪んでましたからね、当時はみんな。ゲラーズは少し特殊で、オールディーズな音楽もコピーしなくちゃならなかったから結構クリーン。でも、それだけで音楽を作るっていうのは新鮮でしたね。ギターソロになったら普通歪ませたいってあるじゃないですか。そうなるだろうって思ったら歪まない。
――ポストロックの意匠のひとつだった。
ギターを歪ませてシンプルでハードなリフやソロをバーンと弾くんじゃなくて、レディオヘッドやトータスあたりの人たちが、技術的に難しいわけではないんだけど、不思議なリフを編み出して曲を展開させていくのを聴いて、そういう発想で曲を作るかっこよさというのは知りました。
――ご自身の曲でディストーション・ギターを中心としたものってありますか?
オリジナルでは……ないかな? 作曲としてはやらなかったですね。そういう音楽も好きすぎて……もう既にいいのがあるなぁって。
――それは本当の理由じゃないな(笑)。
うーん、やりたいですよ。でも高校の文化祭でそういうギターを弾いてスターとかになるじゃないですか(笑)。でも、どこかで客観的な自分がいて、自分には合わないと思ってるんです。
――かつてライヴで、1度きりのメタル・バンドをやりましたよね?
グリーン・ミルク(フロム・ザ・プラネット・オレンジ)の2人とトリオでやった完全なるメタル・バンドでしたね。やったら楽しいですよ。でも素ではできない。あのときもお面を被っていたし。
――典型的なロックフォーマットというもの、それが大好きなのに外してみるよね。
外しますよね。10代の頃はギター・ソロのあるような曲もひとりで作ってはいたんですが、後で自分で聴いてみると、いいなと思うことがなくって。それはロック・バンドならではの良さなんじゃないかな、と。ゲラーズでは少し歪ませてはいるけれど、いわゆるディストーション・サウンドじゃないですからね。自分でもわかんないんだけれど、向いてないんだな、ということですね、きっと。