初期衝動がぐしゃぐしゃになってるのがすごくかっこよかったなぁ、って。
――アメリカに留学してた時期、時代のインディ・バンドのライヴとかには行ってない?
モデスト・マウスとかは行きましたよ。でもアメリカにいたときはジャズばっかりに向かって、色んな楽器の鬼テクのような人たちのライヴにしか行ってませんでした。楽器を追求する時期で。教材を買う感じでレコードを買っていたから。自分でアルバムを作りだしたころに、ようやく普通に音楽を楽しめるようになってきた感じがしますね。
――若い頃って、聴きたいもの、勉強するものがたくさんあって、それが染みこんでいくのがとにかく嬉しい時期ってあるじゃないですか。でも、曲を作るとき、逆にいろいろ聴きすぎてオリジナルが作れなくなることっていうのはあるんじゃないかな、と。
それはあると思いますよ。そこを一番、教えてくれたというのが、18、19歳くらいに聴いていた音楽だと思うんです。ジャズや変な曲ばかり。その頃、聴いた音楽を完全コピーして、それを録音してっていう。それまでは真似たものしかできなかった。でも好きな音楽をもうちょっと掘り下げて聴いてみると、例えばビーチボーイズとか、もちろんザ・シー・アンド・ケイクもそうなんだけれど、ヘンテコな音楽の上に、普通のメロディの歌が載っててもいいんだって気付いたときに、曲が作れるようになった気がします。より「聴き続ける」ことで、そこから脱却できるような自分なりの“気付き”があるんじゃないかなぁ、って。
The Sea and Cake – “Jackig the Ball”
――ロックフォーマット、例えばエイトビートの上にルートを弾くベースっていうような曲には興味はない?
すごくカッコいいエイトビートを叩けるドラマーと、シンプルなんだけれど渋いベースを聴かせてくれる人が周りにいたらやってたかもしれないですけれど。そうなると、僕のヴォーカルじゃないですよね、絶対。僕はロックの声質じゃない。自分のことを客観視しちゃうからできないんでしょうね。
――ただ、自分が惹かれる音楽は、客観視していない音楽だったり……。
そうなんです! だから自分は自分のスターにはなれない、っていつも思いますね。
――ポストロック以降のカッコ良さでありカッコ悪さって、そういう「客観性」が存在しちゃってるからかもしれないですね。
そう思いますね。バストロの初期とか「客観性がない」感じがカッコいいって思わせる部分があるんですよね。
――ハードコアのあんちゃんと、カントリー聴いてきた輩が一緒にバンド組んで、いきなり現代音楽にかぶれながらぐしゃぐしゃになって……。
そういう初期衝動がぐしゃぐしゃになってるのがすごくかっこよかったなぁって。デヴィッド・パホは僕らの周りはみんな好きですね。
――あのダメな感じがいいよね。ホントだったらオリジネーターの1人なのに……。
離脱していく(笑)。アメリカはいろんな人がいますよね。オリジナルの音楽に対して、「真似して終わりの人たち」「まったく真似せず始める人たち」「真似して始めて自分たちの音楽になる人たち」、さらに「もう1回転ねじれちゃってる人たち」がいて。それが混沌として分からないですよね、もはや。僕は、真似ッコして、新しい音楽を作ろうとして、もう1度ヒネろうとしているけれど……どこまで行けるかな、っていう感じですね。
Shugo Tokumaru (トクマルシューゴ) – “Rum Hee” (Official Music Video)
――この数年、トクマルさんは、その「ヒネろうとする」感じを追い続けてる。レコードに関しては、ずっとそこで戦ってるように思える。
それは一生やり続けると思います。答えは出ないですね。
――別のヴォーカリストを起用するっていうことはある?
あるかもしれないですよね。元々やりたかったことだし、いつかやってみたいですね。今、ロック・ヴォーカリストと歌謡ヴォーカリストを探していて。でもいないんですよね。
――例えば星野源さんとか、元々の声質を意識的に変えた。元々はロック性の少ない歌声なんだけれど、自分の世界観を演出するために、意識的に変えていく。それは考えない?
僕も10代の頃は声質を変えて歌おうとしていたことはあったんですよね。でも、僕はそれをやめて、作らずにナチュラルな声のままできないかなぁっていう方向に行きましたね。歌に対して自分の個人性? はあまり持ち込まない、かな? 歌詞によっても違ってくるっていうのはあるかもしれない。シャウトはできないし(笑)。僕は声が歪む人たちが羨ましい。それは昔からの悩みですね。