ラップは音楽と文学の狭間にある表現
——トラックやラップのスタイルも含めて、今のヒップホップシーンとの距離感を感じますか?
数年前までは考えたりしてましたど、近年はあまり考えなくなりました。向かってるところが違うんだと思うようになりました。
——たしかに。聴いてる方はヒップホップの文脈だけで考えちゃうかもしれないけど、例えば美術とか、舞踊とか、そういった表現全般と比較したほうがしっくりくるかもしれないですね。
そう思ってもらえると嬉しいですけど……どうなんでしょうね? 恐縮ですよね、ラッパー風情ですからね、なんかそういう気持ちはあります。
——それはなぜでしょう?
うーん、端的にいうと……ラップってほかの芸術分野から幼稚に思われてる気がするんですよね。自分でそう思ってるだけかもしれないですけど……。音楽の定義って、西洋音楽でいうと「メロディ、ハーモニー、リズム」をコントロールした構造体ですよね。その目線で考えたとき、ラップって、メロディとハーモニーは切り離してるというか、リズム主体の歌唱法ですよね。じゃあリズムがすごいのか、ってなるとインド古典とか、ジャズのほうがリズム概念は圧倒的に豊かだったりしますよね。
——そういう目線だとラップは簡単な歌唱法ですね。良くいえば敷居が低い、芸人とかが参入してくる理由もそこでしょうね。
そうなると、言葉がすごく重要になってくると思うんです。ジム・オルークさんが「シンガー・ソングライターは歌詞が大事。みんな同じような曲を書くけど歌詞が違う。」って、あるインタビューでいってて「あ、これ、ラップも同じだな。」って思ったんですよね。
——フォークロックはコードを二つ覚えれば曲ができるといいまよすね。
そういう意味で、ヒップホップとかロックって、戦後に広まった大衆音楽という意味で仲間な気がしてて。音楽なの? って尋ねられると僕は「うーん……」ってなるときがあって、音楽と文学の狭間の曖昧なやつかも、っていったりします。「文学みたいな音楽」「音楽みたいな文学」って、どっちでも言える感じがするし。ボブ・ディラン(Bob Dylan)が文学賞を受けることとかと関係してると思うんですよ。音楽とされていたものと、文学とされていたものの、あいまいな部分を抽象化した現代の表現なのかなって思ったりします。
——抽象化された現代の表現っていうのを具体的にお願いします。
要素を引いていっても、破綻しないで成立することを、僕は抽象化って言ってます。シンプルなのに成り立つこと。あと、物事って抽象化されることで広まっていく。一番身近なものだとiPhone、ボタンが一つしかない、昔の携帯電話ってボタンがいっぱいあったでしょ。馬車から馬を切り離しても成立するようにしたのが自動車。馬が消えて車だけになって、構成要素が減ってますよね。美術でいうと、写実的な絵画を書いていたルネサンス期から近代があって、モンドリアンとかバウハウスに至って、デザインって概念がものすごく広まっていきましたよね。そして現代だとジェームス・タレルとかティノ・セーガルのような急進的な人が出てきてて、抽象化されすぎて段々なにもなくなっていきますよね。
——ラップは音楽を抽象化した結果、メロディとハーモニーを切り離して、リズムだけでも成立するように、言葉を支えとしているみたいなことですよね。それが文学にも接近していくと。
はい。すごくそう思います。だからまぁ、簡単にいうと、ラップするなら歌詞がすごく大事だなって思いました。歌詞が幼稚だと思われちゃったら、僕がやりたいことは成立しないなって思ったんです。