アカデミー賞の作品賞・監督賞に輝いた『ビューティフル・マインド』をはじめ、『ダ・ヴィンチ・コード』や『アポロ13』など、良質な映画を数多く撮ってきたロン・ハワード監督が、ビートルズを題材にしたドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK – The Touring Years』を作り上げた。本作は、「ライヴバンドとしてのビートルズ」に焦点を当て、デビュー前のハンブルグ下積み時代やキャヴァーン・クラブでの演奏から、PAやセキュリティの問題などで一切のライヴ活動をやめた1966年までのパフォーマンスや楽屋での様子、オフショットなど貴重な映像を集めたもの。メンバー4人はもちろん、関係者へのインタビューなどを随所にちりばめながら、その活動の軌跡をほぼ時系列でわかりやすく紹介している。
本作におけるハワード監督の「こだわり」として、個人的にもっとも興味深かったのは、当時の「人種問題」について作品の中で、比較的大きく時間を割いていたことだ。60年代前半といえば、アメリカではまだ黒人への差別が普通に行なわれていた時代。ビートルズの4人はこれに強く反対し、「黒人と白人でトイレを分けているような場所では演奏しない」と主張していた。それにより、黒人も白人も一緒にビートルズを観ることが出来たというエピソードが紹介されているのだ。ブラック・ミュージックに衝撃を受け、多大なるリスペクトを持ちながら活動していた4人にとっては至極当然の行動だったのだろうが、当時のアメリカでは画期的なことだったのである(後にポール・マッカートニーは“Blackbird”を作曲し、公民権運動への支援を表明する)。
この映画に合わせてリリースされるアルバムが、『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』だ。77年に「ビートルズ初の公式ライヴアルバム」としてリリースされた同名(邦題:ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!)のアナログ盤(未CD化)は、すでに廃盤となっているが、本作はそれの単なるリイシューではない。当時レコーディングされた、たった3トラックのテープを元に、ジョージ・マーティンの息子ジャイルズらが最新技術を用いて念入りにリミックス&リマスターを施しており、77年版とは全く別モノと言ってもいいほどハイクオリティなサウンドに蘇っているのだ。しかも、“ユー・キャント・ドゥ・ザット”や“抱きしめたい”などの未発表音源も収録されており、これはまさに「ビートルズの新譜」と言って差し支えないだろう。
photo by Capitol Archives
photo by The Music Center Archives/Otto Rothschild Collection
“A Hard Day’s Night” – hear the second track now available from “Live At The Hollywood Bowl”
前置きがすっかり長くなってしまったが、ここではそんなビートルズの「ライヴバンド」としての軌跡を追っていきたい。
ビートルズが「ライヴバンド」として飛躍的にスキルを上げたのは、下積み時代にハンブルグ巡業をおこなったことが大きい。経済的にも衛生的にも劣悪な環境で、覚せい剤の一種であるアンフェタミンを服用しながら酔っ払いを相手に朝までぶっ通しで演奏していた彼らは、演奏力はもちろん、客を飽きさせないための工夫を身につけていく。61年から「キャヴァーン・クラブ」にレギュラーで出演するようになると、地元リヴァプールでレコード屋を経営していたブライアン・エプスタインの耳にとまりデビューが決定。この時点でメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人になった。
The Cavern1961
@thebeatles Instagramより
© Apple Corps Limited.
エプスタインの提案により、それまでのロッカーズ・ファッションから一転、「マッシュルームヘアに細身のスーツ、サイドゴア・ブーツ」という出で立ちで、演奏が終わるごとに深々とお辞儀をするルールをもうけると、彼らの人気は瞬く間に上がっていく。62年にシングル“ラヴ・ミー・ドゥ”でデビューして以来、1965年までは「年2枚」のペースでアルバムをリリースしながら、そのレコーディングの合間をぬって精力的なライヴ活動をおこなった。
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