2016年、日本の音楽シーンきっての事件でもあり、音楽ファン垂涎の話題といっても大げさじゃないであろう、冨田ラボのボーカリスト・フィーチャリング・シリーズの新章である『SUPERFINE』。内容の一部がアナウンスされた8月下旬、何がリスナーを騒然とさせたかと言えば、筆頭は参加ボーカリストのラインナップだった。
水曜日のカンパネラのコムアイ、SuchmosのYONCE、ceroの髙城晶平、never young beachの安部勇磨ら、これまでの冨田ラボの熱烈なリスナーは驚き、逆に参加ボーカリストのバンドのファンは狂喜し、しかしやはり驚いた。すでにアルバムから6曲が配信とアナログ盤3枚リリースで世に出ているが、実際に楽曲を耳にして、現行の海外ジャズ、ファンク、ヒップホップと日本のポップス、そして今年になって、さらに充実する日本の20代バンド、いわゆるYOUTH WAVE的なシーンと、髙い音楽性と作家性を持つマエストロ=冨田ラボが邂逅。分断気味な各々のシーンと2016年らしさをポップスのフィールドで結合したこの作品について、冨田恵一自身はどんなモチベーションで臨んだのか? 話を聞いた。
Interview:冨田ラボ
——これまでの「Ship」シリーズなど、ボーカリストをフックアップして作られたシリーズと、今回の『SUPERFINE』の考え方に違いがあるとすればなんでしょう?
僕自身の音楽的な志向がどんどん変わってきて、音楽性の変化でも進化でもどっちでもいいんですけど、そこが一番大きいと思いますね。割と方々で言っているんですが、いわゆる現代ジャズ的なものに興味があって、その影響を受けてできた作品と言っていいとは思うんですね、モロにそれはやっていないと思うんだけど。で、それに関しては、僕は自分で演奏もするし、あとはドラムというものが大好きなので、ドラミングであるとか演奏ということに関していうとリアルタイムで色々トピックになるものを昔からずーっと追っかけてきたんです。
でも、僕の手法というのが、以前はシミュレーショニズムというか、70年代中盤から80年代とか、例えば何年代のどういった感じというのをシミュレートして構築するという手法だったんですけれども、それをやっている時でさえ、演奏やサウンドというものに関してはリアルタイムのものをずっと追っていたんですよ。
だから並行して流れていたんだよね、ずっと。だけれども2014年に『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(2014年)という書籍を出しまして、その時は全然そんなつもりなかったんですけど、あれで70年代的音楽手法のことや、80年代には音楽制作にコンピュターも入ってきて云々かんぬんというものを書いて、その時は全然そんなつもりなかったんですけど、あれでシミュレーショニズムについては自分で一段落というか、そこでケリをつけちゃった感じが後から考えるとあるんですよね。
——『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』は今年の横浜国立大学の入学試験にも採用されましたね。でも、書かれたことでフェイズが移行したと。
うん。その年ぐらいから、僕はいろんなところで「新譜が面白い」というような言い方をするようになって、現代ジャズ的なものやドラミングから色々インスパイアされているんで、そういったものを過去のものよりも多く紹介するようになってきて。同時に、その頃のプロデュース仕事からだんだんそういう要素を入れるようになってきたんですね。
で、それらがまとまったのが2015年のbirdの『Lush』というアルバムで、そこでは完全にそちらのアプローチでやって。それで次の冨田ラボのアルバムもそういった方向になるっていうのは自分で思っていたので、さらにそれを明確にするには今まで接点のなかった若いボーカリストたちの声を乗せると良いんじゃないかと。変化を明確にプレゼンテーションできるんじゃないか? っていうのが発端ですね。
——なるほど。冨田さんが書かれたハイエイタス・カイヨーテについてのレビューで、聴き手のリスニングのスピード感の変化のようなものを示唆していらしたのが印象的で、そのことが今回の音源を聴いた時、非常に腑に落ちたんです。
そうですね。リスニングのスピード感ということでいうと今回共演した若いアーティストたちの音楽性とかにもすごく影響しているって印象を持ちましたね。もう僕は54なので、20代が80年代なんですけど、音楽の摂取のスピードが明らかに違うんですよね。なんだけれど、面白いと思うのが例えば僕は50代ですが、今の40代、または少し上の世代よりも、今回20代の方が多いんですけど、今の20代に割とシンパシーを感じることが多かったんですよね。
それは今の聴き方というか、例えばスマホでYouTubeとかで聴くのがまあ代表的だと思うんですけど、ほんとに大量の音楽を聴くことが容易になります。そうすると、自分の趣味に合ったライブラリーはすーごくたくさん作れるんですよね。そのときの自分から逸脱しないバラエティは作りやすくなる。深みとかは別にして、一貫性のあるバラエティではあるから、その辺りにシンパシーを感じたのかな、とも思うんです。