80年代に華々しくデビューして以降、女優/ミュージシャンとして幅広く活動を続けてきた原田知世さん。彼女のデビュー35周年を記念した最新作『音楽と私』が完成した。
この作品は、35年のミュージシャンとしてのキャリアの中から、“時をかける少女”や“ロマンス”などを筆頭に今に至るまでの代表曲や人気曲を網羅。現在の創作パートナーである伊藤ゴロー氏らを擁する気心の知れたバンドとともに、それを「今の音楽」として巧みにリアレンジしている他、“くちなしの丘”ではなんと原田さん自身のギターも披露している。この作品の完成までの経緯や、原田さんにとっての35年間、そして欅坂46とのコラボレーションや最近ハマっているというアウスゲイルの話題までを、たっぷりと語ってもらった。
Interview:原田知世
——『音楽と私』というタイトルを見てまず思い出したのは、デビュー25周年のアルバム『music & me』でした。今回のタイトルは、どんな風に出てきたものだったんでしょうか?
もともと、『music & me』はすごく好きなタイトルでした。あれから10年が経って、今回の『音楽と私』は、内容的には『music & me』の「2」というわけではないので、最初はそれと似たような、ぴったりとくるタイトルはないかと探していたんです。そうしたらプロデューサーの伊藤ゴローさんが、「日本語にしてみたらどうだろう?」とアドバイスしてくださって。それがすごくしっくりときたんですね。今回のアルバムは、まさに『音楽と私』という内容だと思いましたし。それに、『恋愛小説』以降のここ何作かはずっと同じメンバーで作品を作っていて、漢字を使ったタイトルが続いていたので、そういう意味でも、ぴったりかなと思ったんですよ。
——なるほど。
それに、「とてもストレートなタイトルをつけていいんじゃないか」という気持ちになれたんです。自分の音楽について、出来上がったものをそのままスッと差し出せる心持ちになれたというか。誰に対しても、オススメできる作品を作れたことが大きかったのかもしれないですね
——10年前の『music & me』はオリジナル・アルバムという位置づけでしたが、今回の『音楽と私』は、原田さん自身の楽曲のセルフカヴァー・アルバムになっています。
ファンの方からも「セルフカヴァーをやってほしい」「この曲をやってほしい」という声をいただいていましたし、35周年なので、色んな形でファンの方にお返しをしたい、プレゼントをしたいと思ったんです。その中で、これが一番喜んでいただけるのかな、と。
——収録曲が様々な時代にわたっていると思うので、今回は80年代、90年代、00年代以降に分けて、それぞれ今回の収録曲から印象に残っている楽曲を挙げていただき、オリジナル版リリース当時の思い出と、今回の制作風景について教えていただけると嬉しいです。
まずは80年代だと、やはり“時をかける少女”です。この曲は私の代表曲だと思いますし、25周年の『music & me』で伊藤ゴローさんとボサノヴァ・アレンジのカヴァーをしましたけど、それまで私は、しばらくこの歌を歌っていなかったんですね。
——そのタイミングで解禁されたことは当時大きな話題になっていました。
長い間、自分の中では「少女のときの歌だ」という印象がすごくあって、大人になった自分がどんな風に歌えばいいのか分からなかったんです。だけれども、あのときゴローさんのギターを聴いて、自然に歌うことができて。あの曲に新しく出会い直したような感覚で歌うことができました。今回はそれを、もう一回オリジナルのアレンジのよさを大事にしつつ、歌ってみようと思ったんです。ゴローさんが最もアレンジで悩まれた曲だと思います(笑)。でも、はじまりのストリングスを最初に聴いたときに、とても感動しましたし、アルバムの1曲目の顔をした曲だと感じました。
——今回の“時をかける少女”はまさに、『music & me』でのカヴァーよりも原曲に近いアレンジになっているところがとても興味深かったです。
原曲のよさを残したアレンジにしようという話は最初からしていました。でも、言うのは簡単ですけど、実際にやるのは大変で。どの曲もそうだと思うのですが、既に完成されていて、時代を経て残っている曲というのは、オリジナルの時点ですでに完成されていますよね。それを変えていくのは至難の業だと思います。でも、今回はゴローさんのおかげでどれも大成功だったと思います。
原田知世 – 「時をかける少女」
——オリジナル版リリース当時のことを振り返っていただきたいのですが、80年代の原田さんは、自身が主演される映画や舞台の主題歌として楽曲をリリースすることが多かったと思います。当時は音楽活動にどんな楽しさを感じていたのですか?
あの当時は、あくまでも映画のための音楽だったので、歌もコンサートも、映画のプロモーションのためにやっていて、女優の仕事がメインでしたね。
——今とは音楽との向き合い方が随分違ったかもしれませんね。
全然違ったと思います。今は自由に、楽しみながらのびのびと歌えるようになりました。あの時は、ただただ一生懸命に、すべてのことを必死にやっていましたね。
——当時は学校にも通っていたでしょうし、とても忙しかったのではないかと思います。
どんどん変わっていく周囲の状況についても、驚きのまま過ぎていったという何年間でした。この時期の曲では、“ときめきのアクシデント”はファンの方の中で根強い人気がある曲で、私もすごく好きなんです。それで、「いつかまた歌いたい」とずっと思っていたんです。その思いが、今回ようやく叶いました。不思議なことに、今も歌っていて本当に心地のいい曲です。この曲もそうですが、ゴローさんとは今回、「オリジナルのよさを大事にしよう」ということを話していました。私は、自分を客観的に見ているところがあって(笑)、たとえば“地下鉄のザジ”も、まだ子供だった当時の自分の声だったからこそのよさがあったと思うんです。それもあって、どんな風に仕上がるか想像がつかなかったんですけど、 サウンドがある程度見えてきたときに、今の自分の曲として自然に歌うことができました。
——オリジナルのよさは残しつつも、それを今の原田さんの表現に近づけていく、と。
そうです。もちろん、原曲にある魅力は絶対に大事にしようと思っていたので、その微妙なサジ加減をみんなで探りながら進めていったという感じでした。