西ベルリンのランドマーク”Zoologischer Garten”駅からすぐの大通り沿いに面したギャラリー「c/o Berlin」には最後尾の見えない長蛇の列が成していた。それはまるで、東ベルリンのランドマーク”Berghain”の週末を再現したかのようなシンクロニシティーで、エントランス前には強面のバウンサーではなく、ヴォルフガング・ティルマンスが撮影したポスターが出迎えていた。

1989年、東西を分断していた壁が崩れ去る中、アンダーグラウンドシーンは新たな幕開けを迎えた。そんなベルリンのクラブカルチャーにおける30年の歴史を追った他では見ることの出来ない希少価値の高い写真ばかりが展示されたエキシビジョン『NO PHOTOS ON THE DANCE FLOOR』の現地レポートをお届けする。

ベルリン、クラブカルチャー30年間の記録

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“For me, a club is a big abstraction machine that constantly produces pictures. They’re often on the edge of the visible, when the fog rises and you look up toward the ceiling and watch the lights. Intangible things shimmer and flicker through there.”

—Wolfgang Tillmans

『NO PHOTOS ON THE DANCE FLOOR』のグランドオープニングとなった9月13日は、熱派による最後の置きみやげだったのか?ベルリンの歴史を祝福するかのような奇跡の夏日だった。同展は、有数のフォトグラファーたちがそれぞれの視点から撮り下ろしたベルリンのクラブカルチャーの記録であり、90年代を中心に今はなき伝説のクラブから、世界から崇拝されるまでになった現在までを写真に収めた集大成として、約2ヶ月間に渡り開催された。

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Stempelwald, 2015 © Erez Israeli . Courtesy Crone Berlin

なぜ、この写真展に長蛇の列が出来るのか?グランドオープニングの日は入場無料だからという陳腐な理由だけでは決してない。ベルリン有数のローカルクラブに行ったことのある人なら誰でも知ってると思うが、クラブ内での撮影は固く禁じられている。日本語では刺激が強過ぎて書けないことばかりだが、例えば、隣で踊っている人が全裸であっても誰も驚かないのが、ベルリンのクラブであって、撮影禁止になっている方が何かと安全である。もちろん、プレイに集中出来るようにという出演アーティストへの配慮も含まれている。

それ以前に、”踊りに来ているのであって、スマホで撮影してインスタに投稿するために来ているわけではない、それが理解出来ないなら来るな。”と言った姿勢がとっくの昔に根付いている。というより、写真を撮る時間なんてもったいないと思うほど、エントランスを抜けた先は全くの別世界であり、完全に魅了されてしまうのだ。だから、フロアーでスマホを出している人などほとんどいない。

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Outside Snax Club, 2001 © Wolfgang Tillmans . Courtesy Galerie Buchholz Berlin/Cologne

そういった背景から、頭の片隅に焼き付けた最高の記憶を辿りたい、まだ見ぬ世界を覗きたい、私のようにクラブカルチャーの歴史を知りたい。など、様々な理由から多くの人が集まるエキシビジョンとなった。それほどまでに、ベルリンのクラブは特別であり、実際に体感した人のみが味わえるパラダイスなのである。

実は、同時開催されていたのが写真家・故ロバート・フランクによる写真展『Unseen』であり、グランドオープニングの2日前にこの世を去った。最初はそのための長蛇の列かと思ったが、やはりそこは”ベルリン”である。ベルリナーにとっては、世界的写真家を偲びながら彼の残した作品を観る回顧展より、今はなき、90年代に存在した伝説のクラブや30年に渡るアンダーグラウンドシーンを遡ることの方が重要なのである。これが他都市と違うベルリンという街のクレイジーで良くも悪くも普通ではない特徴なのだ。

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誤解のないように言っておきたいが、ロバート・フランク展も今見ておくべき素晴らしい展示だった。特に、彼が撮り下ろしたモノクロームのアメリカの街はエレガントで厳かだった。階下に展示されているモヒカンにハーネスを付けた男性の写真とは真逆でありながら、40年代から50年代を中心とした街の様子、人物やファッション、政治や文化が独特の視点から写し出されており、それらはまた違った形での時代の遡り方であり、共通する部分でもあると思った。

ちなみに、著名アーティストによる前衛的な展示を多く手掛けている「c/o Berlin」の建物は「Amerika Haus」という第二次世界大戦後に開発された機関で、ドイツ国民がアメリカの文化と政治について学んでいた施設の跡地である。この世に存在する対極とされているものは、一見180度違うように見えて、実は表裏一体だと思うことが多々ある。2つの展示を観ながらそんなことを思った。

私にとって、ベルリンのクラブと言えば映画化もされた”BAR25”である。残念ながら2009年の8月で閉店しており、私が初めてベルリンを訪れた2012年にはすでにファウンダーたちは違うクラブの設立に躍起になっていた。どんなクラブだったかはこちらの記事を参考にして欲しい。

【コラム】5年前まで実在した“楽園”「BAR25」を知ってるか?

しかし、同展において、BAR25は”新しい時代のクラブ”なのだ。89年、壁崩壊後に無法地帯となった東の廃墟ビルを占拠し、DIYで作り上げたクラブたちはBAR25以上の伝説となっている。もし、この世にタイムマシーンが存在するならば、私は間違いなく90年代のベルリンを選ぶことだろう。

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Outside Tresor, From the se- ries Temporary Spaces, 1996 © Martin Eberle

2019年も終わりを迎える中、世界から崇拝されるまでになったベルリンのクラブカルチャーは、街の都市開発とともに常に変化を遂げており、同時に家賃の高騰や立ち退きといった様々な問題が浮き彫りになっている。ベルリン在住のハードクラバーたちの姿は消え、その代わりに、情報過多で頭でっかちになったツーリストの数が膨れ上がり、エントランスの料金も年々上がっている。私自身、いろんな理由からここ最近はクラブへの足が遠退いていた。しかし、同展をきっかけに今またクラブ熱が再沸している。時代の流れとともに変わりゆくベルリンであっても、決して変わらないスピリットを感じることができ、新しい人たちによる新たなカルチャーを発見出来るチャンスでもある。

そして、ニューイヤーも落ち着いた2月、ローカルDJによるローカルのためのパーティーが開催されるシーズンがもうすぐやってくる。

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Loveparade Ku’damm, 1992 © Ben de Biel