前回に引き続き、“MAISON EUREKA”デザイナー中津由利加さんをゲストインタビュアーに迎え、私、宮沢香奈へのインタビューを行った。ローカルならではのクラブカルチャーへの感性や実体験、海外で自分の好きなことを実現させるための秘訣など、苦労話も交えて前編よりさらにディープに真剣に語る。

『ベルリンで生きる女性たち』特別編 後編になります。是非最後までご覧下さい。

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Interview:中津 由利加 × 宮沢 香奈

ロンドンでもパリでもなく、なぜベルリンに魅せられるのか?インタビュー『ベルリンで生きる女性たち』特別編 後編 km-post74_6174-1-1200x801
(左)中津由利加、(右)宮沢香奈

中津由利加「生まれて初めて知る音楽がテクノってことがすご過ぎる」

インタビュアー中津由利加(以下、Yurika) 前回に引き続き、カナちゃんにはいろいろ聞いていきたいと思います。ベルリンに移住して4年経ったわけですが、改めてこの街に対して感じることはありますか?

宮沢香奈(以下、Kana) 住む前からですが、住んでからも変わらずクラブカルチャーは圧倒的なおもしろさがあると思いますね。

Yurika 具体的にはどういったところにおもしろさを感じていますか?

Kana これまでにいろんな国のクラブシーンやフェスを見てきましたが、ベルリンは世界トップクラスだと思います。突出したおもしろさがここにはあるんですよね。NYとか他の都市拠点だったアーティストがpanorama barでのプレイをきっかけに移住してきたり、二拠点にしてるアーティストが多いのも特徴ですが、世界中のアーティストがこの街にこだわる理由が分かる気がします。日本にも他の国にもないここだけで成り立っているカルチャーがあって、それがすごくおもしろいと思います。特にゲイカルチャーに関してそう感じるんですが、彼らは別に自分たちのカルチャーを世界に発信したいとか思ってないし、インフルエンサーだとも思ってない。だけど、感度の高い人たちにキャッチされて、そこからどんどん広がっていって気付いたら世界的な人気を得るようになってるんですよね。それがすごいなと思っています。

ベルリントップクラスの人気を誇るゲイパーティー「CockTail d’ Amore」とかまさにそうですよね。日本人アーティストも多数出演していますが、有名無名に関係なく自分たちが良いと思ったアーティストだけをブッキングして、そこに確固たる自信とリスペクトがあるんですよね。そういうスタンスが好きだし、コマーシャルな感じが一切しないところも良い。それでいてその時の気分やツボにハマる音が聴けるというすごいパーティーだと思います。

「CockTail d’ Amore」最多出演、panorama barでもプレイしているDJ Chidaのインタビュー

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Yurika ゲイパーティーとか特にそうですけど、性に対して本当に寛容な街ですよね。ここには楽園的な感覚があると思っています。陸の孤島というかユートピア的なところがありますよね。だからこそ成り立つんだと思いますが。

Kana ユートピア!! 確かに(笑)。

Yurika 私、昔ラブパレード(89年からベルリンで開催されていた伝説のテクノレイブパーティー)に一度だけ行ったことがあるんですけど、その時知り合った人から生まれて初めて聴いた音楽がテクノだったって聞いて驚いたんです。物心付いて初めて知る音楽がテクノってすごくないですか!? 日本だったらまず有り得ないじゃないですか? アメリカナイズされてるから日本の曲じゃないことはあるかもしれないけど、せめてヒップホップとかポップスだと思うんですよ。でも、ベルリンはその入り口からして全然違うんだってことにビックリしましたね。

Kana それこそ両親の世代からラブパレードに行ってるんでしょうね(笑)。

Yurika いろんなジャンルの音楽を知っていくうちにテクノに出会うのが普通だと思うけど、いきなりテクノに出会ってる人たちがいるってもうカルチャーが違い過ぎますよね。あと、音楽に対する“これ、イイ!”って感覚がベルリン独特なものがあると思うんですよ。音楽に対する価値観が独特だと思っています。例えば、すごい著名なアーティストがベルリンのどこかのクラブでプレイするってなったらそれはもちろん混むけど、同じ日にローカルDJだけのパーティーがあっても盛り上がってるし、そういったこととは関係ないところで独立したカルチャーが成り立ってるなって思います。

Kana すごい分かります。例えばビルボードとかマスな層が支持しているジャンルとかアーティストとかどうでもいいと思ってるし、自分たち以外の人たちがどう思ってるかとか、流行ってるとか一切関係なくて、さっきも言いましたが、自分たちがイイと思ったものを絶対的に信じてますよね。それがしばらくするとヨーロッパ中に広がって、日本には2、3年ぐらい後に到着するイメージかありますね。

Yurika 日本はヨーロッパみたいに陸繋がりではないし、文化が違い過ぎるから仕方ないことだと思いますけどね。カナちゃんはそういったクラブカルチャーとかベルリンの情報を日本の媒体で記事にして伝えていますが、日本ではもともとファッションのPRだったんですよね? 長年やってきたPRを辞めてライターになろうと思ったきっかけはなんだったんですか?

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Kana PRってプレスリリース書いたり、雑誌に掲載される原稿の確認したり、DM送ったり、ある程度文章能力がないと出来ない仕事だと思うんですよね。私は元から文章を書くのが好きだったのはありますが、音楽のPRをやっている時にたまたまCDレビューを書く機会やパーティーレポートを書く機会を頂いたんです。それを見た編集の人に気に入ってもらえて、仕事として依頼が来るようになったのがきっかけだったと思います。PRは長年やってきたから結果を出さないといけないというプレッシャーの中でやっていましたが、ライターの仕事はキャリアも何もなかったし、新鮮ですごく楽しかったんですよね。

Yurika 日本にいる時にすでにライターに転職しようと思ったってことですか?

Kana いや、本職にしようと思ったのは移住がきっかけですね。ベルリンに来ていきなりPRの仕事なんて出来ないじゃないですか? ドイツ語は全く話せない、英語も大して出来ない、コネクションもないって状態ですからね。あと、移住前からヨーロッパに取材に来ていたからもっと現地情報を伝えたいって気持ちが大きかったですね。

Yurika でも、これまでやってたPRの仕事とは全然違う仕事になったわけですよね? しかも、日本で実績があったわけではなく、ベルリンへ来てからキャリアを積み始めるって大変なことだと思うんですけど、苦労したことや悩んだことってありますか?

Kana とにかく言語ですよね。当然ですけど、取材対象や取材先の担当は外国人が多いわけじゃないですか? 日本にいた時から英語は話したいと思っていたので、レッスンをやっていたんですけど、いざ来てみたら中学英語さえ全然出来なくて、もう挫折の連続でしたね。あと、これは今もですが、インタビュー取材がものすごく緊張します。こんなこと言ったら仕事減りそうですが、正直得意ではないんだと思います(笑)。時間にも余裕があって落ち着いて話せる状態だったらコミュニケーションには問題ないけど、インタビューってなると聞き取れなかったらどうしよう、頭が真っ白になって何も出てこなかったらどうしようって、全身の毛穴が開いて変な汁が出てきそうなぐらい緊張します(笑)。だから、対面のロングインタビューとかバジェットがある時は今でも通訳の方に依頼しています。

Yurika なるほどですね。逆にやってて良かった! とかやりがいを感じることはどんなことですか?

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Kana ベルリンはすごく取材しやすいと思います。まず断られることが少ないですし、逆に日本の媒体に出してくれるの?と喜んでくれるんです。あと、最近になってようやくいろんなクリエイターの人と自信を持ってコミュニケーションが取れるようになったのが嬉しいですね。ベルリン在住の日本人ライターとして認知されて、こっちから営業するのではなく、向こうから依頼をくれるようになったのはとても嬉しいです。ドイツ人クリエイターの中にグイグイ入り込んでいくのはかなり勇気がいりますが、やっと少しは認めてもらえたという実感がありますね。挫折も苦労も変わらずありますが、とにかく今は仕事が楽しいし、充実しています。逆に聞きたいんですが、ユリカちゃんも遠隔で日本と仕事をしていますが、海外で好きな仕事を続けていく秘訣みたいなのはありますか?海外でというよりここベルリンでですね。

Yurika うーん、やっぱり自己管理能力がないとダメだと思いますね。極端な言い方をすればベルリンって何もしなくても生きていけちゃう街だと思うんです。実際そうゆう人もいると思うし(笑)

Kana 何してるか分かんない人って確かにいますよね(笑)。

Yurika そう(笑)。良くも悪くも自由な分だけいくらでも緩く適当に生きれちゃうんですよね。だから、せっかくやりたいことがあってこの街に来たのにそういった人や環境に流されてしまったらダメだと思います。どうせ誰も見てないし、頑張らなくていいや、適当でいいやってなったらそこまでですよね。

Kana 楽しい誘惑も危険な誘惑もいっぱいあるし、自分を見失いやすい街だとは思います。でも私は逆にチャンスもいっぱいあると思っています。私の場合は日本で積んできた経験とお世話になってた方の信頼を得れてるから今みたいなやりがいのある仕事が出来ているけど、日本でのキャリアがなかったら今の私はないと思っています。それにこれがロンドンやパリだったら同業者がいっぱいいて仕事を得ることも大変だと思います。その辺ベルリンはまだ自分と全く同じフィールドの人が少ないからチャンスだと思ってます。他の職種でも同じだと思うんですよね。だから、夢を持ってきて欲しいし、残念な人や環境に流されずに自分を確立して欲しいですよね。

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Yurika そうですね。まだまだ可能性はありますよね、ベルリンって。私はロンドンにいたのでよく分かりますが、ここはパリやロンドンみたいには絶対にならないと思うし、なれないとも思ってます(笑)。

Kana そこに魅力を感じてるし、一気にブレイクしちゃって飽きられないように小出しにしていきたいと思っています(笑)。お互いがんばっていきましょう!

Yurika あ、まとめましたね(笑)。

Yurika & Kana 本日はありがとうございました!!

中津 由利加(デザイナー)

1984年福岡生まれ。2002年よりセレクトショップのバイヤーアシスタントとして勤務した後2005年に渡英。英国よりヨーロッパ各国を巡り、様々な国のファッション、カルチャーに触れることで独自の世界観を築いた。帰国後、セレクトショップバイヤー、シューズデザイナーとして活躍後、2011年に再び渡英。訪独し出会ったベルリン特有のカルチャーやライフスタイルに共感し、2013年ベルリンへ移住した後2014年に自身のブランドMAISON EUREKAをスタートし現在に至る。

MAISON EUREKA

宮沢香奈/Kana Miyazawa
ライター、コラムニスト、コーディネーター

長野県生まれ。文化服装学院ファッションビジネス科卒業。
セレクトショップのプレス、ブランドディレクターなどを経たのち、フリーランスとしてPR事業をスタートさせる。ファッションと音楽の二本を柱に独自のスタイルで実績を積みながら、ライターとしても執筆活動を開始する。ヨーロッパのフェスやローカルカルチャーの取材を行うなど海外へと活動の幅を広げ、2014年には東京からベルリンへと拠点を移す。現在、多くの媒体にて連載を持ち、ベルリンをはじめとするヨーロッパ各地の現地情報を伝えている。主な媒体に、Qetic、VOGUE、men’s FUDGE、繊研新聞、WWD Beautyなどがある。

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Photo : Saki Hinatsu
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