はや何をやっても誰も驚かないほど、突き抜けて、ひらめきまくっている純音楽芸術家「ジョン・フルシアンテ」による新プロジェクト、ブラック・ナイツの『MEDIEVAL CHAMBER (Produced by John Frusciante)』は驚きのフルシアンテ流ヒップホップ!

日本盤には、先行ダウンロードで話題になった“Never Let Go”、そしてジョン・フルシアンテのオリジナル“Wayne”のリミックスという豪華な日本盤ボーナストラック2曲に加え、高音質Blu-spec CD 2、日本先行発売など、日本びいきのジョンらしい特典が満載であるが、その中でも目玉になっているのが、音楽ライターのバルーチャハシムが日本盤特典の為に、電話インタビューを敢行した記事だ。

ブラック・ナイツ、ジョン・フルシアンテそれぞれに行ったインタビューは文字数にするとブラック・ナイツ10,000文字、ジョン・フルシアンテ30,000文字という驚愕の文字量…その中より一部抜粋し本日より公開する。

日本版ボーナストラックに収録された“Never Let Go”

BLACK KNIGHTS10,000文字インタビューより抜粋

Rugged Monk/ラグド・モンク(以下R)
Crisis Tha Sharpshooter/クライシス・ザ・シャープシューター(以下C)

――ブラックナイツはどのようにして結成されたのでしょうか? もともと4人組だったのが2人組になったのですよね?

C ブラックナイツは、ストリートでラップしている仲間が集まって結成されたグループなんだ。もともとメンバーはもっとたくさんいてウータン・クランみたいに大きなクルーだった。でも結局メンバー四人が残り、そのメンバーでウータン・クランと1998年に契約した。

R 実際にデモを最初に作ったのが1996年。四人のメンバーは、 ドック・ドゥーム(Doc Doom)、ホロコースト(Holocaust)、ラグド・モンク、クライシスだった。ドック・ドゥームは、2008年にコンプトンで銃殺された

――コンプトンとロングビーチにはギャングが多く、ドック・ドゥームも殺されたという話でしたが、あなた達もストリート・ライフを経験したのでしょうか?

R そうだな。ラップをする前は、そういう環境の中で育った。マジでヒップホップに人生を救われたよ。ヒップホップがなければ、俺はここにいないよ(笑)。俺達はストリート・ライフの中で育った。でも真剣に音楽に取り組むようになってから、過去にやったことと距離を置いて、新たな道が開いたんだ。

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C 14歳の時から、普通の14歳がやらないようなワルイことをやっていたよ(笑)。

R 俺は14歳の時に刑務所に初めて入った。

――ジョンと最初に出会った時、彼がレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(RHCP)のメンバーだということは知っていましたか? それとも、RZAの友達という認識でしたか?

R 最初に会った頃は、彼がRHCPのメンバーだということを知らなかった(笑)。最初はただRZAの友人のジョンという認識で何回か遊びに行き、RHCPのジョン・フルシアンテだということを知った。彼は既にRHCPを辞め、ソロ・アルバム『The Empyrean』の制作をしていた。その後、彼は『Letur-Lefr』にフィーチャーしたいということで、レコーディングに誘ってくれ、その時にジョンと初めて仕事をした。別の曲でレコーディングも誘ってくれた時にジョンが「クライシスも呼んでいい?」と言ったので、クライシスも誘ってレコーディングをした。その時に「Keys To The Chastity Belt」をレコーディングして、そこから始まった。

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