——今回のアルバムでは、そうした新旧の融合がさらに進んでいるような感覚があります。音楽的には、前作よりもビートがヒップホップやR&Bを通過したものになっていると思いますが、この方向性はどんな風に生まれていったんでしょうか?
実はこれでも、押さえている方なんですよ。もっとぶっ飛ぶこともできたけれど、今回は『MISSION』の次の作品だという感覚を大切にしました。60年代のジャズの現代化を目指した『MISSION』を経てさらに先に進んでいこうという気持ちで作りましたけど、同時にこの先もっと進化していくための伸びしろも残して、前作と次の作品の間に位置するような作品にしたかった。今回の『UNITY』は現時点でのベストだと思っていますけど、同時にその先にあることも計算して、ここで止めているということですね。
——まったく違う作品を作ると、両者を切り離して受け取られるかもしれません。
その通りです。今回は『MISSION』よりもヒップホップ的なビートを強調したし、スピリチュアル・ジャズや70年代の和ジャズの要素も加えましたし。60年代の音楽の現代化から進んで、より幅広いジャズの要素を取り入れた作品になったと思っています。
——また、ゲストが大々的に参加して、歌モノが入っているという意味でも、新しい挑戦をした作品ではないかと思います。これはどんな風に起こったことだったんでしょうか?
まず、アルバムを作ろうと思いはじめたタイミングで、トモキ・サンダースと一緒にやりたいということは考えていました。ちょうどそのタイミングで彼と知り合って、アルバムに参加してほしいと思いましたね。それから、SOIL&”PIMP”SESSIONSのタブくん(タブゾンビ)の場合は、気づいたらなぜかいつもいるんですよ(笑)。KYOTO JAZZ MASSIVEのときにもいたし、去年MONDO GROSSOのトリビュート・ライブを編成した時にもいて。KYOTO JAZZ SEXTETには類家心平というトランぺッターがいますけど、類家くん以外だと必ずタブくんがいるんです。だから、“Song For Unity feat. トモキ・サンダース”で類家くんがスケジュールの都合で来れないという話になったときに、自然にタブゾンビの名前が挙がったし、曲の中で栗原健とトモキ・サンダースによるテナー・サックスのバトルがあるように、ライブで類家心平とタブゾンビのツイン・トランペットも面白いと思ったんです。このアルバムを聴いて、類家くんはタブゾンビのプレイを知るだろうし、タブゾンビは類家くんのプレイを聴くし。ポジション争いじゃないですけど、「うかうかしていると、他のメンバーに取られるんじゃないか。」というプレッシャーを与えるという意味もあるんです。
——なるほど。沖野さんは以前から、このグループをサッカー日本代表になぞらえて「沖野ジャパン」と表現していました。沖野さんはその監督だ、と。
それがそもそものバンドのコンセプトなんですよ。だから、今は(沖野さんも含めて)6人のメンバーがいますけど、このメンバーは入れ替わる可能性もある。そして、今のメンバーの都合が合わないときに他のメンバーが入っても、KYOTO JAZZ SEXTETになるんですよね。8月7日(月)にビルボードでライブをやりますけど、類家くんとタブゾンビは、たとえるなら本田圭佑と香川真司で。2人が競い合うほど、音楽のクオリティも上がっていくはずです。将来的にはツイン・ドラムも考えているんですよ。ゴールキーパーが2人いる、みたいな話で(笑)。
——はははは。元ファータイル・グラウンドのナヴァーシャ・デイヤはどんな風に参加することになったんですか?
ナヴァーシャには僕のソロで参加してもらったことがありました。でも、僕は基本的にボーカリストを毎回変えていて、過去に参加してもらった人をふたたび使わなかったりするんです。ナヴァーシャは過去に参加してもらったボーカリストの中でも特に気に入っているので、もう使わないというのはもったいないなと思って今回参加してもらいました。ナヴァーシャは、彼女のソロではR&Bやアフリカン・ミュージックをやっていますけど、僕はジャズでこそすごい人だと思っているんです。それもあって、これはSEXTETで起用して彼女の魅力を引き出すことで、彼女をKYOTO JAZZ SEXTETのリスナーにも紹介できるし、その中で彼女自身も自分の能力に覚醒してほしいと思っていました。それで、ソロ・アルバムに起用したボーカリストをスライド投入したという形です。
——やはり、参加メンバーの特性を理解して、沖野監督が配置していくということで。
でも逆に、今回ピアノの平戸祐介(quasimode:活動休止中)とベースの小泉 P克人は苦労したんじゃないでしょうか。現代的な感覚を入れて、ジャズのセオリーにないことを彼らに要求したので。たとえばピアノで言うと、今回は延々同じコードを繰り返す曲が多いんですけど、本来は繰り返さないことこそがジャズでもあるわけです。けれども1曲目の“Peaceful Wind”も、最後にソロが出くるものの、それまで平戸くんはほぼ同じコードを弾いている。僕みたいにDJをしている人間の作曲方法はコラージュ的で、ミュージシャンからすると音楽的な整合性は「?」だったりもするんですよ。僕はサンプリング・カルチャーで育っているから「音がぶつかっててもいい」「リズムが合ってなくても面白い」と考える人間ですし、今はドラムもわざと機械が壊れたようなビートを叩いたりしますよね。そういう感覚を持っている人間なので、ピアノも、もちろん平戸くんはしっかりやってくれましたけど、「これを俺にやらせるの?」という気持ちもきっとあったはずです。ベースにしても、「沖野さん、普通ジャズでそのベースはないですよ。」と言われたりもしました。“Peaceful Wind”のテーマCパートは、テクノやダンスホールのように不穏な雰囲気になっていて、通常のジャズのものではないプレイになっていますしね。
——なるほど。まさにそうですよね。
普通はドラム、キーボード、ベースがハーモニーになっていますけど、あそこはむしろその調和を破壊するようなベースになっていて。つまり、「どこからどこまでがありなのか」を探っていく、ミュージシャンとDJのせめぎ合いですね。「自分としてはここは譲れない」「でもミュージシャンからすると、ここが限界。」ということが、各曲ごとにありました。