Interview:MIYAVI
photo by TOMOMI CHIJIIWA
——イヴ・サンローラン・ボーテのポップアップ・イベントでニューシングルの披露をしたのはどういう経緯で?
たまたまお話もらって、今回タイミングも良かったので。もともとアコースティックギターとループマシンでパフォーマンスしようかなと思っていたんですけど、ブランドと、そのプロダクトのイメージがもっとアグレッシヴなものだったんで、エレキとDJでやってみました。
——なるほど。日本にいるとMIYAVIさんがアメリカでどんなテンションで活動しているのかなかなか伝わってこないので、お聞きできれば。
のほほんとやってますよ(笑)。とにかくいろんなもののスケールがでかいんで。移動距離だけじゃなくて、ビートもでかいし、いろんなもののスパンが長い。そういうところと、どう自分のハートレート(鼓動)を合わせるかが大事だなと思って。人の歩く歩幅の違い? 全部シンクロしていて。それと呼吸の長さ、メロディの長さとか、楽曲のBPMとかいろんなものがシンクロしていて、そこにアジア人の自分がどう、そこにシンクロしていくか? の最中ですね。多分もう少しかかると思います。自分だけじゃなく自分の先祖も含めたところのルーツ、骨格からくる声の響き方とか、姿勢、歩き方とか、DNAもそうだし、自分だけじゃなく先祖も含めて積み上げてきたものを意識するようになりました。音楽だけじゃなくて。
——タフな活動をしてきたMIYAVIさんでも違いを感じるっていうのは相当な違いなんですね。
ああ、それは全然違いますよ。ロケーションとか天気、それに狩猟民族と農耕民族の違い、これはでかいですよ。使ってきた筋肉も違うし、ずっと(かがんで)こうでしょ? 上、見ないし。特に、近代化された東京の街で上見る機会も少ないし、どんどん胸郭が縮まって、呼吸するスペースも小さくなって。別に欧米が全部正しいわけじゃないけれども。あとは、やっぱり言葉も違うし。言葉のリズムから違う。でもその壁がなくなる時代もすぐ来るんだろうなと思っています。それを見れる世代でいたいし、その壁を壊す世代でいたいから、それを音楽でやれればなと。
——その壁を越えるために一回そのメンタリティを持った肉体にまでならないと自分の音楽のリアリティがないとMIYAVIさんは感じている?
そう、やっぱ大海を知らずして世界を語れない。気づいた時には海はちっちゃかったと思うかもしれないけど、泳ぎ切らないと世界は語れない。もうこっから先は日本人だからっていうのは関係ない、はっきり言って。そこでどう戦っていくかだから。今までは戦車が来た時に、弾をどう刀で切れるか? ってことだけに集中していたんですね。どう刀を研ぎ、刀自体の精度も上げて、その弾を切りまくって、でもそれって、その時点で防御だったんですね。戦車をぶった斬りに行くわけでしょ? しかもその戦車は一体ではないんですよね、無数にいる(笑)じゃあ、その状況でどうすんの? っていうことを今、考えていますね。だから最初のステージは対・戦車だったけど、今はその戦車の奥にあるものについて考えています。
——と、言うと?
端的に言うと、エンターテイメントの裾野も広い。前回ナッシュビルで作って、今回はロサンゼルスのハワード・ベンソンっていうプロデューサーのスタジオで彼のチームとやっていて。で、22、23の若いプロデューサーやライターたちとやっています。皆、モダンな音楽シーンにいて、ナッシュビルの時とは感覚も違う。
photo by TOMOMI CHIJIIWA
——ちょうど1年前にアルバム『The Others』がリリースされて、結構、内省的なアルバムだったと思うんです。そこから音楽での戦い方の心境の変化というのは?
今言ったことに近いですね、戦い方が変わってきている。戦うことの意義を今もう一度、見直しているところですね。で、これはまた次の作品が出た時にちゃんと説明したいなと思っているんですけど、カリフォルニアロールを作ろうとしてます、今。カリフォルニアロールって寿司屋からしたら寿司じゃないでしょ? ま、俺もぶっちゃけ食べないし(笑)。でも、そのカリフォルニアロールの意義というか、果たした役割は俺はでかいなと思うんですよ。あれがなかったら、あそこまで寿司屋、LAにないですよね。あのカリフォルニアロールが架け橋になったことはすごくでかいなと思って、それを僕は作りたい、時間がかかっても。僕はワサビは持っている、ソイソースも持っている、寿司のネタ、酢飯も持っている、サーモンも持っている。でもアボガドは持ってない。それはポップさだったり、メロディだったり、あとは英語の響きの部分も含めて。結果、それを寿司と呼ぶ、呼ばないにはこだわってなくて、ただそういうものがあっていいんじゃないか?必要なんじゃないかと。それが僕の役目であり、僕はそれを音楽で作りたい。だから有名無名問わず、今回からはちょっと角度を変えて、“NEW BEAT,NEW FUTURE”というか、新しい何かですね。それはもしかしたらルーツを無視しているかもしれない。だから今回のDJのKSUKEとのセッションとかも。でもそれでいいと思う。俺もギターに対して半分その感じというか、もはやロックである必要はないと思っていて。ロックなんですけど、ロックっていうカテゴリーである必要はないなと。多分それが自分の役割だし、それを自分はやるべきだなと思っているんですね。マナーを知った上で取っ払う。知りすぎると取っ払えなかったりするじゃないですか。
MIYAVI – The Others
——ギターのアプローチを変える必然があるということですか?
そういうわけではないんだけど、実際、世界と日本で感覚が違うのを実感してます。ギターミュージック、今、ラジオで鳴ってないもん。グラミーでも見ないでしょ? ギターミュージック自体。じゃ、ロックのアーティストって誰? 強いて言ったらトゥエンティ・ワン・パイロッツだけど、ギターいないもん。ちょうど去年、香港と台湾で一緒にライブやって、たまにボーカルがウクレレとかベースは弾きますけど、ギターないですもんね。
——アラバマ・シェイクスもグラミー5冠ですけど、扱いはオルタナティヴですからね。
そう。もちろんいいバンドはたくさんいるんだけど、ギターミュージックじゃないじゃないですか? 僕自身もギタリストとして、今までは寿司にワサビ塗りまくって、「どやどやどや!」ってやってきたけど、やっぱり「うわ〜辛い!」ってなって、最終的に食べ続けたいと思わせれないと、本当の意味での勝ちではないなと。
——そう考えると今回のシングルは飽くまでMIYAVIさんはギターを弾いているし、どういうスタンスでアメリカで戦うのか? がクリアな作品だなと思いました。
どこまでアボカド入れるのか。あとは、酢飯。パンじゃダメなんですよね。ちょっと“Afraid To Be Cool”はパンっぽいなっていうのはあるんです。極端な話、「ハンバーガー作りました!」って日本からアメリカに持ってっても「別にこっち(現地)にハンバーガーあるし」っていう。今、音楽で言うところの日本製のハンバーガー、一杯あると思うんですよ。でも別に食べたくないじゃないですか、どれもすごく美味しいんだけど。
——たしかに。だから今回のシングルは「今のメインストリームで戦おう」っていう狼煙が上がった感じがするんです。
もしかしたらビートの感じ方とか、日本の邦楽的な感覚とは違うのかな、っていうのは、正直あります。でもそこは頑張って引っ張って行くようなスタンスじゃないと変わんないし、そこに合わしてやるんだったら日本で作ればいいじゃないですかってことになるので。このまま突っ走るつもりです。
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