●オアシスやアークティック・モンキーズが好きな高校生です。雑誌やウェブメディアのディスクレビューとか難しいものばかりでなかなか読んでも理解できなかったり、読み続けようと思いづらいのです。音楽批評とはズバリ何ですか? 

—女性・16才

批評についてはいくつかのことが言えるんだけど、極端な話、音楽と関係ないんですよ。対象になった音楽とは別物なの、すっごく乱暴に言うとね。批評っていうのはどこまでも自分自身のことを書くことから逃れない。だから、基本的に頭のおかしい人が頭のおかしいことを言ってる。それを楽しむか楽しまないかなんだよね

俺は中学生くらいの時にロックンロールが好きになった。で、音楽を聞くと、何故だか、すごく気持ちが高揚したりとか、寂しくなったりとか、色々なフィーリングが自分の中で起こる。「これは何でだろう?」って中学生なりに考えた。で、フォークギターを手に入れたわけ。で、その時はリズムとか、プロダクションのこととかはわかってないから、「要するに、これはメロディーとか、和音に関係してるはずだ!」って、とにかくコピーしたの。「あっ、ここで“マイナーセブンスフラットフィフス”ってコードが来たときに切なくなるんだ!」とかね。そういうことをずーっとやってた。そうやって音楽を微分していけば、本質にたどり着けるんだ、そうすれば音楽のことがわかるんだって思ってたの。

ブルース・スプリングスティーン “The River”

ところが、高校生くらいになると音楽についての本を読むようになる。俺が一番影響受けた、当時「Rolling Stone」誌で書いてたデイブ・マーシュって評論家がいるのね。エルヴィス・プレスリーについての本とか、ザ・フーについての伝記本とか書いた人。で、当時、「JAM」という音楽雑誌があって、彼が書いたブルース・スプリングスティーンの伝記が連載されてた。そこでデイブ・マーシュが書いていたのがーー“今夜のブルース・スプリングスティーンのパフォーマンスにおいて彼は、かつてザ・フーのピート・タウンゼントが言った言葉の正しさを証明していた。それは「ロックンロールというのは聞き手の何かしらの苦しみとか悲しみを取り除くものではなく、悩み苦しんだまま踊らせるものなんだ」という言葉だ” って。それまではそんな風に考えたことなかったから、本当に目から鱗だった。そんな風にも音楽って聞けるんだ!って。それが正しいか、間違ってるかは、正直わからない。でも、その言葉によって、自分がブルース・スプリングスティーンって音楽家、音楽作品に、より深くコネクト、コミットメント出来たような気がしたんだよね。その時から俺は音楽ファンであると同時に、音楽について書かれたもの、批評っていうのが音楽と同じぐらいエキサイティングで、もしかしたら音楽以上のものを与えてくれる場合だってあるのかもしれないって思うようになったんですよ。

批評っていうのはそういうもの。聴くという行為は何か別なものを生み出すことだから。だから、書く方も読む方もそのことを理解していないと、楽しめないものでもある。でも、まあ、ただ単に酷いだけの批評も多いから仕方ないんだけど、そこをかき分けて、自分が面白いと思うものをまず1つ見つけることじゃないかな。それが特定のメディアなのか、特定の書き手なのかわからないけど。だから、とりあえず「Qetic」をみて、ちょっと修行するような気分で「ele-king」まで辿り着けば、それはそれで楽しいミュージック・ライフが待ってるかもよ。

●中学生の女子です。“周りと一緒じゃなきゃいけない”風潮が嫌いです。なぜ、はみ出ちゃだめなのですか? 自分の意見って大事じゃないんですか? でも嫌われたくないのですごく悩んでいます。

—女性・14才

かわいいなあ。でもね、悩んじゃダメ。悩む暇があるんだったら、間違えなきゃダメだよ。嫌われなきゃダメだし、嫌われていくうちにあなたのこと好きな人って必ず出てくるから。そのリスクを負わなきゃダメ。コミュニティの中には必ず同調圧力が存在する。それは当たり前。だから、その同調圧力に対して、自分がその同じ土俵に立ってやれることをやるか、そこから逃げ出すしかない。自分をきちっとプレゼンテーションするか、出て行くしかないんだよ

俺は高校生のときに自分が暮らしてた当時の大阪の風土が好きじゃなかった。なおかつ、自分の親族全体が持ってるルールとか、モラルみたいなものもどうしても耐えられなかったから、とりあえずそこから出て行った。当時の俺はとにかく傲慢な子供で、自分が世界で一番正しいと思ってたから、その後も色んな人間とぶつかって、殴られて、ひどい目にもたくさんあったけど、そのなかでやっぱりたくさんの友達ができた。それは今も大して変わらない。

きゃりーぱみゅぱみゅ “もったいないとらんど”

クラスタって言葉が流通する今の時代にそぐわないかもしれないけど、やっぱりきゃりー(ぱみゅぱみゅ)ちゃんになるしかないんじゃないかな。聞くものから着るものから発言から何まで、全て自分色に染めればいい。そしたら、はじかれるよ。最初はね。だって、きゃりーちゃんも最初は誰もがちょっとこの子はおかしいんじゃないか? としか思わなかったわけじゃない? でも彼女は見事に、彼女だけのエンパイアを作り上げたよね。やっぱりリスクを負わなきゃ。