とえばフランク・ザッパやプリンスやオマー・ロドリゲス・ロペスがそうであるように、創作意欲もアイディアもまったく底を見せない超ワーカホリックなミュージシャンがいつの時代にも存在する。本稿の主人公ブラッド・オレンジことデヴォンテ(デヴ)・ハインズもまた、その系譜に連なる人物のひとりだろう。「早すぎたニューレイヴ・バンド」として伝説化しつつあるテスト・アイシクルズでデビューを飾ってから早10年、手を替え品を替えファッションもアウトプットも替えて、有能なプロデューサーとしてもあらゆるサウンドを模索してきたデヴの目まぐるしい活躍は、常に時代を一歩も二歩もリードしてきたことに驚かされる。あらためて、彼の音楽的変遷とキャリアを振り返ってみたい。

ニューレイヴの鉄砲玉=テスト・アイシクルズで、衝撃のデビュー

現在28歳のデヴ・ハインズは、米テキサス州ヒューストンで生まれながらイギリスのエセックスで育つという異色なルーツを持つ黒人青年。パンク、ギター、スケボー、そしてマンガなどに明け暮れる思春期を送っていた彼は18歳の時にロンドンへ移住する。そこで出会ったロリー・アトウェル&サム・メーランとすぐさま意気投合し、メタルとポスト・パンクとヒップホップをごちゃ混ぜにしたテスト・アイシクルズを04年に結成。名門〈ドミノ〉からリリースしたデビュー・アルバム『フォー・スクリーニング・パーパセス・オンリー』(05年)は、ニューヨークの〈DFA〉周辺やダンス・パンク・シーンとも見事な共振を果たし、翌年1月には第1回目の<ブリティッシュ・アンセムズ>出演のため日本の地を踏むなど目覚ましい活躍を見せていたものの、その直後にあっさりと解散してしまう。

Test Icicles“Circle Square Triangle”

テスト・アイシクルズの代表曲。ピンクのギターをかき鳴らすデヴはんの勇姿にご注目!

時はまさにクラクソンズやハドーケン! といったバンドが牽引したニューレイヴ幕開け前夜。テスト・アイシクルズが打ち出したサウンドやビジュアルにもニューレイヴの要素は充分感じられただけに、彼らはちょっとばかりシーンを先取りしすぎたのかもしれない。なお、アルバムのプロデューサーには当時まだ無名だったシミアン・モバイル・ディスコのジェイムス・フォードが抜擢されており、デヴの鋭い先見性は早くも発揮されていたことになる。

フォーク・リバイバルを予見したライトスピード・チャンピオン始動

バンド解散後の07年、デヴはソロ・プロジェクトのライトスピード・チャンピオンを始動する。騒々しいテスト・アイシクルズのサウンドから一転、カーディガンに蝶ネクタイ、そして黒ぶちメガネといったモロに「ナード」なルックスでアコギを爪弾く彼の姿には誰もが度肝を抜かれた。さらに驚愕なのが、08年の1stアルバム『フォーリング・オフ・ザ・ラヴェンダー・ブリッジ』は、ブライト・アイズ=コナー・オバーストの出身地としても知られる米ネブラスカ州オマハでレコーディングを敢行。オマハといえばUSインディーの良心ともいえるレーベル〈サドル・クリーク〉の本拠地だが、プロデューサーにブライト・アイズの一員でもあるマイク・モギスを迎え、カーシヴやザ・フェイントのメンバーら現地のアーティストにも協力をあおぐ本気(ガチ)っぷり。当時アルバム・デビューを控えていたエミー・ザ・グレイトも7曲でクレジットされており、後に数々の女性アーティストと仕事をすることになるデヴのプロデューサー気質はすでに開花していたのかもしれない。

Lightspeed Champion“Galaxy Of The Lost” (2007)

キッチュでポップなデヴはんワールドは、いま見ても新鮮!

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