詳しい告知は一切なく、日本であればあり得ないほど小さく狭いライブハウスの、しかもメインゲストでもないイベントのステージに立つ彼らを見た時、生まれて初めて音楽の素晴らしさを知った時のような、もはや言葉になど出来ない感動を覚えた。同時に、西洋文化とベルリンという特殊な街の中で忘れかけていた日本人の根底にある鬱陶しいほどの熱い思いが溢れ出て止まなかった。
蒼々たる顔ぶれのミュージシャンたちとともにDragon AshのダンサーATSUSHIが突如ベルリンへやってきた。彼は初めて訪れたとは思えないほどこの街に溶け込み、そして、その場所にいることが必然かのように思えた。Dragon Ashとしてだけでなく、一人のダンサーとして、表現者として、東北支援とアニマルシェルター支援を主としたプロジェクト”POWER of LIFE”の代表として、ATSUSHIの活動は多岐に渡る。一面グラフィティーで埋められた壁の前に立ちながら、3.11という衝撃、そして、そこから始まった活動について、心の奥から訴えかけるようにとても強く、でも静かにゆっくりと思いを語ってくれた。
2月末、日は少しずつ伸びてきているもののまだまだ厳しい寒さの残るベルリン。そんな中、もはや最後に会ったのはいつだったのか思いだせないぐらい何年振りかにATSUSHIと再会した。1週間前に決めたという渡独の理由は、“風人雷人”として一緒に活動を行っているドラマー中村達也氏からの“ベルリンに行かないか? ”の一言だったという。実は、すでにベルリンへは何度も訪れているdipのフロントマン、ヤマジカズヒデ氏が“PLAZTICZOOMSのヨーロッパツアーにあわせてベルリンへ遊びに行こうと思ってる。”と、中村氏に話したことをきっかけに、今回の企画が生まれた。そこに“THE CORNELIUS GROUP”のキーボード堀江博久氏が賛同、そして、ベルリンを活動拠点とするギターリストで、以前にQeticコラムでインタビューさせてもらったTakeshi Nishimoto氏が間に入り、国内外での実績もキャリアもあるミュージシャンたちによるスペシャルセッション“Duel”のライブがURBAN SPREEで実現したのだ。
偶然か必然か、私は多方面の関係者たちから彼らがベルリンへ来ることを聞いていた。ベルリンへやってくるアーティストはとにかく多い。DJはもちろん、ロック、ジャズ、クラシック、ないジャンルなどないと言えるほどどんなアーティストであっても訪れる、それがベルリンという街なのだ。そして、それがどんなビッグネームであってももはや驚くことはない。今回もベルリンではなかなか見られない貴重なライブとあって、プライベートで是非とも参加したいとは思っていたが、取材のことは全く考えていなかった。しかし、ATSUSHIの“POWER of LIFE”の活動を知った時、何か突き動かされるものがあった。それが今回のこのインタビューであり、彼の言う人間それぞれが持っている”役割分担”だったのだと思う。
2011年3月22日、以前から親交の深い写真家の平間至氏とともに東北沿岸地域の被災地へ向かったATSUSHIたちの車は緊急車両扱いだった。もともと、“POWER of LIFE”は犬猫の殺処分に疑問を持っていた愛犬家でもあるATSUSHI自身が2009年に立ち上げ、アニマルシェルターを支援すると共に、生命力の素晴らしさや尊さを様々な形で表現し、多くの人々に考えるきっかけを伝えていくことを目的にスタートしたプロジェクトである。
“3.11が起きた直後は、みんなも同じだったと思いますが、途方に暮れてしまって、何をして良いか全くわからなかったんですよね。でも、ミュージシャンやアスリートの仲間から電話があって、何かしないの? って言われてハッとしたんです。“POWER of LIFE”の目的である救える命は救いたいっていう意思は人でも動物でも変わらないから、そう思い立ってすぐに現地に行きました。海辺の崖っぷちみたいなところに立ってたんですけど、1時間ぐらいだったかな? 無意識のうちに踊ってました。悲惨な現場を目の当たりにして、とにかく、自分には踊ることしか出来なかったんですよね。その時、ものすごい怒ってる海と鳥を見たんです。あんな鳥の姿は生まれて初めて見ました。それぐらい異常な出来事がこの日本に起きてしまったってことなんですよね。”
そこから毎週、毎月と炊き出しや路上ライブ、避難所でのイベントなどを定期的に行い、支援活動は6年が過ぎた現在もなお続いている。
今回ベルリンへ一緒に訪れた中村氏とのユニット“風人雷人”も東北沿岸地域でのライブ活動を続けている。
“達也さんとは2012年ぐらいに知り合って、ダンスとドラムという形で二人だけで一緒にやり出したのは2015年ぐらいからですね。いつもお互い何も決めないでやるんですよ。俺の踊りを見て、舞踏という人もいるし、コンテンポラリーという人もいるけど、スタイル自体は全く決めていません。それは、見る側の自由で、見る人の感覚で決めればいいと思ってるんです。“風人雷人”では言葉で何かを提示することはしないんですよ。やっぱり言葉にするのは難しいし、すごく重くなってしまう時がある。だから、あえて何も言わないようにしています。今年の3月11日で6年が過ぎて、やっぱり6年も経てば人それぞれ気持ちも変わってくるじゃないですか。日々の生活もあるし、熱量も下がってる人もいる。でも俺たちみたいな愉快な二人がやってきて、パフォーマンスを見てもらって、”俺たちも何かやってやろう”って、そうゆう気持ちになってくれたり、きっかけになってくれたら嬉しいと思って続けてるんですよね。”