第172回 BREATHE

地下にある子供部屋でリズを寝かしつけている時だった。「なんだか外がおかしいの」と妻が言う。僕が様子を見に行く頃にはこの町は毒性のガスで満たされていた。すぐに携帯電話も使えなくなり、バタバタと目の前で人が倒れていく。僕は急いで家に戻り鍵を閉め、妻を連れて地下に閉じこもった。

ガス発生からもう4日。誰も助けに来ないなんて絶対におかしい。食料もだんだん無くなって来た。リズも異変に気づいて毎日泣いてばかり。いつも笑顔を絶やさなかった妻もさすがに不安を隠せない様子だ。ガスマスクをして近所を歩き回ってみても、人々の変わり果てた姿を見つけるばかり。「一体どうすりゃいいんだ!」ガスマスクの中で僕は何度も叫んだ。

ここから離れよう、という僕の決断に妻は強く頷いた。意識が朦朧としているリズを抱きかかえた妻の表情はやつれているが凛としている。もうとっくに覚悟は出来ていたようだ。ブカブカのガスマスクをリズに装着し、僕たちは見つめ合いながら深呼吸をした。思いきり吸って。そして吐き出して。それを何度か繰り返した後、僕たちは抱き合った。不思議とこれが最後かも知れないなんて思わなかった。さあ行こう。どこかに。

photo by normaratani