第62回 犬と孤独

飼い犬が連れ去られた、という通報があったという。非番だった僕の所に「住所がお前の部屋の近所だから」という理由で先輩から連絡が入り、面倒だったが近所を軽くパトロールする事になった。自衛隊上がりの先輩はいつもこうだ。交番に勤めながら本気で世界を守ろうとしている。そんな先輩が嫌いになれない僕は、スーパーに弁当を買いに行くついでに少し遠回りをしてみた。すると、普段通らない散歩道にさしかかった時に見つけてしまった。間違いないだろう。彼が犯人だ。

リードがついていない犬を抱えた男はなんとも無表情だった。犯行直後の高揚感みたいなものが感じられない。どこか不自然さを感じた僕は、すぐには声をかけず後を追った。男は一度も振り返らずに古いアパートに入っていく。犬も犬で、吠えずに静かに抱かれている。ある部屋に入ると男は「元気だったか?久しぶりだな」などと優しく話しかけていた。やはり何かがおかしい。僕は玄関の前で聞き耳を立てながらそう感じていた。

しばらくすると、男は電話をかけはじめた。落ち着いた口調で相手をたしなめている様子だ。「だからお前に犬の面倒は出来ないと言ったじゃないか」「ストレスで毛並みが荒れている」「お前はいい歳して男に夢中なんだろう。だが犬にはそんな事関係ないんだ」

会話を聞くにつれて、妻に愛想を尽かされた男の悲しい反乱だと知った僕は何とも言えない気持ちになった。電話はまだ続いていたが、僕は玄関の前から離れた。ただ寂しくて寂しくて仕方が無かった彼を、捕まえるべきか悩んでしまったのだ。先輩だったらどうするか考えながら、僕は玄関の前に戻りチャイムを鳴らした。「こんにちは、管理会社のものですが、このアパートはペット禁止です。直ちに部屋からペットを出してください。よろしくお願いします」

そう声を掛けて僕は帰った。彼はきっと元妻に犬を返すと思う。そんな気がする。

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