第84回 私の妖怪

私と同い年のクラッシュ。世界記録の長寿犬が29歳だから、23歳のクラッシュも相当な老犬だ。もう目が見えないし耳もほとんど聴こえてないから、色々な場所にぶつかりながら私の臭いをたよりに近づいてくる。犬にしては人見知りが激しくて、両親はあまりなつかれていない。だから車通勤の私を送り迎えするために、犬小屋ではなく駐車場で毎日寝そべっている。帰るたびにクラッシュをどかしてから駐車するのにもすっかり慣れてしまった。

長生きしすぎた動物は妖怪になるというけど、クラッシュも妖怪みたいなところがある。遠吠えしていた日の夜に大きな地震があったり、母親が仕事先で倒れたり。そんな不思議な偶然が何度かあった気がする。ある朝、私が仕事に行こうとすると久しぶりに猛烈に吠えられた。そして驚いている私に強く抱きついて来た。大丈夫だよ大丈夫だよ、と何度も囁いてクラッシュを落ち着かせ、私はどうにか車に乗り込んだ。どこか不安になった私は、家族に「クラッシュをよろしくね」とメールをしたくらいだ。

その夜、私は歩いて家まで帰って来た。24時位だったろうか。家の玄関が開け放たれていて、中には人が集まっている。「やっぱり何かあったんだ」私が重い気持ちになっていると、「おかえり」と声をかけられた。クラッシュだった。わあ、クラッシュってこんな声してるんだ、と思った瞬間、自分の感覚がどこかおかしい事に気がついた。確かに通勤中に交通事故に巻き込まれてからの記憶が無い。「今日はどうしても会社に行って欲しくなかったんだ、あんなに吠えてごめん」そう続けるクラッシュに、クラッシュは悪くないよ、私は死んじゃったの?と聞くと「まだだよ、今から戻るから着いて来て」という。

ヨレヨレしながら歩くクラッシュと向かった先は近所の大病院だった。ミイラの様にぐるぐる巻きになっている私を見てクラッシュは少し笑った。「またね」それがクラッシュとの最後の思い出になった。私の意識が戻った時、クラッシュはもういなかった。両親もどこに行ったか分からないと言う。もしかすると、あの時から私の中で生きてるのかもしれない。そうであって欲しい。クラッシュならずっとずっと私の妖怪でいて欲しいから。