2015.04.15(WED)@UPLINK
Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐

1983年に公開され、ヒップホップ・カルチャーを全世界に広めた映画『ワイルド・スタイル』を公開中の渋谷アップリンクにて、4月15日(水)、イベント<Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐>が開催された。この日は、全米公開に先駆けて今作の日本公開を実現させたプロデューサーの葛井克亮さんとフラン・クズイさんが登壇。荏開津 広さんとばるぼらさんを聞き手に、当時の貴重なエピソードが披露された。

渋谷アップリンクのイベントに登壇した葛井克亮さん(左)とフラン・クズイさん(右)

葛井さんとフランさんは、全米公開(1983年11月)前の1983年3月、海外配給をサポートした大映の映画『雪華葬刺し』(高林陽一監督)が上映されていたニューヨークの<New Directors/New Films Festival>に参加。「そこで、42丁目にいるブルース・リーの映画を観るような黒人など、普通の映画ファンでないお客さんが大挙して映画館に押しかけているのを目撃したんです」(葛井さん)。その映画こそが、映画祭でプレミア上映された『ワイルド・スタイル』だった。「1982年当時他にはない、すごい熱気と、見たことのないカルチャーがあった。こんなストリート・カルチャーがあるんだと驚きました。会場で会った監督のチャーリー・エーハンから、それまでサウス・ブロンクスには暴力による縄張り争いがあったのが、現在は地下鉄にグラフィティを描くことやブレイク・ダンスで競い合うようになったのを聞いたんです」(葛井さん)。ブロンクスのリアルが描かれていることに衝撃を覚えたふたりは、映画祭会場にいた大映の専務にその場で日本での配給を掛け合ったという。

大映から日本でのプロモーションを任されたふたりは、出演しているダンサーやDJ、ラッパーたちを来日させることを画策。ちょうど西武百貨店池袋店でニューヨークをテーマにしたイベントの開催が決まっていたこともあり、西武に協力を依頼。さらに葛井さんは、ヒップホップという言葉さえなかった日本に、エーハン監督から教わった「ラップ」「DJ」「ブレイク/ダンス」「グラフィティ」というヒップホップの4大要素の魅力を伝えるために、公開前に書籍『ワイルド・スタイルで行こう』とカセット・ブックをリリース。書籍はJICC出版局(現在の宝島社)から、そして、カセット・ブックはコスト節約のために、AVメーカー・KUKIのエロカセットのフォーマットを流用し、別会社ビーセラーズを立ち上げ刊行した。それがアメリカに逆輸入され人気を呼び、現在ではMoMAのコレクションになっていること。さらに、カセット・ブックの在庫を葛井さんのアパートから配給会社に自転車で運んでいたのが無名時代のスパイク・リーで、それが縁で彼の映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』を日本で配給することになった、という驚きのエピソードも語ってくれた。

続けて、フランさんは総勢36名の出演者を来日するための苦労を次のように明かす。「何しろ飛行機にも乗ったことのない若者たちだった。来日させるための条件はシャンパンのモエを飲ませるかどうか、だったわ」。パスポートやビザ所得用に出生届を調べるために病院まで出かけ、1ヵ月かけて来日の手はずを整えたという。そして飛行機登場の当日、乗り遅れないよう3台のリムジンを借り、ブロンクスの彼らの家をまで乗り付け迎えに向かったものの、「ブロンクスではリムジンは葬式の時にしか乗らない自動車だから、私たちが行くと、家から彼らのお母さんたちが泣きながら出てきたのよ」とフランさんは笑いながら明かした。

葛井さんとフランさんのヒップホップ文化を日本に根付かせたい、という情熱のおかげもあり、10月8日の劇場公開に合わせて、メンバーは無事来日。「ツバキハウス」「ピテカントロプス・エレクトス」で行われたライブ・イベントはいずれも「泣き出す女性が出るくらい」(葛井さん)の盛況となった。『笑っていいとも!』などテレビ出演も果たしたその合間を縫って出かけた原宿では、代々木公園近くの歩行者天国で踊る日本のロックンローラーたちと遭遇。ラッパーのビジー・ビーらは最初はそのロックンローラーたちのルックスに怖がっていたものの、最終的には一緒に踊り交流を深めたそうだ。その場面について葛井さんは「チャーリーはこれを『文化の衝突』と呼んでいたよ」と述懐した。この邂逅の後に原宿でもブレイクダンサーが出現、いちどすたれかけていたホコ天のダンスブームが盛り返したという。

チャーリー・エーハンが「文化の衝突」と形容した、原宿歩行者天国でのビジー・ビー(左)、ファブ・ファイブ・フレディ(右)そしてロッカーたち。(撮影:チャーリー・エーハン)

それほどまでにふたりを魅了し続ける『ワイルド・スタイル』について、葛井さんは「当時のサウス・ブロンクスのハードな環境において、自然な生き方として生まれたのが『ワイルド・スタイル』。彼らの生き様が現れている作品なんです」と語ると、フランさんも「現在のヒップホップのポーズは自分が有名であることをアピールするためだけのものだけれど、当時は、そうやって自分を強くみせるしかなかった」と同意した。

イベントの最後には、現在もふたりと親交のあるチャーリー・エーハン監督から預かったメッセージをフランさんが紹介し、イベントは締めくくられた。「私は1983年に東京に行ってからずっと大好きな街です。サウス・ブロンクスから36名のヒップホップのパイオニアを日本に連れて行って、東京の魔法にかかりました。以前ツアー・ブック書いたこの言葉をみなさんに送ります“グラフィティはニューヨークで最も面白いことだ。Bボーイよ、楽しみ続けるんだ”」。

『ワイルド・スタイル』は引き続き、渋谷アップリンクにて上映中。

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(edit by Qetic・Yuka Yamane)

ワイルド・スタイル

2015年3月21日(土)から渋谷シネマライズ、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開

監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン
音楽:ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズ ウェイト)、クリス・スタイン
撮影:クライヴ・デヴィッドソン
キャスト:リー・ジョージ・キュノネス、ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)、サンドラ・ピンク・ファーバラ、パティ・アスター、グランドマスター・フラッシュ、ビジー・ビー、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、ラメルジー、ロック・ステディ・クルー ほか
字幕監修:K DUB SHINE
配給:アップリンク/パルコ
1982年/アメリカ/82分/スタンダード/DCP
©New York Beat Films LLC

STORY:
DJ/ラップ/ブレイクダンス/グラフィティ・アート。 ヒップホップが始まる瞬間を切り取った、今こそ観るべきマスターピース! 1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。グラフィティライター のレイモンドは、深夜に地下鉄のガレージへ忍び込み、スプレーで地下鉄にグラフィティを描いていた。レイモンドのグラフィティはその奇抜なデザインで評判を呼んだが、 違法行為のため正体を明かせずにいた。ある日、これまでに何人もの アーティストを表舞台に送り出してきた新聞記者のバージニアから仕 事の依頼が舞い込むが、仕事として描くことと自由に描くことの選択に思い悩む…。