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2015年12月、原宿の神宮前に移転&リニューアル・オープンを果たした「Heather Gray Wall」。このお店の他にも、「adidas Originals」や「THE FOURNESS」のディレクターとしても知られる倉石一樹さんを語る時に、音楽のバックボーンは外せない。それも、単なるポップ・ミュージックのファンというだけではなく、来年6月には武道館ライブも決定したストーン・ローゼズのイアン・ブラウンとはかねてから親交があり、彼のソロ・アルバムのジャケット・デザインを手がけた経歴を持つほど。

一般的に、音楽好きのファッション・デザイナー/ディレクターは自身の仕事にもそのエッセンスを反映させることが多い(しかもけっこう分かりやすい形で)。その点、倉石さんはどのように2つをリンクさせているのか。自身のキャリアと「Heather Gray Wall」のこともあわせてインタビューしてきました。早速どうぞ!

Interview:倉石一樹

ローゼズやNIGO®から紐解く。ディレクター倉石一樹に迫る interview151225_hgw_1

――ストーン・ローゼズの単独武道館、決まりましたね。噂では新作も出るんじゃないかと。

そこらへんはイアン(・ブラウン)から直接聞いているので、話せないことも多いのですが(笑)。ライブはもちろん行く予定です。

――そもそもイアンとはどこで知り合ったんですか?

「A BATHING APE®」時代に一緒に仕事をして以来、仲の良かったアンクルのジェームスからの紹介です。彼はイアンとコラボレーションしたこともあって(“Be There”と“Reign”)来日時紹介してくれました。最初に会った時、ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズ、ピーター・サヴィルの話で盛り上がったのを覚えています。当時、マンチェスター周辺を掘っているファッションの人っていなかったから、彼も面白がってくれて。その後は手紙でやり取りしていました(笑)。今だったらメールで済ませちゃうような内容ですが。そういえば、この前荷物を整理している時、大量にその手紙が出てきたんですよ。

――倉石さんってストーン・ローゼズはリアルタイムだったんですか?

僕が音楽を聴き始めたのが、ストーン・ローゼズのファーストがリリースされた後です。個人的にはスコットランドのバンド、ティーンエイジ・ファンクラブとかBMXバンディッツとかパステルズとかが最初好きだったんですが、同時に日本のフリッパーズ・ギターなんかも聴いていたんです。その頃、彼らはストーン・ローゼズの影響を受けていると言われていたから、じゃあその元ネタも聴いてみようと。それがストーン・ローゼズとの出会いですね。

――まわりの人たちも同じような音楽を聴いていましたか?

いや、いたにはいたけれど、数は少なかった。

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――ストーン・ローゼズといえばバギー・パンツなどファッションも注目されたバンドでしたが、そこには影響されましたか?

そもそも、日本に彼らのファッションはあんまり入ってこなかったんじゃないかな。僕もバンドと同じ格好をしようとは思わなかった。音楽はUKロックが好きだったけれど、洋服は「A BATHING APE®」や「Good Enough」を着ていたから、少なくとも表面的な部分では音楽とファッションはリンクしていなかった。

――なるほど……自分の好きなジャンルを誇示するためのファッションではなかったと?

たとえば、ビートルズとかジミ・ヘンドリックスとか、イアンやリアム(・ギャラガー)もそうですけど、僕が好きなミュージシャンはファッションに対しても熱心だったから、僕も同じようにファッションに興味を持ったということです。だから、根本ではリンクしているはず。ただ、僕のなかで「この音楽を聴いているから、この格好をしなくちゃいけない」というのはありませんね。

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――ブランドのデザイナーとはプライベートでも仲良しだったんですか?

そうですね。NIGO®さんとか「NEIGHBORHOOD」の滝沢(伸介)さんとか、「WTAPS」の(西山)徹さんは、僕がニューヨークに住んでいた頃によくアテンドしていたんですよ。むこうでしか買えない洋服やジュエリーを一緒にオーダーしに行って僕が受け取って送るというような事をよくやっていました。

――ニューヨークにはなぜ?

マウンテンバイクの留学です。けっこう夢中になって、2人同時に走るデュアルスラロームという競技のトーナメントで全米ベスト8までいったこともありました。ただ、自転車で食っていくというイメージが掴めなくて、むしろ自転車のパーツについているロゴのデザインに興味を持ち始めた。ちょうど日本では裏原宿が盛り上がり始めたころで、自分もこういうアイテムが作りたいと。そこでニューヨークにいるあいだ、<スクール・オブ・ビジュアル・アーツ>の授業をいくつかとってデザインを勉強しました。いよいよ帰国することになってNIGO®さんに相談したら「A BATHING APE®でグラフィック・デザイナーのアシスタントを探している」と。それですぐに働き始めたんです。簡潔にいうなら、NIGO®さんが考えたことを形にする役割ですね。

――当時の異常とも言える盛り上がりを内部から見ていてどんな感想を抱いていましたか?

自分が作ったグラフィックのTシャツが何万枚も売れる時代だったから、ちょっと売れすぎじゃないかと思っていた。国立競技場が自分のTシャツを着た人で埋まるってことですから(笑)。果たしてこれがずっと続くのかな、と。

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長畑宏明

長畑宏明

ライター

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