「このひとを知っている」「このひと誰?」、自分が生きている環境や興味でその答えはそれぞれ。こだわりを突きつめる雑食系メディアQeticがはじめる、「知らなかったすごい人を知る」企画。新インタビューシリーズ『imfamous』がスタートです。第1回目に登場いただくのは澤田智洋さん!

「澤田さん」というひとは、めぐり合わせによって“ナニモノ”なのかその印象が違う。あまりマッチした表現ではないけれど分かりやすく言うと“肩書”や“職業”がたくさんある。肩書や職業がたくさんあると聞くとどうしても怪しげな印象を持ちがちだけれど、「澤田さん」は違うか? いや、澤田さんもやはり十分怪しい。

澤田さんはナニモノであるのか? 澤田さんをご存知のみなさん、澤田さんをまだ知らないみなさん。どちらの人にもこちらを読んでいただきたい。

逢い方によって「ナニモノなのか」、印象が違う澤田智洋さん。その多岐に渡る職業・活動についてわかりやすく可視化するために、ご自身に「澤田智洋の要素」を円グラフで描いていただきました。円グラフで表された「澤田智洋の要素」それぞれをご紹介していきたいと思います。

福祉クリエイターや音楽家、複数の顔をもつ澤田智洋さんが登場!新インタビューシリーズ『imfamous』がスタート! interview_tomohiro-sawada_piechart_1-1200x943

要素配分:
コピーライター / 音楽家 / スポーツプロデューサー / 福祉クリエイター / 漫画家 / 絶望人 / 希望人 / 父

ひとつめ:コピーライター澤田智洋
その場でアイディアを出す、言葉そのものがリーダーシップを発揮するコピーライティング

大手広告代理店勤務、コピーライター歴13年。コピーライティング業を続けること、続けるなかで感じていること

世界は言葉ありきじゃないですか。どんなプロジェクト、ビジネスをやるにしても、世界を作るにしても、言葉が基本になりますよね。そう思うのは、きっと僕が14年ぐらい海外に住んでたことも影響していて。アメリカ、フランス、イギリスにいたんですが、その国の言語設定によってその国で暮らす人の世界が変わると肌で感じていました。例えばフランスだと、蝶と蛾って両方とも「パピヨン(Papillon)」というワンワードで括られています。でも僕ら日本人は「蝶」と「蛾」を言葉で明確に区別している。だから「蛾は嫌だ」とか「蝶は美しい」という認識がある。つまり、その概念や言葉があるかないかで、世界の捉え方や自分の生き方自体も変わっていくんだと思います。

はじまるものだけでなく“終わりかけている何か”が好き

80年代にコピーライターという職業自体が花形といわれた奇跡のような時代があったそうです。僕は正直その時代は知らないんですけど。その後日本の経済が停滞していくなかでコピーライターもイケイケな職業ではなくなったと思います。でも僕は逆にそれが良くて、始まっていくものだけでなく”一見終わりかけてる何か“が好きなんです。広告代理店でもコピーライター志望者は減ってるみたいで。でも、言葉力が活きるのは当然広告領域だけではないですし、爆速消費されるキャッチコピーを書くだけがコピーライターじゃない。社会のインフラ、企業の土台となる言葉作りに関わることができる。それがコピーライターの本質であり魅力だと思ってます。

言葉のジャムセッション、その場でアイディアを出す澤田流コピーライティング

コピーライター界には” アイデアを考えるのに時間をかけるほどいい”といった美学が未だにあるなと感じていて。僕が若い時も大御所クリエイターの下で何十時間もかけてコピー書いたりしましたし。ただやっぱりこれってあまりにも生産性が低いと思うんです。「とにかく時間をかけて考えろ」と言われてきたんですけど、僕の座右の銘は「毎日がエイプリル・フール」なんです。毎日大人たちが嘘ついてると思って生活するようにしているんです。常識を疑ってみる。すると「時間をかけろ」というのはエイプリルフールゲーム的には嘘なんだと思うわけです。実際自分はコピーを書く時、なんだかんだ瞬発的に思いついたものが一番良いと思うことが多くて。クライアントの皆様のご要望を聞いて、そこに即興で言葉をつけていく、「ワード・ジャム・セッション」と勝手に呼んでるんですけど。アドリブ・コピーライターとしてここ5年くらいはずっとこのスタイルでやっています。

リーダーシップを発揮するコピーライティングで飲める美味しいお酒

企業や自治体がいいたいことをシャープに短くコンセプトワード化すると、その言葉がどんどん人をリードしていくことがあります。「アンサーシップ」とこれも勝手に呼んでいるんですが、「この方向性が正解だ」というものを提示することで、人びとの共通認識やゴールになる。結果的に言葉がリーダーとなって人を引っ張ってくれるんです。

例えば過去に、高知県の仕事がありました。僕が提案させて頂いたコピーは「高知家(こうちけ)」です。テーマは移住促進。人は移住を考えるときに、まずどのような人が移住先に住んでいるかが気になる。というデータがあったので、高知県の県民性を言葉で表現すれば、移住の後押しになるなと。高知はお遍路文化が今も根づいているのですが、お寺をまわっている人がたくさんいて、高知県民の人はその道すがら声をかけて励ましたり、おにぎりを作って渡してあげたり、自然と助ける精神性がある。要は「人生で出会う人は皆家族」と言わんばかりに思い合う人たちが多くて、そんな人たちが73万人もいる県である、これを一言で伝えたいと思いました。それで、高知県は一つの大家族「高知家」としたんです。僕は今このプロジェクトから離れていますが、今でも高知家グッズがどんどん生まれていたり、「だって家族やきね」という合言葉で県民の関係性が家族のそれみたいに今でもなっていると聞いています。

生みだした言葉が僕の代わりにリーダーになって、リーダーシップを発揮する。ただキャッチコピーが飾りのようにあるのではなく、その言葉がインフラとなり、その上を人やものやお金が活発に行き交う状態をつくることが大切だと思ってます。言葉が自走すると、結果僕がコミットする時間も減って、心置きなく夜美味しいお酒も飲める。実はこれが一番重要なポイントですね(笑)。

高知家

ふたつめ:音楽家 澤田智洋
音楽の使命をはっきりさせたい。使命をきちんと背負わせてメッセージに変える音楽プロジェクト。

コピーライターと別の顔。作詞作曲、プロデュースを手がける音楽家として仕事する。

実は僕、学生時代にバンドやってたんです。スポーツが苦手だったんで中学時代に勝手に「もうスポーツ引退しよう」と自分で決めたんです、アスリートでも何でもないけど(笑)。そしたら時間も心の余裕もできて、安易ですがじゃあ音楽やってみようかなと。ギター始めたら自分は作詞作曲が好きだなと感じて、そこからバンドはじめたんです。結果的にアメリカ・日本ともにインディーズデビューをさせてもらいました。英語と日本語をおりまぜた感じのバンドで、パートは一応ボーカル・ギター。曲の評価もそこそこ良くて、ライブは当時多い時で800人くらい入りました。インディーズの学生バンドとしてはまあまあな感じですよね。でもある時、ライブ中に気づきました。「自分、歌超下手だ」と。10曲くらい演奏するライブの2曲目くらいにこれはもうダメだなと、声出てないじゃんって急に気づいたんです。で、メンバーに「就職活動をします。リクルートスーツを買います」と伝えて。メンバーも「え・・」と。ただ、作詞作曲自体はすごい好きだし、なにか音楽を仕事とを紐付けたいなとはずっと思っていました。

音楽と仕事を紐付けたい——。天丼てんやの“エビメタ・バンド”が完成。

そんなある日、チャンスが訪れました。「天丼てんや」からお仕事の依頼がきたのです。てんやは年に5、6回くらい季節商品を出す。松茸天丼とか鶏天丼とか冬はホタテ天丼とか、すごくイノベーティブな天丼が出てる。だけど、新商品が出たことをあまり知られないとのことでした。そこで、認知をあげるために商品名をミュージシャンが熱くシャウトする企画はどうかと、相談がきたんですよ。そこで提案したのは、てんやが新商品を出すごとに呼応して新曲を出すバンド「エビメタ・バンド」。作詞作曲も全体プロデュースさせてもらいました。自分でいうのもなんですが、 “TORI-TENDON”は名曲ですよ(笑)。

TORI-TENDON by エビメタ・バンド

バンドメンバーは全員現役のミュージシャンで、しっかりメタルしてもらいました。当時はGIGAZINEなんかにも取り上げてもらってバズりました。メジャーデビューもして、音楽配信やライブもやりました。そこから色々と音楽家としての仕事も作っていくようになりました。

音楽と仕事を紐付けたい——。合計年齢337歳のおじいちゃんグループ「爺-POP」、「介護のお兄さんとお姉さん」という介護のアイドル。

コピーライターの仕事でご一緒した高知県。移住者を増やしたいというところから始まり、年間移住者数が前年比3倍くらいになったこともあったんです。そんな時に「別の課題があるんです」と話がありました。それは、高知県の65歳以上の人口比率、高齢化率が秋田県に続き全国2位だということ。この課題を真正面から解決する?それはすぐには難しい。だったら何ができるかと考えて。逆にポジティブに転換できないかと思ったんです。それだけ高齢化率が高いということは、食文化や自然の風土が良いんじゃないかって。あとそもそも僕自身、おじいちゃんの低音がとても好きで、人ってどんどんと歳をとるにつれて声帯が伸びるので、ギターの弦が緩むみたいな状態で声が低くなるじゃないですか。おじいちゃんの、地を這う様なロートーンボイスが楽器としてめっちゃいいなって思ってたんです。なので、高知のおじいちゃん達をミュージシャンとしてフィーチャーできないかと。そこで作ったグループが「爺-POP」、デビュー曲は“高齢万歳”です。アイドルが若くなきゃいけないなんてなくて、60代、70代になって新しい扉開くって素敵じゃないですか。結果的に日本だけじゃなくて海外メディアにも注目いただき取材してもらいました。2曲目の”I Was Young”も英語で歌って頂き、話題になりました。

「介護のお兄さんとお姉さん」は実際に介護福祉士として働くお兄さんとお姉さんを起用したアイドルです。DVD「プラスダンス」を作って、全国の介護施設に届けています。体操ではなくダンスという開放感がポイントです。しっちゃかめっちゃか踊ることも推奨していますので、みんな気兼ねなく踊れます。104歳の方も踊ってましたね。これはもう音楽の力だなと。音楽は一瞬で人の気持ちを変えることができる。すごい変革ツールだなと。

I Was Young – 爺-POP from 高知家 ALL STARS (G-POP from Kochi-Ke ALL STARS)

なんのために音楽を作るのか。作り手自らではできないことをプロデュースする、音楽に使命を吹き込むのも仕事。

僕のまわりにも色々なミュージシャンの友達がいます。「新曲できたよ」っていわれたときに敢えて質問をすることがあります。「誰のために、何のために作った音楽?」って。もちろん直感的に曲を作ること、それもミュージシャンの価値だし、信じられない奇跡みたいな曲が出来ることもあると思います。だけど、みんながそういう境地に達するわけではない。最近は悩んでいるアーティストもたくさんいて僕も相談を受けたりしますが、誰のために何のために音楽を作るのかっていう、「音楽の使命」をはっきりさせた方がいいと思うんです。エビメタ・バンドや爺-POP、介護のアイドルも使命があります。ちゃんと使命を背負わせて音楽に落とす。ミュージシャン自体がそこを考えるのは難しいかもしれないですが、少なくともこの時代、使命付与を一緒に考える音楽プロデューサーや事務所、レーベルの方が必須だと思います。