――今のスタイルになるキッカケは何かあったのですか?

東京に出てきた時に、大阪での活動を東京にそのままインストールしてやろう! という意気込みだったんですが、まあニッチだったしトガッてたしで軽く挫折するんです。その時、東京はエレクトロハウス全盛だったんですが、ざっと一通り聞いてみて、んーつまんねって感じで…(笑)。でもある時、エレクトロハウスのくくりの中で、面白い事やってる外人を見つけて、あ、これエレクトロも調べれば面白い奴出てくるぞ! と思ってDIGってみたら案の定、結構面白い奴が沢山いて、どこにでもいるなあ変態は(笑)と思って。東京でのプレイを増やしたかったし、じゃあそういう変な曲ばかりを集めて、久しぶりにDJをしてみようと思ってやってたら、「何その曲!」みたいな感じでおもしろがられまして。まあ見事に誰とも選曲かぶらなかったですね…僕だけ…。それから年間50本くらいDJさせてもらえるようになって、仲間が増えていきました。その頃くらいから、UKでダブステップがでてきて、ちょこちょこ聞いていました。で、2007くらいかな? エレクトロとダブステップが接近しだして、どんどん明るく、というか、やかましくなっていきます。その後に、Skrillex系の原型になるようなやかましいダブステップがUSから現れて、これメタルじゃん!! みたいな。

――そこで、リンクするんですね!

そうですね。で、ブレイクコアで細かい打ち込みを結構つくっていたので、まあ簡単だろうとタカをくくっていたんですが、作り始めたらすごい難しくて、作ること自体にハマってしまったんです。

――確かに、あの音色とかシンセを理解してないと作れないですもんね。

多分今まで手を出してきたジャンルの中で、一番難しいと思います。だから、Skrillex的なダブステップを作る人って、日本であまりいないじゃないですか? 難しいから、作ってる作業がすごい楽しくて。DTMをやってる人は是非やってみて欲しいんですが、ワブルベースにただビートを足しただけでは、何故か、ああはならないんです(笑)。で、調べたら、いろいろ細かい小細工が必要なんですね。今のクオリティーになるまで2年くらいかかりました。

――海外でのリリースはその頃ですか?

作った曲はサウンドクラウドに掲載してたんですが少しづつ海外の反応がではじめて、レーベルから声がかかったりしたんです。

――再生回数は自然に上がっていったんですか?

告知とかは何もしてなかったんですが、海外の人に聞いてもらいたかったのでNirvanaのREMIXをしたらそれがハマって、一気に1万再生くらいいきましたね。

――新世代のプロモーションですね(笑)。USダブステップレーベルの中でもトップセールスを誇る〈Play Me Records〉のREMIXコンテストで優勝したのもその頃ですか?

もう少し後ですね。海外からの反応もあっていくつかリリースもしてた頃に、丁度、募集していたので応募してみたらおめでとうメールが来たという感じです。たまたまですよ(笑)